「いざ、日本の祭りへ」(6)阿波踊りと四国

サムライの愛したブルー——阿波の“藍”染め

文化

徳島県は日本最大の“藍(あい)”の産地だ。戦国時代から、サムライが美しさと実用性の高さから愛した染料。今も、日本の生活の中で生き続けているが、伝統工芸をめぐる環境には厳しさがつきまとう。

吉野川と阿讃山脈が育んだ“藍”

四国の東部に位置する徳島県。県内北部に阿讃山脈、南部に四国山地が横たわり、その間を西から東へと吉野川が流れる。

吉野川流域は、川が育てた藍作地帯だ。治水設備のない時代、台風などの豪雨が流れ込み、毎年のように洪水を引き起こしたという。しかし洪水は土を運んでくる。肥沃な客土は連作を嫌う藍には最適で、徳島県は良質の藍が採れる日本最大の産地へと成長した。

藍はタデ科の一年草で、80cmくらいの高さまで育つ。原産地は中国南部、インドシナ半島とされており、日本には中国を経て飛鳥時代にはすでに伝えられていた。秋には、赤あるいは白色の多数の小花が穂のようになって咲く。藍がもたらした富で、吉野川流域は大いに栄えた。今では信じられないが、明治22年(1889年)の市制施行当時、徳島市は全国第10位の人口を擁していた。

美しさに加え、“殺菌”という実用性も

徳島市内の藍住町にある「藍の館」は、藍商の旧屋敷を活用した藍専門の博物館だ。立派な屋敷建築が、阿波藍の繁栄の歴史を物語る。平安時代に徳島県にもたらされた藍は、戦国時代になって武士の鎧下を染める染料としての需要が高まった。藍染めの衣類は、色の美しさのみならず、殺菌効果があり、肌荒れ、汗疹を防ぐという実用性も兼ね備える。

藍商の旧屋敷を活用した「藍の館」(写真左)。昔ながらの藍染めを体験できる(写真右)

 

藍液の水面にコバルト色の泡が立つ

「藍の館」の染場に入る。清々しい藍液の香りが染め場に漂う。「藍は生き物ですから、染料である藍液も『育てる』という感じです」とスタッフの高原さん。収穫された藍の葉をまずは刻み、発酵させ、「すくも」という染料を作る。次に、灰汁(あく)、石灰をすくもに加え液状にする。天候はもちろん、灰汁のアルカリ度数、すくもの状態といった自然のバランスが整うと、水面にコバルト色の泡がたつ。藍の華と呼ばれる泡は、染織ができる藍液になったというしるしだ。

衣類を藍色に染めていくのは、藍液の中の微生物の一種である桿菌(かんきん)だ。桿菌が布に付着し酸化することで藍色に染まる。微生物の力が大切だからこそ、藍液の世話は欠かせない。弱って染まりにくくなった藍液は、お酒や水あめを与えると元気になるそうだ。

藍染に挑戦

ハンカチの藍染めに挑戦する。まずは染めない部分の模様作りだ。板や輪ゴム、割り箸を使い、できあがりを想像しながらハンカチを縛る。縛り終えたら、ハンカチを藍液にそっと浸す。およそ10秒後、液から上げると、ハンカチの色が、深緑から青へとみるみるうちに発色していった。

ハンカチや手ぬぐいなどを選び、まずは染めたくない部分を輪ゴムと割り箸で絞っていく(写真左)。好みの回数だけ藍液にくぐらせたら、輪ゴムを取り外す(写真右)

藍液に一回くぐらせるごとに、瓶(かめ)のぞき・浅葱(あさぎ)・縹(はなだ)・納戸(なんど)・藍・紺・褐色(かちいろ)と名前を変えながら、藍の色は濃さを増していく。お気に入りの色に到達したら、染色終了だ。ハンカチを縛っていた輪ゴムと割り箸を取り外し、水洗いする。透き通るような藍色に描かれた白い円模様は、紺碧(こんぺき)の夏空を背景に咲く白い朝顔のようだ。

完成したハンカチが徳島の空に舞う

取材・文=吉本 直子
撮影=中野 晴生
取材協力=町立藍住町歴史館藍の館

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