『シン・ゴジラ』—庵野秀明が今の日本でゴジラ映画を作る意味
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2014年に公開されたハリウッド映画『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)に出演した渡辺謙さんをニッポンドットコムがインタビューした際、ゴジラに託して、日本映画が今、発信すべきテーマがあるはずなのに、海外に先を越されて悔しいと語っていた。そのゴジラが、今夏ついに日本で12年ぶりに復活した。
7月29日公開の『シン・ゴジラ』は、SFアニメーション『エヴァンゲリオン』シリーズで海外にも多くのファンを持つ庵野秀明が脚本・総監督、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』(2015年)の樋口真嗣が監督・特技監督を務めた。
初代『ゴジラ』(1954年)から『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)まで、東宝は28本のゴジラ映画を世に送り出した。日本映画の現状ではハリウッドの資本力やCG/VFXの技術レベルにはまだかなわないというのが一般的な認識だが、あえて今、なぜ日本で新たなゴジラを製作したのか。『シン・ゴジラ』でエグゼクティブ・プロデューサーを務めた山内章弘東宝映画企画部長へのインタビュー、完成報告会見(7月19日)での庵野総監督のコメントを基に、『シン・ゴジラ』製作の背景と見どころを紹介する。
ハリウッドとは違う今の日本ならではのゴジラを
まず、新たなゴジラのプロジェクトが始動したのはいつだったのだろうか。
「構想は2012年ぐらいから動きだしました」と山内プロデューサー。「庵野さんに打診したのは、13年初頭。毎年のようにゴジラが作られていた時代と違って、12年ぶりにゴジラを日本で作るからには、世界に、この人が日本発のゴジラを撮ると明言できる人でないと駄目だと思った。『エヴァンゲリオン』シリーズで世界中に愛され、日本の特撮にも造詣が深い庵野さんは、適任でした」
ハリウッド版のゴジラは、核の恐怖を背負ったモンスターという側面とアクションものの要素が両立したバランスの良い作品で、「ゴジラ映画に対する愛を持った人が作った」作品だったと山内プロデューサーは言う。だが、全世界でのマーケティングを前提としているハリウッド映画に対し、「見据える先にグローバル・マーケットはありますが、僕らが最も意識しているのは、日本の観客です。ハリウッドから出た一つのゴジラ映画の“答え”に対して、日本で作る今のゴジラはこうだという僕らなりの解答でなくてはならない」
“荒ぶる神”という意味でのゴジラの存在感は、初代ゴジラから脈々と受け継がれている伝統だ。庵野総監督の脚本で描かれたゴジラにもその伝統は生きている。1954年のゴジラは、“核の落とし子”であり、戦争の象徴だった。新たなゴジラは、東日本大震災を経た今の日本を覆う不安感を色濃く反映している。「この12年間の中で一番大きく変わったのは震災を経た日本であること。ファンタジーで逃げることもできますが、庵野総監督とも話し合い、それは意味がないということになった」
初代ゴジラの衝撃に迫りたい
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:II』にとりかかるのを保留にして、『シン・ゴジラ』に力の全てを注ぎ込んだという庵野総監督。新たなゴジラを生み出すに当たって、最も意識したのは、やはり初代ゴジラだった。
「怪獣映画の完成度、素晴らしさは最初の『ゴジラ』に集約されていると思う」と庵野総監督は言う(完成報告会見)。怪獣映画は初代ゴジラがあれば十分だと、最初は東宝のオファーを断ったが、初代ゴジラの面白さ、衝撃に少しでも近づく作品にしたいと、結局、新たな挑戦を受けて立つことにした。
「怪獣が出てくる映画の面白さは、現代社会に異物が現れたときの面白さであり、特撮映像でないと描けない世界観だと思う」と庵野総監督。アニメは全て虚構の世界であるのに対して、「特撮映像は実写、現実世界を切り取った映像の中に、虚構を混ぜることができる。それが特撮の一番面白いところです」
そして、その面白さを最大限に生かすために、これまでのゴジラの“続編”ではなく、今の日本にゴジラが初めて出現する設定を選んだという。「それ以外に、あれ(初代ゴジラ)に近づく方法は僕の中になかった。改めて、怪獣のいない世界にゴジラが現れる、そこから始めないと駄目だと思った」
