3.11後の日本

東日本大震災後の危機管理

政治・外交 社会

1995年に発生した阪神・淡路大震災と、今回の3月11日の東日本大震災。同じ大震災といっても、前者は地震による家屋倒壊と火災、そして後者は津波と原発事故による放射能汚染という複合災害であり、内容は大きく異なる。この2つの大震災から、日本の危機管理体制のあり方について、元内閣官房内閣情報調査室長大森義夫氏が考察する。

近年だけをみても新潟・宮城・北海道・鳥取など日本各地で大きな地震が起きているが、規模とそれに伴う被害の大きさにおいて国の政治力が問われる事態に立ち至ったのは、1995年の阪神・淡路大震災(以後「阪神」)である。この時の震度はM7.3、神戸市などを中心に死者数は6400人余であった。当時、自・社・さきがけ連立の村山富市内閣で、私は首相官邸に情報担当として勤務していたので、今回の東日本大震災(以後「東日本」)における危機管理を「阪神」の経験を踏まえつつ考察することとしたい。

同じく大震災といっても両者は内容が異なる。「阪神」は地震とそれに伴う火災による惨禍であったが、「東日本」は地震(M9.0)、津波そして原発事故、さらには農水産物への放射能汚染、工業製品や観光への風評被害まで広範多岐にわたる複合災害である。

3つの基礎的変化

さて、危機管理の評価に入る前に、「阪神」以後の16年の間に日本社会で進行した基礎的な変化を3つあげておこう。(1)通信基盤と通信機能の強化普及、(2)生活拠点としてのコンビニエンスストアの役割増大、(3)生活レベルにまで及ぶ国際化の進展である。

(1)の通信に関しては、まず映像通信の発達と強靭化を指摘したい。「阪神」の時は自治体(消防)通信やNHKなどテレビをふくめてあらゆる通信基盤が地震によって破壊され、一時情報途絶となった。連休明けの火曜日早朝5時46分発生という事情もあったが、東京の首相官邸では「地震が発生したらしい」との一報はあったものの、テレビはなにも映さないし、あれだけの惨禍であるとの認識が遅れたのは事実である。今回はウイークデー(金曜日)の午後2時46分発生という条件の違いもあったが、発生直後から映像による現場掌握がなされており、「阪神」以後の通信基盤の強靭化、複線化などインフラ基盤の整備が役立った。これなくして官邸による指揮ならびに関係諸方面とのコミュニケーションは機能し得なかった。のちに触れる自衛隊の大規模かつ迅速な出動や諸官庁・自治体の連携なども今回、通信機能が整備保全されていたことが支えとなっている。

わが国は固定電話、携帯電話とも普及率は世界有数を誇る。地震発生直後は通話が殺到して不通状態となった。電話1人1台(以上)の時代に合わせて通信回線の一層の拡充が望まれる。また、通話錯綜時に携帯電話やインターネット電話からの警察・消防などへの緊急通信を優先的に確保する仕組みの開発が必要である。


震度6弱以上の地震など大きな災害が発生したときに、伝言板で被災地にいる登録者の安否を確認できる災害時専用サービス。(画像提供=NTT DoCoMo)

ツイッターやSNSは電話不通時も健在で、災害に強いツールであることを立証した。特に通信各社が提供した「災害用伝言板サービス」は安否確認やメッセージの伝達に効果があった。「グーグル」が地震発生後2時間で立ち上げたという「パーソンファインダー」は各避難所に貼りだされた被災者名簿の画像や、携帯電話の災害伝言板などからの情報を収集してデータベース化したもので、この種の緊急時用ソフトウエアは今後、急速に発達するだろう。

東京電力などの企業、中央・地方の官庁、現地入りしたボランティアやジャーナリストなどが最新の状況や必要な救援物資の所在などをツイッター等を通じて発信した。大変有効だったが、高齢者や機器を失った被災者にはディジタルデバイドの不利益が生じた。

誰でも発信者になれる通信端末の普及は大きなマイナス面をも露呈した。それは無数のデマの流布であった。政治的なデマもあれば、「○○町で数百人が孤立している」といった善意を装ったタチの悪いデマもあった。

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