サイエンス・フロンティア

【大日本印刷】印刷するように細胞を培養する

科学 技術

印刷業界トップとして揺るぎない実績を持つ大日本印刷では、再生医療をはじめとしたライフサイエンス事業にも力を入れている。印刷と再生医療は全くの異分野だが、意外にも共通点が多い。

再生医療をもっと身近に

人工的に培養した細胞を使い、病気や事故などで傷ついた組織や細胞を治療する“再生医療”。2013年4月に再生医療推進法が成立し、国と民間による再生医療の推進に拍車がかかる。しかし、国内では皮膚、軟骨(患者自身の細胞を培養して作った皮膚、軟骨を移植)などごく一部の技術が実用化されているにすぎず、より多くの人が再生医療を受けられるための技術革新が求められている。

大日本印刷ライフサイエンス研究所の清水雄二所長(左)と第1研究室の土屋勝則室長(右)

大日本印刷は、これまでに培ってきた様々な印刷技術を応用して、大量の細胞を培養する技術の確立を目指している。“量産”が可能になれば、より安価で再生医療を提供できる。「グーテンベルグの発明以来、印刷技術は書物の普及に貢献し、ひいては世界の文化や宗教の発展につながりました。それと同じように、医療分野でも印刷技術を応用して細胞シートを安定的に大量生産できる技術を確立し、より多くの人が再生医療を受けられるようにしていきたい」と話すのは、大日本印刷ライフサイエンス研究所の清水雄二所長。

大日本印刷のライフサイエンス事業の歴史は古く、80年代の尿検査キットに始まり、無菌加工を施した医薬品包装材料や血糖値センサーチップなどを製造してきた。しかし、これらはどれも“紙”と“印刷”という範ちゅうから出ていない。

印刷技術で立体的な血管を作る

そこから本格的な医療へと踏み込んでいったのは2000年頃のことだ。2004年、東京医科歯科大学との共同研究により、文字や写真などの印刷原板を作るパターニング技術を応用して、毛細血管のパターン形成技術を確立。これは直径10マイクロメートル(1ミリの100分の1程度)の極めて細く複雑な形状の毛細血管を人工的に作り出す技術で、ヒトの血管パターンをガラス基板上に描画し、そのパターン通りに立体的な毛細血管を作成することができる。

毛細血管のパターン化には、紫外光を照射して基板上に微細な回路パターンを転写させるフォトマスク技術(※1)を応用した。通常のフォトマスクでは感光性樹脂を使用してパターン描画を行うが、毛細血管の場合は細胞が吸着しない特性を持つポリエチレングリコール(PEG)という高分子を利用する。細胞を増殖・伸展させたい形になるようにPEGでパターンを描いたガラス上に正常な血管内皮細胞を載せると、細胞がPEG部分をキレイに避けて接着・移動・増殖しパターン形成が行われる。

パターン形成により立体的な毛細血管を作り出すまでの流れ

しかしパターン形成されても、ここまではまだ平面的な状態だ。そこでガラスに形成された平面的なパターンを羊膜(妊婦の子宮内で胎児を包んでいる薄い膜)に移して培養すると、血管細胞が羊膜上で管を巻くように育っていき、立体的な毛細血管として再生される。

ヒトの血管パターンから形成された血管を、局所的な貧血状態にある虚血マウスの体内に移植すると、貧血状態が回復し運動機能が改善することも確認された。ヒトで臨床応用するならば、血管新生を促したり、逆に血管の働きを抑制してがん細胞を死滅させることなども考えられるという。また、この技術を応用して骨や歯根膜の細胞を培養すれば、欠損した頭蓋骨の再生や歯周病の治療なども可能になる。

同社では、こうした成果を踏まえ、2006年、東京女子医科大学先端生命医科学研究所内にライフサイエンス研究所を構え、本格的な再生医療の研究に取り組むようになった。

細胞シート培養基材の量産技術も確立

再生医療の普及を見据えた “量産技術”としては、東京女子医科大学や同大発バイオベンチャーのセルシードとの共同研究による、細胞シート培養基材の開発がある。患者自身の細胞を薄いシート状に培養して作り出す細胞シートは「生きた絆創膏(ばんそこう)」とも呼ばれ、患部に貼り付けるようにして移植する。細胞シートは、バラバラの細胞を注射器で注入する方法と比べて細胞の患部への生着率が高く、従って同じ細胞数でも治療効果が大きいといわれている。さらに、細胞シートを積み重ねることで、3次元的な組織や臓器などを作ることも将来的には可能になるという。

通常の細胞培養において、細胞は培養シャーレの底面に接着しており、特殊な酵素を使わないと回収できない。細胞シートは、細胞をシャーレの中でシート状になるまで増殖させ、それを回収することで作られるが、ここで前述の酵素を使うと、細胞が剥がれるだけでなく細胞同士の接着も切れてしまい、結局バラバラの細胞でしか回収できない。この問題を解決するため、東京女子医科大学では、温度によって細胞の接着性が変化する高分子層をシャーレ底面に固定化し、温度を低下させるだけで細胞をきれいに剥がすことのできる温度応答性基材を使った培養技術(下図)を開発している。

37℃のときは疎水性の表面だが、20℃になると親水性になり、シート状のまま細胞を取り出すことができる

大日本印刷は、この温度応答性基材をロール状にして量産化することに成功した。ベースとなったのは液晶ディスプレイ用フィルムを製造する際のナノ加工技術だ。高精度のフィルムを量産するだけでなく、フィルム表面に微細な凹凸をつけたり、毛細血管再生の際にマイクロパターンを形成したりするなど、機能性フィルムの実現も視野に入れている。コストや技術面でまだ課題の残る細胞シートだが、大日本印刷の量産化技術によって実用化が加速されることが期待されている。

「研究を進めるうちに印刷と再生医療の接点が少なくないと気づくようになりました」と土屋勝則室長は言う。「開発当初は医療現場でのニーズや常識もわからず、戸惑うばかりでした。医療ではコストや均質性よりも安全性が第一。それが紙媒体を扱う印刷との一番の違いです。そうした中で、印刷技術の再現性の高さをどのように活かすか。今も試行錯誤の連続ですが、医師や研究者などから『印刷会社ならこんなことができるのでは』と、ようやく期待されるようになってきました」

大日本印刷のライフサイエンス研究所は決して規模の大きな研究組織ではない。しかし大学や医療機関との連携により、異分野だからこそ可能な視点を活かして再生医療に新たな道を切り開こうとしている。

取材・文=牛島 美笛

(※1) ^ フォトマスク
電子デバイスの微細な回路パターンの原板となるガラス板のこと。フォトマスク上のパターンをシリコンウェハ上に露光して半導体回路を作る。フォトマスクの精度によって半導体デバイスの機能も左右されるため、高精度な微細加工技術が求められる。

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