スクリーンを通して等身大の日本を—中国における日本映画受容の現状
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いま、中国の映画市場が熱い! 2015年に358本の国内外の映画が上映され、約8400億円(440億元)の興行収入を上げた(昨年度の日本の年間映画興行収入は2171億円)。そして、その興行収入の4割を稼ぎだしたのは、80本の外国映画であった。
中国政府は自国の映画産業を保護すべく、外国映画の年間上映本数に上限となる「枠」をあらかじめもうけているが、その大半がハリウッド産のシリーズ物やディズニー映画に占められているのが現状である。米国以外の外国映画にとって、枠内に割り込むことさえ至難の業であり、日本映画も例外ではない。
日本アニメはハリウッド映画に太刀打ちできるのか
12年1月から16年9月中旬現在にかけての約5年間、中国で一般公開された日本映画は計7本で、5本はアニメーションである。『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦!ベリアル銀河帝国』『STAND BY ME ドラえもん』『名探偵コナン 業火の向日葵』『BORUTO -NARUTO THE MOVIE-』『ドラえもん 新のび太の日本誕生』、そして『ビリギャル』『寄生獣』がそれにあたる。
そのうち、2015年に中国で一般公開された『STAND BY ME ドラえもん』は米国以外の外国映画の年間興行成績第一位(約90億円)という快挙を成し遂げた。それまですでに数本の『ドラえもん』映画が中国で一般公開されているが、いずれもヒットに至らなかった。映画公開に先んじて海賊版の横行が影響していたからである。
それに対して、映画館でしか鑑賞できない、3D仕立てのアトラクション的効果は『STAND BY ME ドラえもん』のヒットに寄与したのであり、加えてここ数年「ドラえもんのひみつ道具100」展などのイヴェントが中国各地で頻繁に行われていることもヒットの下地となったように思われる。競争の白熱化する中国市場にあって、「クールジャパン」の代名詞である日本アニメも必ずしも「安全パイ」ではないようだ。そして、日本の実写映画の受容はさらに厳しく、近年上映された『ノルウェイの森』などの興行成績は決して芳しいものではなかった。
中国における日本映画の黄金時代
だが、今から30年ほど前には日本映画の黄金時代があった。文化大革命(1966~76年)が終わり、一種の自己喪失状態にあった当時の中国の人々は、日本映画にこぞって熱狂し、高倉健ら日本の映画スターが中国で国民的な人気を博した。1978年から91年までの14年間、計76本の日本映画が中国全土で上映された(そのうち、実写映画が74本、アニメが2本)。保有外貨が限られている中国の経済事情にあって、徳間グループを一代で築き上げた徳間康快は採算を度外視してまで日本映画の紹介に努めていた。それによって持続的な日本映画ブームが形成されることとなった。
しかし、80年代後半以降、欧米の娯楽大作映画も中国市場に進出してきて、日本映画の地位を脅かすようになった。その頃、「ハリウッド的なアクション物を持ってきてほしい」という中国映画界の要望に対して、日本側は田宮二郎主演の『早射ち犬』(1967年)や石原裕次郎主演の『嵐の勇者たち』(69年)などの旧作で間に合わせるしかなかった。中国市場のニーズに合わなくなった日本映画は次第に人気がなくなったのである。
近年、ハリウッドの大作映画や中国産娯楽映画が牛耳るようになった中国映画市場では、日本映画は参入する余地がほとんどなくなっているのが現状である。ここでは、日本映画の中国進出を考える上で示唆に富んだ事例として、『ビリギャル』を取り上げてみよう。
スクリーンを通して等身大の日本を
中国での一般公開(2016年4月より)に先駆け、『ビリギャル』は2015年6月にすでに上海国際映画祭において特別上映された。その際に筆者は数百人の中国の観客とともに、中国語字幕スーパー付の同作品を鑑賞した。一部コミカルな日本語のセリフは、中国語字幕版で当り障りのない「温い」中国語にすり替えられていたという点をいささか残念に思っていたが、にもかかわらず、客席のあちこちから聞こえてくる大きな笑い声に私は驚いた。
観客の一部は明らかに日本語学習経験者で、日本語を分かっていて中国語字幕を介さずに日本語のセリフに反応したからだ。また、上映が終わった後、筆者が観客に取材を行った際に、「大学受験を経験した私たちにとっては、この映画はたいへん共感しやすい内容だ」「日本の若者の日常生活や、その家族関係を垣間見ることができて良かった」といった感想が寄せられた。
