「戦後」はいつ終わるのか?—戦後70年を生きる若者たち
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「あの戦争」から遠く離れて―風化する記憶
2015年、日本は戦後70年を迎える。と、さらっと書いてしまったが「70年」とは途方もない歳月だ。人間ひとりの一生にも相当する長さである。
それなのに、メディアでは相変わらず「戦後」という言葉が飛び交い、このニッポンドットコムの特集も「戦後70年」であるという。
確かに「戦後」の起点であるアジア太平洋戦争は日本だけでも300万人以上の死者を出した、日本史上最悪の出来事だった。
しかしあれから70年が経ち、戦争経験者は減少の一途をたどっている。戦後生まれの人口は1億人を超え、人口の約8割を占めるまでになった。節目の年だから「戦後70年」と言いたくなるのもわかるが、「70年前」は確実に遠い時代になりつつある。
2013年にNHK放送文化研究所が実施した世論調査によると、「日本が真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が始まった日」を知っていた人は20.0%に過ぎなかった。世代別に正答率を見てみると20・30代では6.9%、40・50代では16.5%、60代以上では24.8%だった。確かに若者のほうが正答率は低いが、より戦争に近い世代のはずの高齢者でも4人に1人しか正解を知らなかったのだ。
他の調査でも同様の傾向を見いだすことができる。同じくNHKが2010年に実施した調査によれば、「広島に原爆が投下された日」を正しく答えられたのは、全体でわずか27%、「長崎に原爆が投下された日」を答えられたのは23%にすぎなかった。
さらにその世代別正答率を見ると、20・30代が25%だったのに対して、60代以上は19%。若者のほうが正答率が高かったのだ(この調査が痛快なのは、「若者は戦争を知らない」というお決まりのフレーズに対する批判になっている点だ。確かに若者は戦争を知らないが、同じくらい高齢者も戦争を知らないのである)。
豊かさに支えられた「平和な国」の自意識
このように、あの戦争に関する記憶は確実に風化しているように見えるのに、「戦後」は終わらない。その一つの理由は、幸いにも、日本がアジア太平洋戦争以降、同規模の厄災に巻き込まれることがなかったからだろう。
湾岸戦争やイラク戦争に協力はしたものの、日本が大規模な総力戦に巻き込まれることはなかった。複数の大震災と悲惨なテロは経験したが、死者数や規模でいえばアジア太平洋戦争ほどではなかった。
内閣府の「社会意識に関する世論調査」によれば、「日本は平和な国である」という自意識を持つ日本人が非常に多い。同調査では「現在の世相」を選択式で聞いているのだが、その中でも「平和」を挙げる人の割合は極めて高い。1990年頃までは約70%、2014年の調査でも約60%が「平和」と答えている。
また民間の国際的研究機関「経済・平和研究所」(本部シドニー)が発表する世界平和度指数でも、日本は毎年トップ10にランクインしている。2014年は8位まで順位を落としたが、2008年には3位だった。
しかも戦後日本はただ「平和」なだけではなく、それは極めて「豊か」な社会でもあった。敗戦後の復興から始まった戦後日本経済はいくつかの偶然に助けられ、驚異的な成長を見せた。1991年のバブル経済崩壊後は長期停滞期が続いているが、それでも日本は先行世代からの遺産と、将来世代を無視した国の借金により、驚異的な豊かさを維持している。
米世論調査機関「ピュー・リサーチセンター」が実施した調査によれば、日本は「貧しさのために生活必需品を買えなかった経験」を持つ人の割合が極めて低い国である。
2013年の調査では、過去1年で、貧しくて食料が買えなかったことがある人の割合はメキシコで53%、韓国では26%、米国では24%、英国でも15%だったが、日本ではわずか2%に過ぎなかった。同様に、衣服が買えなかったり、医療が受けられなかった人の割合も、諸外国と比較して極めて低い。
現状に満足した「幸せ」な若者たち
このように平和で豊かな日本という国の落とし子たちは、どのような価値観を持ち、どのような生活をしているのだろうか。ここでは若者と子どもたちに注目してみよう。
『絶望の国の幸福な若者たち』という本で書いたように、日本の若者たちの生活満足度や幸福度は過去にないほど高い数値を示している。2014年の内閣府「国民生活に関する世論調査」によれば、20代の実に79.1%が現在の生活に満足していると答えている。これは、調査を遡ることができる1967年以降、最も高い数字である。若者たちの生活満足度は、経済成長期と比べても、はるかに高い数値を示していることになる。
10代ではその傾向がさらに強まる。NHK放送文化研究所が発表した「中学生・高校生の生活と意識調査2012」の「あなたは今、幸せだと思っていますか」という質問に対して、中高生の実に9割以上が「幸せだ」と答えているのだ。
