久能祐子: 米国ワシントンで未来を切り開く人材を育成
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日米で2つのバイオベンチャーを起業、そこで手掛けた新薬開発の成功で純資産3億3千万ドル(約360億円)を築いた久能祐子氏。2015年米経済誌「Forbes」が発表した「米国で最も成功した女性50人」の1人に選ばれた唯一の日本人女性だ。常に新たな挑戦を続ける久能氏は、現在はバイオベンチャービジネスの第一線からは退き、米ワシントンDCをベースに、自らがCEO(最高経営責任者)を務める「S&R財団」、14年に立ち上げた「ハルシオン・インキュベーター」プロジェクトを通じて、社会起業家、科学者やアーティストを精力的に支援している。
バイオテクノロジー研究から起業へ
科学者から起業家、米国での若い才能の支援者へと人生のかじを切ってきた久能氏 (以下敬称略)。山口県の小さな町で生まれ育った少女時代は人見知りだった。元々数学や物理化学は得意で、大学進学の際「理系に進めば実験が多くて、あまり人と話す必要もないから自分に向いているだろうと考えた」と言う。現在でも増加傾向とはいえ女性科学者の比率は低いが、1970年代当時、理系に進む女子は極めて少数派。入学した京都大学の工学部定員1000人のうち女子学生は6人。4年生の時、当時注目され始めていたバイオテクノロジーの分野に進むことに決めた。
大学院2年の時に、ドイツのミュンヘン工科大学に1年間留学したことが、その後の人生の第一の転機となる。「日本では考えられないさまざまな生き方を選択した女性科学者たちと出会い、研究者として好きなことをしながら収入を得て生きる道もあるのだと教えられました。日本では、当時博士号を取得しても結婚して家庭に入る女性が多かったですから」
帰国して博士号を取得した後、三菱化学生命科学研究所を経て83年、新技術開発事業団(現・科学技術振興機構=JST)で研究者生活に入った。そこでビジネスパートナーとなる上野隆司博士と出会う。睡眠、記憶、学習などの分子メカニズムを共に研究する過程で、上野がその後の2つの創薬の「プラットフォーム」となる化合物「プロストン」を発見。細胞を修復する特殊な役割を持つこの物質を、一刻も早く患者のために役立てたいと上野も久能も強く思った。だが、基礎研究の世界では、すぐに新薬開発につながらない。89年2人は事業団を辞めて起業する。「 “Discovery driven” で、(仕事が) 面白くて夢中でした。先のことは研究開発をしながら考えればいいと思っていました」
当初は上野の父の会社、上野製薬の工場の一画で開発を続け、資金提供も受ける「企業内起業」だった。94年緑内障治療薬レスキュラ点眼薬を日本で発売、現在では世界45カ国で承認され、最盛期年商100億円超のヒット商品を作り出した。
米国で第2の新薬を開発
新薬開発には通常1千億円の費用がかかり、成功確率も10万分の1といわれる。久能たちはその「通説」を見事に覆したが、次に取り掛かった新薬開発の際は、上野製薬に対し80億円の借入金があったため、同社からの資金調達は難しかった。1996年思い切って上野氏と渡米、「スキャンポ・ファーマシューティカルズ」を設立する。
この米国での挑戦には1つの「挫折」の経験も生かされていた。「81年米国で最初のエイズの症例報告があり、米国では抗エイズ薬の開発に必死でした。実は私たちもレスキュラ以前に、抗エイズ薬を開発していました。88年、単身渡米して、FDA(米国食品医薬局)、NIH(米国国立衛生研究所)と交渉、サンフランシスコの病院で臨床試験をすることができました。でも、この薬は効かなかった」。結果を出せなかったことは「大きな挫折」だったが、FDA、NIH、医者、患者たちとのオープンな情報共有の経験から、米国での新薬開発に可能性を感じた。
渡米後は資金調達に奔走し、99年に慢性便秘薬のアミティーザの臨床試験を実施。2005年にFDAに申請、翌年には承認されて米国で発売となる。申請から10か月で承認というのは、最短だそうだ。日本発売は4年後の2010年だった。
若手支援の「インキュベーター」設立へ
スキャンポが2007年にナスダックに上場すると、久能は創薬の世界では一通りのことをやり遂げたという思いを強くする。
「新薬の開発には15年かかる。もう私には次の開発のチャンスはなく、自分ができることがなくなってしまった。何か別なことがしたくなりました。1996年から米国で仕事をして、さまざまな人の力を借りた。米国社会に私たちが得たものを還元する時が来たと感じていました」
そこで目を向けたのが、若い才能の支援だ。すでに2000年に「S&R財団」を設立、若手社会起業家、科学者やアーティストに対するS&R賞を創設していた。だが、個人に対する賞だけではなく、もっと大きなプロジェクトを立ち上げる時だと考えた。起業したばかりの若い人から助言を求められることも多くなっていた。
