「国際的な写真展が求められるカメラ大国・日本」写真家ルシール・レイボーズ
文化- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
日本の“原始的な信仰”に驚き
——第2回「KYOTOGRAPHIE国際写真フェスティバル」(4月19日~5月11日)が成功のうちに幕を閉じましたが、日本との関わりはいつからですか。
「1999年、坂本龍一さんのオペラ作品『LIFE』に仕事で懇意にしていたサリフ・ケイタさんが参加し、私も一緒に来日しました。その時、日本に感化されてしまいました。最先端技術があふれる生活の中に、伝統文化だけでなく原始的な信仰が色濃く残っていることに驚いたんです。パリに一度戻り、アフリカのアミニズムと日本の神道を比較する撮影の企画を立ち上げ、フランスのアシェット財団の支援を得て日本とフランスを行き来するようになりました」
「その後、2007年に東京に移住し、温泉での日本人女性たちの姿を撮影して『Source』という写真集にまとめました。この作品は、2008年のパリフォトでも展示され、最近では昨年、作家の平野啓一郎さんと一緒に『Impression du Japon』を出版しました。日本のさまざまなイメージを選び、私が撮影した写真に彼が文章を綴ったものです」
写真家の評価が低すぎる日本
——京都で国際的な写真フェスティバルを開催しようと思ったのはなぜですか。
「2011年3月の東日本大震災で、東京から京都に引っ越しました。3.11は多くの人々の生き方を変えましたが、私にとっても大きなターニングポイントになりました。パートナーでKYOTOGRAPHIEの共同代表でもある仲西祐介も同じ頃に東京から京都へ移り、2人でこれまでとは違った何かを多くの人たちとシェアしたいと強く思うようになりました」
「京都の街の素晴らしさがその気持ちを後押ししました。京都に暮らしていると、毎日何か新しい発見があります。写真家にとって、“これこそ日本”というイメージに日々出会うことは非常に刺激的。是非とも何か始めなければという想いがますます強くなりました。そこで、2人で考えたのが、国際的な写真フェスティバルだったんです」
——北海道の「東川町国際写真フェスティバル」がありますが、日本では国際的な写真展があまり開催されていないですね。
「日本はカメラ大国として知られる国なのに、ヨーロッパに比べ、写真に対する評価が極めて低い。日本製のカメラのおかげで多くの写真家が誕生し、今もその高度な技術に支えられているのに信じられないことです。細江英公、森山大道、アラーキー(荒木経惟)、植田正治と言った戦後のビッグネームはもちろん、川内倫子や多くの若手を数多く輩出しているのに、彼らの作品を見せる場所が非常に少ない」
「見せる場所が少なければ、認知度が低いのは当たり前です。海外で有名でも、日本では全く知られていない写真家も多い。国際的なステージで発表できる人たちも限られていて、いつも同じ顔ぶればかりです。ヨーロッパでそんなことを強く感じていた私は、日本の才能ある写真家の作品を世界の人々の目に触れさせる場所をいつか作りたいと常に思っていました」
「このアイデアと世界中から観光客が訪れる京都という土地柄が結びついて、京都での“国際写真フェスティバル”開催ということになりました。ギャラリーや美術館の来場者は限られているので、町家、寺院、神社などを写真展の会場にすればより多くの人々が足を向けるはずだとも考えました。
こうして世界で活躍する写真家やフォト・キュレーターを招いて、彼らと日本の写真家たちが活発に交流する場となる国際写真フェスティバルKYOTOGRAPHIEのコンセプトが生まれたわけです」
国際写真フェス実現へがむしゃらに突進
——古いしきたりの残る京都で、町家や寺院などを会場として借りるのは難しかったのではないですか。
「京都に移った頃、居場所がないという感じを抱きました。でも、それなら自分たちで居場所を作り出そう―そう思ってKYOTOGRAPHIEの実現を目指し、会場となる場所を探し回り、当たって砕けろでがむしゃらに突き進んでいったのです」
「私と仲西が京都人でないことが、逆に良い方向に働き、チャンスをもらえたのかもしれません。京都がよそ者にオープンな街ではないのは事実ですが、それで萎縮してしまったら何もできなくなってしまいます。でも、私たちには質の高い国際写真フェスを京都で実現させるという強い意志がありました。まず写真家を選び、その作風にベストなロケーションを探し出すということで動きました。『まず写真ありき』という揺るぎないスタンスがあったことが、京都の皆さんにもご賛同いただけたのだと思います。2年目の今年は、寺社、町屋、ギャラリーなど京都市内15会場に世界9カ国の写真家の作品が展示されるまでになりました」
——参考にした国際的な写真フェスティバルはありますか。
「フランスには、世界的に有名で権威のある写真のショーが2つあります。写真を商業的に扱い売買をするフェアとしての『パリフォト』と、展覧会を重視する『アルル国際写真フェスティバル』です。KYOTOGRAPHIEが目指すのは、アジア地域におけるアルルのような存在です。アルルも京都に似た歴史の深い街で、同フェスも教会など歴史的な建造物を会場にしています」
「環境」をテーマにさまざまな写真作品が集結
——昨年は、マリック・シディベと細江英公という写真界の巨匠の展示で話題を呼びました。今年、「私たちを取りまく環境」をテーマにしたのはなぜですか?
「日本ほど繊細な自然を持つ国は世界でも少ないと思いますが、そんな国で原発事故が起きました。日本は、否応なく、環境問題に向き合わざるを得なくなった。でも、ネガティブな面だけに焦点を当てたくなかったので、動物界、自然界、人間界、宇宙、多くの側面から環境を考えられるように構成しました」
「ティム・フラックの作品はハッセルブラッド(スウェーデンのカメラメーカー)の雑誌『VICTOR(ヴィクター)』で知りました。彼の動物をテーマにした展示『More Than Human』は、一見美しい動物の写真と見えて、実は人間の動物に対する罪深い行為を訴えてもいます。例えばスタジオで撮影された羽根のない鶏の写真は、品種改良で作られた動物の姿を捉えたものです(写真下)」
「『火星—未知なる地表』は、アルルで昨年見て京都に持ってきたいと思いました。NASAの火星探索機が撮った写真ですが、最初にグザヴィエ・バラルという編集者が着目しました。これほどの写真が調査目的だけで人目に触れないのはおかしい、と。彼は写真編集者として世界トップレベルの人で、今回、来日しました。彼のような写真界の大御所との共同作業には、とても緊張しました。まだ駆け出しのKYOTOGRAPHIEが果たしてバラル氏に認められるかどうか試されているような気がして」
「今回、京都在住のアーティスト高谷史郎さんにお願いして、火星の写真を使ったインスタレーション作品にしてもらいました。ソニーの世界最大級4×8mの高精細画質モニターに映し出すことでアルルとは違った新しい作品にしたのですが、バラル氏からの高い評価を得て嬉しい結果となりました。今年は『火星—未知なる地表』展を京都に持ってきましたが、将来的には、KYOTOGRAPHIEで発表された作品がアルルをはじめ、世界の写真フェスで巡回展示されるような流れになればさらに広がりが生まれると思っています」
「KYOTOGRAPHIE国際写真フェスティバル」公式サイト
取材・文=矢田ヴァッターニ明美子
バナー、ポートレート撮影=荻野NAO之
会場撮影=大島拓也