特に中学生は94%が「幸せだ」と答え、55%は「とても幸せだ」と回答している。調査は定期的に実施されているが、「とても幸せだ」と答える中高生の割合は右肩上がりで増えている。
この幸福度の高さには、彼らがもはや「今よりもずっと幸せな未来」を想定できないから、現在に満足せざるを得ないというネガティヴな解釈も可能だ。事実、年齢別幸福度はU字を描くことが多く、「先の少ない」高齢者は一般的に幸福度が高いことが多い。
しかしそれでも、この高い幸福度は、日本の「豊かさ」という下支えがないとあり得ないことだろう。
社会のひずみを引き受ける世代
さらに日本では1990年代以降はデフレによる市場での価格競争、品質競争が進み、かけるコストに比べて高い水準の生活を送ることができるようになった。最近でこそ物価は上昇基調にあるとはいえ、日本の都市部では数百円もあれば、暖かくておいしい食事をとることができる。
またインターネット環境とスマートフォン1台があれば、無限にも近い時間の暇つぶしをすることが可能だ。IT起業家の川上量生は、日本のインターネット文化は「暇人」が作ってきたというが、ネット上には「暇人」の作った無数のコンテンツがある。同様に自分が「暇人」として、コンテンツの作り手になることも可能だ。
このように日本では、時給1000円に満たないアルバイトをする若者であっても、そこそこ楽しい暮らしができてしまうのである。少なくとも生活水準は、かつての若者よりもはるかに上昇していると言っていいだろう(もっとも、労働環境自体は必ずしも素晴らしいわけではない。社会学者の山田昌弘は、日本は消費者としては天国だが、労働者としては地獄と表現する)。
しかし、日本の若者たちの将来が順風満帆かといえば決してそうではない。少子高齢化とそれが引き起こす世代間格差、先進国で最悪の財政赤字、廃炉もままならない福島第一原子力発電所など日本の将来には問題が山積している。何より若者自身も老いていく。
日本という国の未来を考える時に重要なのは、「戦後」をきちんと終わらせられるかという点にある。本来は終わったはずの「戦後」を何とか延命させようとしてきたのが、1990年代以降の日本の政策であり、それが社会にさまざまなひずみをもたらしているからである。
1990年代が契機となるはずだった
経済的に考えれば、日本の「戦後」は紛れもなく1990年代に終わりを迎えたはずだった。まず高度成長期をピークとした経済成長に休止符が打たれたからである。バブル経済の崩壊が直接の引き金だが、構造的には少子高齢化に大きな原因があると考えられる。
つまり、戦後日本ではベビーブーマーを中心とした若年労働者がたくさんいて、安価な労働力が経済成長の源になってきた。しかし90年代以降高齢化が本格化すると、社会保障にかかる費用がどんどん増えてきた。
また、国際的にも、90年代には「戦後」の終わりがあった。1991年のソビエト連邦崩壊によって冷戦体制が終焉を迎えたのである。
日本が戦後「ものづくりの国」として活躍できたのは、冷戦の影響が大きかったといわれている。冷戦期、東側陣営の中国はまだ本格的に世界市場に参入していなかったし、韓国や東南アジア諸国は親米独裁政権で政情が不安定で、教育水準も低かった。要するに、日本以外に取るに足る「世界の工場」がなかったのである。
だが、冷戦も終わり、「世界の工場」の座は中国や東南アジア諸国に移った。それは日本にとっては、安定した工業化社会の終わりであり、サービス業が産業の中心となるポスト工業化社会の始まりでもあった。
奇妙な形で生き延びる戦後日本
しかし日本は、1990年代に起こった変化に十分に対応できたとは言えない。本格的な少子化対策が実施されることはなかったし、現役世代向けの社会保障の整備も遅れてきた。若者たちの生活満足度は高いが、子どもを安心して産めるほど豊かな層は限られている。
日本の合計特殊出生率は1.4前後を推移しているが、この数値は早晩さらに下がっていくだろう。ベビーブーマーの子ども世代である団塊ジュニアの出産適齢期が終わるからである。
本来、日本は1990年代の段階で、少子化対策に本腰を入れ、本格的な少子高齢化に対するソフトランディングを目指すべきだった。また雇用の流動化に備えて、会社ではなく国家によるセーフティネットをきちんと整備するなど、できることはたくさんあるはずだった。しかし、実際に90年代に起きたのは、公共事業の増加などによって、「戦後」を延命させようとする動きだった。
このように、奇妙な形で「戦後」が生き延びてしまっているのが、現在の日本社会である。平和で豊かなゆえに、改革の機運が一瞬盛り上がっても、それは結局上滑りしていくだけだった。もちろん、この平和で豊かな社会が永遠に続くわけではない。
日本はきちんと「戦後」を終わらせることができるのだろうか?
(2015年1月13日 記)
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