氏子、宮頭、宮出し……9つのキーワードで見る三社祭2012
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9つのキーワードで見る三社祭2012 |
取材・文=廣瀬 達也
撮影=山田 愼二、コデラケイ、花井 智子
氏子:祭りや町会の魅力を多くの人に伝えたい
氏子(うじこ)とは、神社の祭祀圏を構成する人びとのこと。三社祭を執り行う浅草神社の場合、周囲の44ヵ町が氏子となり、町単位で神輿(みこし)に乗った大切な神様をお迎えする。ご本尊ゆかりの駒形堂に隣接する「浅草むぎとろ」、その三代目の中島孝太さんは、青年部長として雷門東部町会の三社祭を取り仕切った。
「姉が3人いるんですが、みんな浅草っ子らしく小さな頃からお祭り好きで、神輿も担いでいました。僕も嫌いではなかったけど、当時は子供の数も多く、子供神輿でさえ花棒の取り合い、それが苦手だったんです」
その後、全寮制の学校へ進学したことから祭りと距離を取っていた中島さんだが、祭りに再び引き込まれたのは20歳のころ。近所の町会の相談役に連れられ、いつのまにか本社神輿の花棒を担ぐことになった。
「神輿を担ぐ気持ちよさを正直に伝えたら、そのまま神酒所に連れて行かれました。そこでは青年部長の掛け声ひとつで何人もが機敏に動いていた。そのかっこよさに魅了されました」
祭りや町会行事に参加するようになると地元との交流が増え、つながりも太くなっていった。
「祭りは神事ですから、大切に守り続けなければいけない。でも祭りの楽しさや面白さをもっとたくさんの人に広げていきたいんです。まずは雰囲気を楽しむだけでも、半纏(はんてん)を着るだけでもいい。そんなことから祭りや町会の魅力を感じてもらえばいいし、そうなるように街全体で工夫しています。
氏子として、町会として、青年部として1年間努力してきたことに一人ひとりが自信を持ち、それぞれに楽しむことが、結果として仲間を増やし、祭りを盛んにしていくことになると思っています。
浅草むぎとろ
住所/〒111-0034 東京都台東区雷門2-2-4
TEL/03-3842-1066
営業時間/【昼】11:00~16:00【夜】16:00~21:00LO
定休日/無休
英語のメニュー/あり
平均予算/昼3675円~、夜【フロアー席】4200円~、【個室】6300円~
http://www.mugitoro.co.jp/honten/index.html
担ぎ手:誰もが憧れる、“器の大きな人”が出現する
近年、氏子の減少で神輿を担げる人も少なくなり、「担ぎ手」と呼ばれる助っ人がいないと祭りが成立しなくなっている地域が多い。浅草にある「浅草お祭りミュージアム」の館長、松本晃一さんはとにかく神輿を担ぐことが大好きで、神輿の会に入って日本各地の祭を訪ね歩いている。
「祭りのお囃子(はやし)を子守唄のように聞いて育ちました。子供神輿を担ぐようになると、大人神輿が気になりだして。頭領の半纏姿が粋でかっこいいなと、男を感じて憧れていたんです」
そんな松本さんにとっても三社祭は特別な存在。担ぎ手として長く三社祭を支えてきたが、12年ほど前、浅草に移り住み、氏子になってからは次第に意識も変化してきた。
「氏子にとって祭りがいかに大切か理解できるようになりました。もちろん、担ぐことに夢中になってしまう神輿の会の気持ちも理解できる。両方の気持ちや立場が分かることでお互いに足りないものを補えることに気づいたんです」
最近ではサポート役となることが増えてきたという。
「だって誰かがやらなきゃいけないことだし大事な役目だしね。浅草で行われる三社祭だからこそ、誰もが憧れるような、器の大きな人たちが登場する祭りであってほしい。氏子や担ぎ手だけでなく、見ることを楽しみにしている人たちにとっても、よい祭りにするよう協力していきたい」と目を輝かせた。
