日本のウイスキー

世界が認めた「ジャパニーズ・ウイスキー」:蒸留所の舞台裏を訪ねて

文化 暮らし

ヨーロッパで生まれ、スコットランドで「世界の酒」に発展したウイスキー。90年前に製造が始まったジャパニーズ・ウイスキーは、いまや品質で本場と肩を並べ、愛好家の注目を集める存在になった。

石炭直火が「力強い」原酒生む

余市の原酒は「重厚で力強い」というのが定評。これを生み出すのがおそらく世界で唯一残っている、石炭の直火でたく単式蒸留器(ポットスチル)だ。

蒸留は、発酵後の醪(もろみ)からモルト原酒を生み出す最後の工程。ポットスチルはまさに蒸留所の心臓部だ。担当の作業員は操業中、釜の温度をモニターで監視。10分ほどの間隔で、シャベルを使ってスピーディーに石炭をくべる。見ると、一つ一つの釜の上部にはしめ縄が施されている。これは創業者・竹鶴政孝(1894-1979)の生家が日本酒の蔵元であったことに由来する。

(左)余市の単式蒸留器(ポットスチル)(右)蒸留釜に石炭をくべる作業員

重労働の上に、火力のコントロールも難しい昔ながらの作業。工場長の杉本は「科学的な証明はできないのだが、石炭が燃える際の(火力の)“ゆらぎ”が複雑な作用を生み出していると思う」と語る。「創業以来のものだし、この蒸留器で余市ならではの原酒ができている。だから、石炭直火を変えることは今後もないでしょう」。

竹鶴のこだわり、スコットランドに近い風土

竹鶴はスコットランドになるべく近い「冷涼で湿潤な」風土を求めた末、本拠地を余市に定めた。蒸留所の開設は1934(昭和9)年。モルト原酒をつくっても最低3年から5年の貯蔵を経なければウイスキーとしては出荷できないため、当初はリンゴジュースやアップルワインを製造して経営を支えた。

「自然と風土がウイスキーの個性をつくる」という竹鶴の信念が今も貫かれているもう一つの場所が、蒸留所内にある原酒の貯蔵庫。床は土間で、樽は2段積みまでというのが創業以来のルールという。あくまでも素朴な建屋の周囲には、蕗(フキ)が自生している。

余市蒸留所のモルト原酒貯蔵庫

ウイスキーは貯蔵中、樽を通じて外気に触れながら、長い時間をかけて熟成していく。杉本は「ここから日本海の海岸までわずか900メートル。これも証明はできないが、潮風の作用も原酒に複雑な香りを与えている」と説明してくれた。

次ページ: 国産ウイスキーを生んだ鳥井と竹鶴

この記事につけられたキーワード

観光 北海道 ウイスキー 山梨 洋酒 サントリー ニッカウヰスキー 余市町

このシリーズの他の記事