そして、今年4月に『ビリギャル』が一般公開され、7億円以上の興行収入を上げ、さらに、中国最大の映画雑誌「大衆電影」に『ビリギャル』評(梅雪風[メイ・シュアフォン]著)が掲載されたほど好評を得た。その映画評の論旨を以下のようにまとめてみた。
一部の中国の青春映画は、青春にまつわる複雑で多元的な位相から、「女の子を口説く、少年グループが殴り合う、少女が中絶する」といった暴力・エロスの要素だけを取りだして〈青春〉を一面化し、退廃的な価値観を無批判的に提示している。そこには、一部の観客の猟奇的なのぞき趣味につけ込んだ、作り手の商業主義的な狙いが見て取れる。それに対して、一人の少女が失われた自分の存在価値を取り戻そうと奮闘していくというストーリーの『ビリギャル』は、青春に伴うさまざまな問題点を回避することも拡大することもなく、等身大の〈青春〉を活写している。善なるものへの信頼や、未知の世界に対する探求心、人間に対する寛容で平等な接し方といったヒューマニスティックな精神が作品の根底に流れており、それが明快なストーリー展開と相まって観るものに鮮烈な印象を与えた。
このように『ビリギャル』は、中国の青春映画の製作に対して一つの方向性を示した作品として高い評価を受けたのである。
日本への観光客の増加や、インターネットの発達により、日本が中国人にとって身近な存在となり、等身大の日本に対する関心も高まっている。『ビリギャル』効果もそのような関心の表れといえるだろう。今後中国では、アートシアターの建設が進められ、観客のニーズも多様化すると推測される。等身大の日本を描いた映画への需要も同時に増えていくのであろう。
人的交流の可能性
中国における年間映画観客動員数(2015年度)は約12億人、その平均年齢は22歳未満である。市場原理に基づいて、最大公約数の観客のニーズに応えるために、中国の映画製作は「ネット世代」と言われる観客の嗜好(しこう)を無視できない。そのため、ネット小説、ネットゲーム、ネット上のはやりのコント、あるいは流行歌、流行語の一つだけでも、映画の素材となり得るのだ。また、ネット上の反応は、作品の評価や興行成績に決定的な影響を与えている。ちなみに、中国での映画チケットの販売数の6割がネット販売によるものであり、米国の2割をはるかに上回っている。
一方、ネットへの依存は、映画作品の内容と質の低下を招きかねないという現実が、中国の映画評論家にしばしば指摘されている。例えば、現在の中国市場では、ヒット作といえば、80億円(5億元)以上の興行収入を意味する。
ヒット作の一部は、若手監督のデビュー作である。これら新人監督の何人かは、若年層の観客の嗜好を知り尽くし、それに沿ったアイデア・企画を持ち、資金調達もできる。演出の力量は乏しいが、有能なカメラマンなどベテランのスタッフに支えられ、辛うじて作品として仕上げることが可能だ。しかし長い目で見れば、こうしたことを繰り返していたら中国の映画文化の衰退につながることが危惧される。
その中で、2016年度上海国際映画祭では、山田洋次監督の『母と暮らせば』『家族はつらいよ』が上映され、また阪本順治監督の『団地』が最優秀女優賞を受賞した。撮影所システムの中で演出を磨いた山田監督の手腕、あるいは低予算の厳しい製作状況の下で作品を手堅く仕上げた阪本監督の仕事ぶりが中国でも評価されたわけだ。
事実、上海国際映画祭開催中に、日本映画を追い掛けて観賞する中国の映画人に何人も筆者は出会った。「日本映画の繊細な演出に学ぶべきところがある」と彼らが言っていたのは印象に残る。
また、2016年度上海国際映画祭・日本映画週間において『人生の約束』が開幕式を飾り、多くのファンが駆けつけた。しかし彼らはこの日本の「町おこし映画」に共鳴したというよりも、主演男優の竹野内豊、江口洋介を観に来たというのが実情に近いかもしれない。2人が1990年代後半以降の中国でヒットした一連の日本のトレンディドラマに出演し、高い知名度を誇るからだ。
現在の日中両国映画界の現状に鑑みて、大規模な合作映画の製作はすぐには難しいではないかと思われる。それよりも当面は、中国の映画製作に日本の優秀なスタッフが何らかの形で参画する、いわゆる人的交流が現実的ではないだろうか。
事実、16年度の上海国際映画祭の開催中に、松竹の本木克英監督が演出を手掛ける中国映画『UTA不是流浪狗(ユタは野良犬じゃない)』の製作発表が行われた。アニメとコミック原作映画に偏り、内向きの傾向にある日本映画界は、中国映画界と関わることにより、日本映画の活性化にも寄与することが期待できるのではないだろうか。
バナー写真:2016年4月14日、湖北省宜昌市の映画館で『ビリギャル』のポスターを眺める中国人女性=Imaginechina/時事通信フォト