リアリティを徹底追及
『シン・ゴジラ』がこれまでのゴジラ映画と一線を画すのは、徹底的に“リアル”を追求しているということだ。
まず、ゴジラの造型だが、意識したのは生物としての存在感だという。誰もがひと目でゴジラとわかる特徴を備える一方で、新しい要素を具体的造型に落とし込むまでに、庵野総監督、樋口監督、そして2人を支えるスタッフが、「知識と熱量」を注ぎ込んで、長い時間をかけて新たなゴジラ像にたどりついた。
高層ビルの多い街並みに出没する新ゴジラの体長は118.5メートル。初代ゴジラの2倍以上だ。「この重さを自重で支えられるのかも検討して、その結果、2本足では歩くのは無理だということで、尻尾が太く、長くなりました」と山内プロデューサーは解説する。
その破壊力はすさまじく、政治の中枢である霞ヶ関、永田町、再開発が進む虎ノ門を始め、東京は壊滅状態になる。
また、今回、1984年の『ゴジラ』の「スーパーX」のような架空のスーパー兵器は出てこない。「リアルシミュレーションの映画なので、本当にこんな巨大生物が現れたら、自衛隊はどう動くのか、庵野総監督は自衛隊に取材を重ねました」
「ですから、僕らが調べ得る限りで、自衛隊のリアルな動き、攻撃の仕方を描いています。ゴジラという“虚構”以外は全てが“本物”です 」
特撮とフルCG
新たなゴジラを創り出すに当たり、庵野総監督、樋口監督には初代ゴジラ映画から始まった「特撮」の伝統を継承したいという思いもあった。特撮とは、スーツアクター、ミニチュアセットなどを活用した撮影だ。
『シン・ゴジラ』製作に当たり、当初、特撮とCGのハイブリッドを試みたが、最終的には国内シリーズ初のフルCGゴジラが誕生した。
庵野総監督は言う。「着ぐるみもいいが、今回は(作品の)世界観に合わせて、フルCGの方がいい、CGが持っている人間的ではない部分を生かそうと思った。人間的な意思、意図を削り取ったゴジラです」
庵野総監督が特にこだわったのは、ゴジラの「視線」だ。「目に感情は表さないが、視線にはこだわり、細かい修正を繰り返した」そうだ。「目だけは、下を向いて、人を見ている。今回のゴジラの唯一の“コミュニケーション”といえます」。
ステレオタイプの“ヒーロー”は登場しない
『シン・ゴジラ』のもう1つの「新しさ」は、「いわゆる普通の映画でヒーローになる人たちは出てこない映画」ということだ。それが「庵野総監督の方針だった」と山内プロデューサーは言う。
「普通なら市井の人々が立ち上がるのがエンタメの王道です。かたや科学者、先生、かたや雑誌記者、新聞記者などが活躍するのが一番多いパターンでしょう。ところが、この映画では官僚が活躍する。そこが新しい」
東日本大震災、福島第1原発事故の政府の対応は批判の的にもなったが、一方で、理路整然と判断を下し、行動に移した官僚たちもいたはずだ。
リアルさを追求する一方で、『シン・ゴジラ』はあくまでもエンタテインメント作品。山内プロデューサーは言う。「今の日本人が震災後のさまざまな不安にどう立ち向かっていくのか。そのテーマを、ゴジラなくして、2時間のエンタメとして面白く見せることは難しい。僕らの財産であるゴジラで日本を覆う不安を象徴的に表現することで、物語として面白く見せることができるのです」
今の日本を象徴する「当面」の解決
リアルに圧倒的な「破壊神」ゴジラに対峙する人間たちは、やがて「当面の解決」を導き出す。「普通は1作目のようにゴジラを倒したかのように見える、もしくはゴジラが海に帰っていくのが基本でした。保留付きの解決というのは初めて。当面の解決とどう向き合っていくのか、それが今の日本だからこそのエンディングなのです」と山内プロデューサー。
まずは日本の観客を意識して作ったという『シン・ゴジラ』だが、海外の注目度は極めて高い。7月時点で、100の国・地域での配給が決まっている。過去シリーズで最も多くの国と地域に配給されたのは『ゴジラ FINAL WARS』(67の国・地域)だった。
今の日本を切り取った『シン・ゴジラ』が、海外でどう受け止められるのか、注目したい。
取材・文=ニッポンドットコム編集部 バナー写真 (C)2016 TOHO CO.,LTD.
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