ムスリムになった日本人
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日本人イスラム教徒(ムスリム)は、総人口の1%以下(推計)と非常に少ない。日本人にとってイスラム教は遠い存在であり、宗教それ自体の理解も十分になされていない。日本で最も大きいモスクである「東京ジャーミイ」(東京渋谷区・代々木上原)の下山茂さんは、そうした数少ない日本人ムスリムの一人だ。
バイアスのかかったイスラム像の浸透
下山さんは「世界は今や、4人に1人がムスリムの時代」と強調する。にもかかわらず、イスラム教はなぜ日本にとって遠い存在になってしまったのだろうか。
「日本は明治時代(1868年~1912年)以降、ヨーロッパ的なものを近代化の目標とし、ドイツ、英国、フランスなどから民法、刑法、商法などを取り入れて近代国家を築いてきました。その中で、イスラムの国々を含め、ヨーロッパ以外の価値観は抜け落ちてしまいました。
しかも、ヨーロッパ人の、少しバイアスのかかったイスラム像、例えば『クルアーンか剣か』といった言葉が日本に入って来たため、真の意味でのイスラムは理解されていない。また最近では、9.11の同時多発テロ(2001年)などに対するメディア報道の影響もあり、『イスラムは怖い』という印象が植えつけられているのが現状です」
世界宗教としての普遍性
世界の歴史の中で、あらゆる国や地域で数多くの宗教が誕生したが、信者数とその広がりから見ても、世界宗教になっているのはキリスト教、イスラム教の2つだ。
「ムスリムの人口は、世界で15億人といわれている。多くの日本人にとって、イスラム教は『豚肉を食べてはいけない』『ひげを生やしている』『断食(※1)など戒律が厳しく怖い宗教だ』と、よく分からない宗教だと思われがち。しかし、教えのなかに“普遍性”のない宗教は、世界中に信者を持つ宗教には発展しません。数字が物語っているのは、イスラムが紛れもなくユニバーサル宗教だということです」
では、イスラムの普遍性とは何なのか。
「キリスト教の普遍性については、皆さんよくご存知です。それは、端的に言うと、『愛』つまり無償の愛(アガペー)です。しかし、イスラムの普遍性についてはほとんど知られていません。それは『平等』です。イスラムは皮膚の色、民族(国家)、言語、血筋、階層などで人間の優劣をつけません。もしも優劣があるとすれば、それは各人の神を畏怖する心、敬神の念においてのみであるとしています」
胸を打たれた「神の前での平等」
東京ジャーミイでは、イスラム教に入信する日本人は毎月5人ほどだという。今回の取材時にも、ムスリムとして礼拝に訪れる日本人の姿はほとんど見られなかった。ムスリムの日本人が少ないという現状の中で、下山さんはなぜムスリムになったのだろうか。
「大学生の時、アフリカのナイル川をゴムボートで旅をし、村々に滞在しました。行く先々で、言葉も満足に通じないのに、宿を求めると、ほとんどの村で、快く寝床を提供してくれました。人種的には黒人でしたが、宗教はイスラム教だった。彼らのホスピタリティーには本当に感謝しました。のちにそれがイスラムの教えからくるものだと知って驚きました。
この時の体験が今の自分の原点。正直、ムスリムになるまでは、神の存在などあまり信じていなかった。でも、ムスリムになることで『イスラム共同体』の一員になって、黒い皮膚の人、黄色い皮膚の人、白い皮膚の人と兄弟のように一列に並んで礼拝をする。素晴らしいことだと思ったんです」
礼拝で、必ず人々が横一列に並んでお祈りをするのは、イスラムの教えである神の前での「平等」の精神に則したもの。また「ビッル(正義)」という教えは、自分に必要なものであっても、自分よりもっと必要としている人に譲ることを意味している。自己中心的な考え方から自らを解き放つことだという。(※2)下山さんは、こうしたイスラムの教えに強く胸を打たれた。