「新薬の開発をしていた頃、リスクをとるのが怖くなかったかとよく聞かれましたが、なぜか怖さを感じたことはなかった。経営学を勉強してみて、自分は“self-efficacy” (自己効力感)が高かったのだのだと分かりました。困難に直面しても、自分一人でもなんとかプロジェクトを進められると思えるのがself-efficacyです。根拠のない自信でも、自分が進む “山の頂上” が見えていれば、道は開けるもの。そのことを若い人たちに伝えたかった」
「私自身のミュンヘンや米国での経験から、若い人たちがインスパイアされ、self-efficacyを高めるには、日常から離れた場所で背景の違うさまざまな人たちと場所と時間を共有する機会を持つことが必要だと考えました。その新たな場で誰に会うか、そのタイミングも含め、“good stress”を感じることで、創造性、革新性が生まれるのです」
久能はまず場所作り、若手支援の「エコシステム」構築から着手した。着目したのは、ワシントンのジョージタウンにある歴史的建造物だ。レジデンス型の「インキュベーター」作りのために19世紀建築の邸宅「エバーメイ」、築18世紀の「ハルシオン・ハウス」を購入し、改造を施した。
金もうけよりも社会貢献を目指す若者たち
2012年、久能はスキャンポの事業から退き、S&R財団の本部を「エバーメイ」に置く。そして14年には、社会起業を支援する「ハルシオン・インキュベーター」をオープンした。
最初の3年間はパイロット期間として、「エバーメイ」に本部を移したS&R財団が活動資金を提供した。8人が1つの“cohort”(「仲間」のグループ)で、5カ月間一緒に生活し、その後の13カ月はオフィスとして利用できる。つまり、常時16人がハルシオンに共生している。この間に投資家やプロボノ(専門的スキルを社会貢献のために無償で提供する弁護士、税理士など)たちがやって来て、起業に関するさまざまな相談ができるプログラムだ。
「ソーシャル・インパクト・モデル(収益および社会的インパクト両方を達成する)は立ち上げに時間がかかるので、最初のうちはこうした場が必要です」。また、学者や政策立案者、シンクタンクが多いワシントンなら有力者に会うチャンスも多いことも起業には有利だと考えた。
「米国の“ミレニアル世代”と呼ばれる35歳ぐらいまでの世代は、ただお金を稼ぐよりも自分のしたことで世の中をよくしたいと思っている人が多い。教育のある若い人たちは少なくとも10人のうち8人が起業、その多くはソーシャル・ビジネスを目指しています。米国でもレジデンス型のインキュベーターは少ないので、ハルシオンはワシントンで注目されています。8人を選ぶのに全米から300人の応募があり、スタンフォードやハーバード大学より競争率が高いと言われます」
ちなみにこれまでハルシオンが支援した50数組のうち日本出身は1人。Yoko Senという電子音楽のアーティストによる「Sen Sound」というプロジェクトだ。入院患者のストレスを減らすために、病院で聞こえる音を見直し、不快感のない音に置き換えていく試みで、パートナーとなる病院も増えているそうだ。
他にもハルシオンの支援でさまざまな独創的なプロジェクトが動き出している。「ハルシオンでは特許を迅速に取得させる方針で、特許専門の弁護士が毎日来ています。例えば、車酔いやバーチャル・リアリティーを見た時の不快感を防ぐヘッドホンの開発は、こちらで特許を申請した1週間後に世界的IT企業が同様のアイデアで特許を申請していたそうです」
17年1月にハルシオンは公益財団となり、資金調達の道も広がった。新たなプロジェクトとして、久能はジョージタウンに「フィルモア・スクール」という歴史的建造物を購入。「ハルシオン・アーツ・ラボ」として、若き芸術家たちのための「インキュベーター」作りを進めている。
「ソーシャル・インパクト」の挑戦は続く
自らが若手に投資し、また他の投資家を募る過程で、久能が気付いたことがある。ハルシオンでは、女性の起業家は4割、男性6割だが、女性のプロジェクトになかなか資金が集まらない。
「米国全体でも女性起業家にベンチャー・キャピタルが投資する割合は3%。投資の決定権を持つ立場にいる女性の割合を見ると6%です。そもそもインベスター側に偏りがある。女性の起業に投資を募るには、まず女性の投資家を育てることが必要だと気付き、ワシントンを中心に活躍する女性投資家のグループ『WE Capital』を立ち上げました。2016年12月に発足して数カ月で、約20億円の投資資金が集まりました」
ワシントンをベースに人脈を広げ、若い世代の持続可能な社会事業の立ち上げやアーティストを支援する「エコシステム」を構築し、「ソーシャル・インパクト」投資を推進する—若い個人の才能を最大限に花開かせ、その果実を社会に還元するために久能の挑戦は続く。
インタビュー・文=板倉 君枝
写真=三輪 憲亮