出版崩壊
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この落ち込みはどこまで続くのか
何も言わずグラフを見ていただくだけで、日本の出版の世界がどのような状態に置かれているか、お分かりいただけると思う。
書籍、雑誌合計の出版販売金額は、高度成長期以降、一貫して高い伸びを続け、オイルショック下でも成長を続け、バブル経済崩壊でも膨らみ続けて、1996年、2兆6563億円に達した。高度成長期初期の1960年に比較すると実に28倍。その間、対前年比で落ち込むことは一回もなかったのである。
しかし、この時をピークに転落が始まる。以来、17年間で36%落ちて2013年には1兆6823億円。2014年も月ベースでは前年同月比でマイナスが続いており、通年でも前年割れは確実である。その結果、バブル前の80年代前半の水準にまで戻ってしまったのであるが、まだ落ち足は止まっていない。
ピークからの下落率をみると、書籍の28%減に対し、雑誌は42%減。雑誌の場合、98年から一度も上向きになることなく、一直線に落ち続けているのである。これに加えて雑誌のもう一つの収入源である広告が、御他聞に漏れず下落し続けている。ほぼ「壊滅状態」といってよい。
経済環境は確かに悪いが
日本の出版売り上げが、ここまで激しい屈曲を示した原因としては、さまざまな分析が飛び交っている。曰く「経済の低迷」、曰く「活字離れ」などなどである。
経済的要因は確かに90年代以降、日本のすべての分野にのしかかってきた問題である。しかし、出版の場合、その影響は否定しないが、それだけとは言えない面が大きい。なにせ、バブル崩壊の影響も無視して伸び続けていったのである。出版売り上げがピークアウトした97年、98年は、確かに国内の金融危機、アジア経済危機とバブル崩壊後最悪の経済状態に陥った時期ではあった。しかし、その後、十数年間落ち続けているのである。このことの説明はつかない。
この90年代の後半という時期は、出版のみならず日本の情報を巡る世界で重大な変動があった時期でもある。まず生産年齢人口が95年で減少に転じた。出版物に限らず非生活必需品の購買行動を考えるときに可処分所得の動向は無視できない。自ら収入を得る可能性が高い世代の人口が減少に転じたことは、当然、出版売り上げに響いてくる。しかし、生産年齢人口の95~13年の下落率は9.5%で、出版売り上げの下落率をこれだけで説明するのは難しい。
ライバル登場
これ以上に大きな契機がインターネットの登場といえる。特に世界的な大ヒット商品となった「Windows95」の発売は、日本でも本格的にインターネットの普及を促した。また、94年にはソニーのプレイステーションが発売され、これまた個人向けゲームの大ブームとなった。さらに90年代に本格普及を始めた携帯電話で、99年にNTTドコモが「iモード」サービスを開始。現在のスマートフォンに至る携帯電話のネット化が進んだ。いずれも、余暇時間の争奪戦の中で、日本人の読書時間を削り取っていくのである。
それゆえ、出版関係者の間では「日本人の活字離れ」が出版不況の最大の原因として取りざたされるようになっている。文化庁が行っている「国語に関する世論調査」によると、「1か月に本を1冊も読まない」の回答が、02年度の37.6%から、08年度46.1%、13年度47.5%と着実に増えて行っている。また、インターネット、スマートフォンの急速な普及は、情報媒体である雑誌の購買、広告の双方にダメージを与え続けている。
それにしても、である、この底なしの下落はあまりに激しすぎる。出版物で活字を読まなくとも、インターネット、スマートフォンとも、基本的には文字媒体なのである。文字そのものから日本人は離れて行っているわけではない。長い歴史を持つ情報の伝達媒体であり記録手段である出版物の存在価値がゼロになることはないと信じたいが、しかし、下落率自体が一向に収まらないこの状況をどう考えればいいのだろうか。
あまりにも長く続いた左うちわの時代
日本の出版業は、大正時代にビッグバンを迎えたといわれている。第一次世界大戦バブルの好況に、明治以来の近代教育制度の整備で読書人口が蓄積されたことが重なり、総合雑誌、全集など、一気に、大衆文化として花開いたのである。いわゆる大正デモクラシー、教養主義の時代である。
明治以降、近代化を進めるにあたり、海外の学問を翻訳して国内に広める役割を担った大学を頂点とする教育が、その推進役を果たしていった。つまり、社会的な上昇志向は、教育と知識の取得に日本人の情熱を向けさせたが、いかんせん、最初からすべての人に教育機会が開かれていたわけではなかった。そのギャップを埋める役割を担ったのが出版物であったのだ。
近代化が進み、経済的に発展し、高等教育まで機会が広がっていく過程で、常に大学を頂点とした「知」の世界とその媒介手段である出版物は、日本社会に対し常に権威の立場に立ち続けてきた。出版に限らず情報全体について、受け手は限られたパッケージの中から選ぶしかなかった。さまざまな意味で売り手市場だったのである。しかし、戦後も70年代には大学進学率が頭打ちになるほど、高等教育は国民に浸透した。そしてバブル崩壊後の低迷期の中で、大学卒業者の主要な就職先であったホワイトカラー職が縮小し、学歴社会が以前ほど意味を持たなくなってくると、出版物が持っていた「知」の権威も色あせてきた。この情報の供給サイドの一方的優位は、日本が開発途上国であった時期の「知」の属性であったともいえる。
ネット社会の出現は、この情報の構造を根本的に変えた。アーカイブの規模と検索能力が飛躍的に向上する中で、受け手側、需要サイドが優位となったのである。しかし、このような環境変化に対し、日本の出版界は、これまでと根本的にその在り方を変えてきたとは言い難い。ネット世界のように、情報の受け手の需要に併せ柔軟に対応し変化するわけではなく、あくまでも作って流すだけという供給体質のなかにある。これは出版社も執筆者も同様である。企画内容や商品性格、さらに言えば執筆者の顔ぶれがほとんど変わっていないことからも、それは分かる。
蟻地獄の構造
この体質がなかなか変化しないのにはほかにも理由がある。取次という巨大な専門商社に、零細中小の出版社と書店が依存するという特殊な業界構造の中で、身の丈以上の生産が可能になるという体制から抜け出せないのである。詳しく言うと、たいていの新刊出版物は、取次を通して書店に委託する形で流通する。その段階で出版社にはいったん売り上げが立つ。そして、一定期間後、売れた分だけ清算して残りは再び取次を通して返品される。この間、取次が信用供与をする形になる。作り続ければ、利益はともかくとして、資金繰りだけはつくのである。当然自転車操業をまねき、粗製乱造の原因となる。2番目のグラフを見ていただきたい。90年代後半、売り上げの急減が始まった後も、出版点数は増え続けたのである。いったん負債体質になると、このサイクルから抜け出せなくなるのである。このことも、出版の世界が内容の転換を図れない要因の一つとなっている。
要するに、質、量とも日本の出版界は供給過剰体質なのである。その結果、過去のスタイルの「知」の生産を続けることができても、次々と生まれる世界や社会の新しい局面に対応する能力からは、ますます遠ざかっているのである。