市電にゆられ、ぶらり函館 [3] ライカ北紀行 —函館—
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わずか3カ月、函館で暮らした詩人・石川啄木は、後に「函館へ行って死ぬ」と友人に書き送った。函館山のふもと、元町にある幾筋もの坂道は魅力にあふれ、和と洋が混在した文化はスウィーツにも影響を与えた。新緑もえる季節、10分間隔でやって来る市電が乗り放題の「市電専用1日乗車券」(大人600円)とマップを手に、北の港町のぶらり散歩は、旅の味わいに満ちたものになろう。
函館へ行って死ぬ 石川啄木
「明治40年6月11日 石川一(はじめ)、函館区弥生尋常小学校代用教員拝命 月俸十二圓」
明治15年の開校当初から綴られ、古びた『彌生小学校沿革誌」。その一ページに記された、石川啄木の足跡である。いまも校長室の耐火金庫に大切に保管されている。
●道案内(地図)
- 石川啄木の墓碑:市電「谷地頭」下車、徒歩13分
- 大森浜(啄木小公園):市電「昭和橋」下車、徒歩22分 。バス「啄木小公園前」下車、徒歩1分
- 茶房ひし伊:市電「宝来町」下車、徒歩2分
記事全文はこちら>【函館へ行って死ぬ】ライカ北紀行 —函館— 第9回
坂道
学生のころ夏休みに、上野駅から夜行列車と青函連絡船を乗り継ぎ、はるばる帰って来た、と函館山を見あげる。ふもとには幾筋もの坂道——その美しさと懐かしさに感動した覚えがある。
●道案内
大三坂 市電 「十字街」下車 徒歩5分 (地図)
記事全文はこちら>【坂道】 ライカ北紀行 —函館— 第2回
桜餅 千秋庵総本家
館山のふもとの和菓子屋は、老舗なのに「どらやき2個ください」といえる気安さがある。江戸末期、万延元年、1860年創業の千秋庵総本家。外国への開港で箱館が沸くころ、秋田藩士であった初代が店を開き、古里をしのんで“千秋”庵と名づけたという。
●道案内
市電「宝来町」下車、徒歩1分(地図へ)