浅草お祭りミュージアム内観。(住所/〒111-0034 東京都台東区雷門2-3-5 TEL/03-6796-7800 定休日/不定休)http://omatsurimuseum.net
神輿:身を清めるような思いで作る
100基以上の神輿が躍動することで知られる三社祭。その神輿の多くは宮本卯之助商店が手掛けている。創業は1861年。神輿のほかにも、太鼓、能楽雅楽器などの製造、復元修理などを行っている。
神輿(みこし)は、神様の御霊を乗せてお運びする乗り物。神様は普段神社に祀(まつ)られているため、神輿も神社を模した荘厳な作りとなっている。
三社祭の神輿は色鮮やかな極彩色(ごくさいしき)に仕上がっているのが特徴だが、それは「三社様」を祀る浅草神社社殿が日光東照宮(栃木県日光市)の建築様式を踏襲しているからだ。第二次世界大戦で本社神輿は焼失してしまったが、昭和25年(1950年)に一之宮と二之宮が、昭和28年(1953年)に三之宮が宮本卯之助商店の手によって復元された。
「戦後の焼け野原からの復興には、“祭り”が精神的な支えになりました。みんなの心をひとつにして、元気を出していこうじゃないか、という思いがあったからでしょう。復元は五代目の時でしたが、神輿は焼失していますし、写真も残っていなかったこともあり、日光東照宮まで調査をしに行ったようです」とは代表取締役会長であり七代目の宮本卯之助さん。
1基の神輿を作るのに、細かく分けると20ほどの工程があるという。神輿作りには、そのひとつひとつを丹念に仕上げていく職人の存在が欠かせない。
「木地作り、漆塗り、飾り金具の装着、屋根の裏側に金箔を施すなど、それぞれの工程に専門の職人がつき作業をします。三社祭の神輿の場合には、さらに極彩色を各部分に施していきます。そして最終的に各工程で仕上げたものを一つにまとめるのです」
また、激しく揺さぶられる神輿はきらびやかであると同時に頑丈でなくてはならないため、日本の伝統的な建築技術である木組みの製法がとられている。構造部分には釘は一切使われておらず、特に桝組(ますぐみ)は屋根の重量を分散して堂に伝えるクッションの役割を果たしている。
「神輿を大きく揺らすことを“揉(も)む”と言いますが、これは神霊を人びとに振りまくことによって、町の安寧や平和を願うために行います。三社祭の宮出しでは、3000人以上もの担ぎ手が激しく揉むため、頑丈な作りでなくてはなりません。神輿は檜(ひのき)や欅(けやき)を主として作られることが多いですが、本社神輿の親棒(担ぎ棒)は特に硬い樫(かし)の木を用いています」
宮入りの時、1日中各町を渡御した神輿が無事に戻ってきたのを見ると、安堵の気持ちでいっぱいになるという。
「神事に使っていただくものですし、神輿は氏子の方々にとって“誇り”ですので、身を清めるような気持ちで作っております。あらゆる世代が祭りに参加し、協力することで、つながりのある社会ができる。それは、災害時などにもきっと役に立つはずです。私どもが作った神輿を通じて、町の皆さんが心をひとつにし、絆を深める一助になれば、大変幸せに思います」
宮本卯之助商店本社(住所/〒111-0032 東京都台東区浅草6-1-15 TEL/03-3873-4155 定休日/土日祝) 西浅草店(住所/〒111-0035 東京都台東区西浅草2-1-1 TEL/03-3844-2141 定休日/年中無休) http://www.miyamoto-unosuke.co.jp/
宮頭:義理と人情にやせ我慢
神社に出入りするさまざまな人をまとめあげるのが宮頭。浅草神社では、土木・建築設計施工を行う株式会社新門の杉林仁一氏が務める。小説やテレビ、映画のモデルとしても知られる江戸時代の火消し、新門辰五郎から数えて七代目だ。
