環境学者あん・まくどなるど—里山のチカラを考える

社会

あん・まくどなるどは、農漁村に暮らす人々の暮らしを通して、日本社会を20年以上にわたり見つめてきた。ローカルな視点から、グローバルな問題の解決策を探る環境学者に、日本が果たすべき役割について聞いた。

あん・まくどなるど Anne McDONALD

上智大学大学院地球環境学研究科教授。高校、大学時代に日本に留学。日本各地の農漁村のフィールドワークを開始(現在も活動中)。1991年ブリティシュ・コロンビア大学東洋学部日本語科卒、92年アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター(旧スタンフォード大学日本研究所)研究課程終了。97年に県立宮城大学客員教授、2011年より現職。農業・漁業を基にした日本学、環境学、環境歴史学が専門。主な著作に『気候変動列島ウオッチ』(清水弘文堂書店)、『日本の農漁村とわたし』(同)など。

5年間のギャップに驚く

1982年に交換留学生(※1)として来日したあん・まくどなるどさんは、大阪府で1年間の高校生活を過ごした。83年にカナダに帰国し、マニトバ州立大学、ブリティシュ・コロンビア大学に学び、88年、今度は国費留学生として熊本大学にやって来た。日本に戻った彼女は、その変貌ぶりに驚いた。

あん・まくどなるど  とにかくビックリしました。5年間で日本社会がドラスチックに変わってしまったから。当時はちょうどバブル経済まっただ中の時期で、大都市ではもうイケイケドンドン。そこには私の知っていたつつましい日本人はいませんでした。

特に食文化での変化が激しかった。以前は3世代が同じ食事だったのに、それぞれ全然違う食事をしている。祖父母は、ごはん、みそ汁、漬物、山菜と戦前と同じスタイルを踏襲しているのに、孫の世代になると肉料理が中心でごはん離れが進んでいる。完全に西欧化してしまって、伝統的な家庭料理には見向きもしない。都会だけじゃなくて、田舎の家もそうなっていました。

5年前には八百屋や魚屋でみんな楽しそうに買い物していました。でもカナダから日本に戻って来たら、買い物はスーパーが中心になっていた。コンビニやファミレス、ファストフードのお店も増えていました。まるで違う国に迷い込んでしまったみたいでした。

5年間の変化を目の当たりにして、この社会変化のスピードは異常だと思いました。人間は動的でなければならないのですが、この変化はあまりにも激し過ぎる。人間がついていけるスピードを超えていた。このまま進んだら日本社会はどこかでクラッシュすると思いました。

古き良き日本人を訪ねて

あと数年もしたら、自分が知っていた日本社会が消滅してしまう。そんな危機感を覚えた彼女は、まだ残されているうちに「日本の田舎のお年寄りたち」を記録しておこうと決意。長野県黒姫(現・信濃町)を拠点に、そこから日本全国の農村を訪ねるフィールドワークを始めた。そして92年、出会った人々の聞き書きをまとめた『原日本人挽歌』を上梓した。

まくどなるど  失われつつある古き良き日本の伝統を探すことで、さまざまなことが見えてきました。日本の戦後社会の動きを見ると、経済発展のための開発を最優先させてそのスピードを加速させていき、その過程で、古いものを無差別に切り捨てていきました。トレードオフの議論もしないで、新しいものをどんどん取入れていった。東洋的なものはNG、欧米のものはすべてOKという感じで。

西欧文化を採用するのは別に悪いことではありません。でも導入することによって、何を得て、何を犠牲にするのかといったベネフィットとコストの話がもっとあってもよかったんじゃないか。そんな議論も一切なく、日本の伝統的な暮らしを軽視する一方で、西欧的なライフスタイルを重視していきました。その結果、都市に暮らす人たちが優先され、農家の人たちは無視されていった。戦後、日本が成し遂げた経済発展は評価されてしかるべきだとは思うのですが、得たものは経済的なものばかりで、田舎に行くと失ったものの方が多かったのが分かります。

陸と海はつながっている

日本は総延長約3万5千キロにおよぶ長い海岸線を有している。農村だけでなく、漁村も見なければ真の意味での日本社会は理解できないと考えた彼女は、今度は全国の漁村を巡る旅を始めた。軽自動車をキャンピングカーに改造して、1997年から2004年まで7年かけて、日本列島の最北端から最南端まで、日本の沿岸部の8割を見て回った。

自称・世界一小さなキャンピングカーで、漁村調査をしながら日本の沿岸部を回った(撮影:礒貝 浩 写真提供:清水弘文堂書房)

まくどなるど  海岸沿いを回ると、陸地の問題点が明確になってきます。山の森が荒れていると、海にそれが表れる。例えば内陸部での汚染は、水の流れに乗って海にも多大な影響を及ぼします。だから陸と海を切り離すのでなく、第一次産業間のつながりをもっと強くしないとダメだと思うようになりました。

例えば、漁師たちの間で、海岸近くの森が魚を寄せるという「魚付き林」という伝承があり、そのために沿岸部や小さな島の森林を守ってきました。現在でもこうした考えを取り入れて、魚付き保安林として森林を保護している漁村があります。海と森を結ぶ、こうした発想がとても大切なんです。