「イスラムという宗教は、善行と分かち合いを強く説きます。14世紀から16世紀にかけてのオスマン朝時代、余分な富の社会への還元というイスラムの理念のもとに、社会の余剰資金は経済活動より、どちらかというと社会資本の方へと向かいました。その受け皿となったのが『ワクフ』と呼ばれるものです。ワクフとは、現代のNGO、NPOのルーツのような組織で、集めた寄付金で病院や学校など、社会的弱者のために公共性の高い施設を作っていました。モスクの周りにはマドラサと呼ばれる学校、病院、バザール(市場)、貧しい人々のための無料の食堂などを備えた、都市の中核複合施設が建設されました。スルタンや官僚、市民たちの余ったお金は、社会の格差を埋める方向に使われていったのです」
大事なのは旅行者へのホスピタリティー
下山さんによると、東京ジャーミイはインドネシア、マレーシアを中心とした東南アジアのイスラム圏の人々の間で、京都、富士山、ディズニーランドと並ぶ観光名所となっており、ツアーにも組み込まれているという。それだけに、下山さんは東南アジアからの旅行者に対するホスピタリティーの重要さを指摘する。
「今後、東南アジアから来るムスリムの人たちの日本へのツアーは、ますます増えてくると思います。足りないのが、ハラール料理(※3)をふるまうレストランや、礼拝ができるような設備を整えたホテルなどの宿泊施設。『旅人に対するホスピタリティー』を誇る日本ですが、イスラム教徒への理解やおもてなしの心は、まだ十分ではないように思います」
イスラムに近づく方法は“ヒューマン・コンタクト”
今後ますますムスリムとの関係が深くなっていく状況で、どうすれば日本人はもっとイスラム教を理解できるのだろうか。
「人間が何か別の世界に踏み出す時には、人間に触れることから始まる。『ヒューマン・コンタクト』こそが、新しい世界に踏み出す時に背中を押してくれるものだと思います。私の場合も、東大農学部の博士課程にいたイラク人留学生の人柄に触れたことが、イスラム教徒になろうかどうか迷っていた自分の背中を押してくれました。
彼は私にイスラム教徒になれと言ったわけでは決してない。彼の人間的魅力、つまりイスラム教徒としての寛容さや兄弟愛に魅かれたのです。
イスラムとは生き方であり、イスラム教徒の生活のすべてなのです。日常的なことから興味を持ってもらって、人間とのふれあいからイスラムを感じる。モスクを芸術として見に来るだけでもいい。『モスクってこんなに美しいんだ』そこからでもいいんです」と下山さんは話す。
「ヒューマン・コンタクトの面からいえば、イスラム教徒に会ったらぜひ『アッサラーム・アライクム(あなたの上に平安がありますように)』と声をかけて、手を差し伸べてみてください。たとえ知らない人からであっても、この言葉をかけられたら、とても心が落ち着きます。先ほども、インドのカシミール地方から来られた親子に声をかけましたが、親しげに微笑んでくれましたよ」
下山さんは最後にこう締めくくってくれた。
「アフリカで、普通の人ができない体験をした私だからこそできることがある。日本ではイスラムという宗教は誤解されています。イスラムの正しいメッセージを一人でも多くの日本人に伝えていきたい」
取材協力=東京ジャーミイ・トルコ文化センター
撮影=コデラケイ
(※1) ^ イスラム歴の9月(ラマダン)の約1ヵ月間、イスラム教徒は日が昇ってから沈むまでの間、いっさいの水や食べ物を断つ斎戒(サウム)を行う。我欲を抑制することで、忍耐力を高めると同時に、貧しい人々の置かれている状況に思いを馳せ、喜捨をさしだす。アッラーの恵みに感謝する1ヵ月。
(※2) ^ ワクフ ― その伝統と「作品」(ナジフ・オズトルコ著/東京・トルコ・ディヤーナト・ジャーミイ/2010年)より。
(※3) ^ ハラール(Halal):イスラム法において合法な製品・食品のことをいう。例えば、食肉などは、監査員の管理の下、衛生的かつ清潔な工場や施設で処理されたものだけが、ハラール認証を受ける。聖典クルアーンにもアッラーの名のもとで屠殺処理されたものでないと口にしてはいけないと説かれている。