「宮頭に必要なのは義理と人情、それにやせ我慢。いつだって周囲とのつながりを大事にしながらみんなを見守る。頼まれればイヤとは言わないし、人の言うことはなるべく受け入れる。それが宮頭の器量です」
華やかに見える宮頭だが、三社祭における役割はまさに裏方。本社神輿を浅草寺の境内から各町会へと時間通りに送り出すため幾度もリハーサルを繰り返す。祭りの期間中は町会や浅草神社奉賛会と連携を密にして、3基の本社神輿を30分間隔で宮入りできるようにする。
「各町会すべて同じ条件で進めていかないと、『お前たちだけいい思いするのかよ!』となってしまう。みんなで時間を分け合うことが大切。誰かが損したり得したりといったことがあってはならない。
以前、神輿に乗って担ぎ棒が折れた事件があった。それで2008年の祭りが中止になったが、あれは効きました。みんな祭り好きだから、できなくなるのはさみしい。一般の担ぎ手や同好会に最低限の決めごとを守らせるのが私たちの役目です。安全対策としてバリケードを作っているのもそのひとつ」
一年中祭りのことで頭の中がいっぱいになってしまうという杉林さんは、ダイビングでリフレッシュしているという。
「海では無になれますからね。でも、死にかけたとき、頭に浮かんだのはやっぱり祭りのことでした(笑)。ダイビングも祭りも一人じゃできない。協力し合ってこそ、みんなが主役になれる。普段できないことができる祭りだからこそ、ルールを守って続けていくことが大事だね。
宮出し
神様の乗った3基の本社神輿を神輿庫から出し、44ヵ町の渡御へと送り出すが宮出しの行事だ。浅草神社境内に3基の本社神輿を安置し、神官による神幸祭を執り行った後、氏子各町の担ぎ手が入場し、宮頭・杉林仁一氏の一本締めで3基が同時に担がれる。見どころは一般の担ぎ手が行う一般宮出しだ。1基につき、3000人もの担ぎ手が参集し、本社神輿を奪い合う。見物者の安全を確保するため、バリケードが設置されるほどの迫力だ。
宮入り
44ヵ町を激しく巡行してきた3基の本社神輿が、各町の高張提灯に迎えられ、浅草神社に戻される。神輿庫に戻される前に浅草神社境内で神輿を揉む瞬間は、担ぎ手も観衆も興奮の極みに達する三社祭のクライマックスとなる。
一之宮
本社神輿のひとつ一之宮には三社様のひとり、浅草の観音様を祀った土師仲知(はじの・なかとも)の御霊が乗っている。2012年、3年に一度巡ってくる一之宮の渡御を務めるのは東部12ヵ町会だ。5月20日12時10分、一之宮が東部の浅草馬三町会に到着した。町会と担ぎ手の魂が一体となり、高揚感と歓喜が渦巻き始めた。普段は気さくで陽気な江戸っ子たちだが、この40分間は神に陶酔しながらも荒々しく、我よ我よと本社神輿に食らいつく。その豹変ぶりに圧倒されるが、渡御が終われば皆また元の優しい笑顔に戻っていく。
半纏コレクション
5月19日正午、浅草寺の観音堂裏では氏子44カ町の町会神輿が集結した。この日のために仕立てた印半纏(しるしばんてん)を担ぎ手たち披露する。氏子、神輿会、青年会ごとにそのデザインはさまざまだ。「我が半纏が一番!」とカメラに向かってポーズ。まさに「江戸の華」のようにカラフルな半纏が観音裏を埋め尽くした。
夜店
祭りの楽しみといえば夜店だ。三社祭でも浅草寺の境内を埋め尽くすほどの屋台が立ち並ぶ。子供の頃、誰もがかならず夢中になった金魚すくいや、定番のたこ焼きやわたあめのほかにも、清涼感あるあんず飴やきゅうりの串刺し、アユの塩焼きといった、三社祭ならではの屋台も、是非試してみたい。
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