農漁村を見て回ることで、私の関心は民俗学的なものから環境学的なものへとシフトしていきました。そこで進んでいる環境破壊の現実を直視し、その対応策を講じることは、世界各国の環境問題を解決する糸口になると思うようになりました。

(※1) ^ AFS(American Field Service)のカナダ人第一号の高校生交換留学生として初来日。

海女の智恵

現在、まくどなるどさんが取り組んでいるテーマは「海女」だ。2008年から12年にかけて、国連大学高等研究所いしかわ・かなざわオペレーティングユニットの初代所長を務めた関係で、石川県の海洋問題を研究するようになり、輪島の海女に出会った。

まくどなるど  167人の海女に何度もインタビューを繰り返して、彼女たちの「fish ecological knowledge」がどんなものなのかを4年間かけて探りました。海女たちが海をどんな風に観察しているのかを知りたくて、ダイビングの免許を取って一緒に海に入ることを許してもらいました。でも、「仕事の邪魔はするな」「潮に流されても助けない」と厳しく言われました。スキューバーは禁止なので、素潜りで彼女たちについていきました。一回4時間ぐらいですが、海から上がるともうくたくた。信じられないくらいの重労働です。

海女は、テクノロジーの導入にとても慎重なんです。私が見てきた農漁村では、すごいスピードで機械を入れてきたんですが、彼女たちは違う。明治時代に水中眼鏡が導入された時、それが海の資源管理にどんな影響を与えるのかを真剣に議論しました。その後はウエットスーツ。着用することで夜でも長く海にいることができますが、乱獲に結びつくのではないかと議論している。最後は酸素ボンベ。1970年代にその可否を巡って話し合い、結局は導入しないことに決めました。スキューバーも、同じ理由で採用しませんでした。プロの海女は自分の肉体だけで潜る。中には素潜りで25メートルまで潜れる人もいる。私は頑張っても8メートルが限度で、彼女たちは本当にたくましいんです。

管理しながら自然を守る

2010年に名古屋市で開催された生物多様性条約締約国会議(COP10)では事務局と連動して、海岸・沿岸域の生物多様性保全に関する世界的なプラットフォームを立ち上げた。その頃から環境省や農林水産省,内閣府の政府委員なども務めるようになった。

まくどなるど  自然にコミットしている時間が長いほど、人間は環境に対して気を遣い、その変化を感じ取ることができます。現在、自然と関わり合う時間が少なくなっているのが問題です。例えば、米農家は機械化によって耕す面積が拡大しましたが、田んぼにいる時間は5分の1になってしまいました。それだけ周囲に向ける観察力が低下し、自然環境が失われていくことに無関心になります。

海女は海と共に生きています。だから海の変化にものすごく敏感です。環境問題を考える上で、自然と深く関わっている人間の視点は重要です。環境問題を考えるというのは、自然と人間の関係をこれからどう築いていくかということ。突き詰めて考えると、人間をどう管理していくかということです。自然資源を管理するのは、人間ですから。大事なのは、海女が持っているような「fish ecological knowledge」を、今後の環境政策にいかに組み入れていくかということです。環境学者の机上の理論だけでは限界があります。

自然を守るには、人間は一切手を引くべきだと言う人もいます。でも既に人間の手が入ってしまった自然環境は、破壊活動をストップさせるだけでは回復が難しい。人間の手が入ることによって、自然の持つ力をより引き出していくような発想に立たないとうまくいきません。日本がCOP10で世界に向けて発信した「SATOYAMAイニシアティブ」(※2)も、そういった考え方が根本にあると思います。

これまでの資源管理の方法はどうしても男性目線で、自然を支配するようなスタイルが多かったように思います。これからは、海女的な母性を備えた自然管理の方法にもっと目を向けるべきです。例えば藻場を再生して、魚を育て、海と共生する試みも持続可能性といった観点からすると、とても素晴らしい考え方ですよ。

グローバル社会へのフィードバック

2009年に上智大学の非常勤講師となり、11年には国際コースの教授に就任。現在は大学院で地球環境学を研究するグローバルプログラムを担当している。英語で学位が取れるので、先進国だけでなく、アフリカ、中南米、アジアなど世界中から、環境問題に取り組む若者が彼女の研究室にやってくる。

まくどなるど  ここは私にとって最高の職場です。日本に居ながら、英語で授業ができます。毎日、学生たちと激しい議論を闘わせています。火花が散って、とにかくスリリング。開発途上国の学生が多いので、担当教官としては責任重大です。何しろ彼らは、国を背負っていますから。例えばモザンビークからの留学生は国家公務員です。帰国したら、自国の環境政策を立案しなくてはならない。だから、すごいプレッシャーを感じながら、修士論文をまとめています。そうした学生たちと地球環境問題を考えるのはとても楽しいし、自分の勉強にもなります。

日本各地での実体験を通して学んだことが、グローバル社会にフィードバックできるのが何よりも嬉しいですね。特に海女から学んだことには、先住民や少数民族が暮らす社会や生態系を守っていくためのヒントがたくさんあると思います。

インタビュー・文=近藤 久嗣(ニッポンドットコム編集部)
撮影=長坂 芳樹

バナー写真=海女の水中眼鏡を手にするあん・まくどなるどさん

(※2) ^ 里山の薪炭林など、人の手が適度に入り生態系も豊かに保たれるような持続可能な自然の利用方法。

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