ようやく普通の法律になった労働者派遣法
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世界的に極めて異例だった日本の派遣法
2015年通常国会でようやく改正労働者派遣法が成立し、極めて特殊であった日本の労働者派遣法がようやく先進国並みの普通の法律となった。しかしその道のりはなめらかではなかった。2014年3月に国会に提出した法案も、同年9月に提出した法案も廃案となり、2015年3月に提出した法案も野党の猛反対で延々審議が続けられ、ようやく(安全保障法案可決のためにわざわざ延長されていた)9月になって成立に至ったのである。しかし、国会での野党の主張やマスコミなどで語られる派遣法をめぐる議論は、日本の労働者派遣法の本質的な問題から目をそらし、情緒的な議論に終始するものであった。
労働法研究者の多くがうすうす気付いているにもかかわらず、あえて言挙げしてこなかったことは、今までの日本の労働者派遣法が世界的に見て極めて異例な仕組みであったということである。先進諸国の派遣法は、派遣労働者を保護するための労働法である。当たり前ではないかと思うかもしれないが、日本の派遣法はそうではない。派遣という本質的に望ましくない働き方を抑制するために労働者派遣事業を規制することが目的の事業立法である。問題は、派遣という働き方が誰にとって望ましくないのか、である。
日本独自の「常用代替防止」という法目的
派遣法制定時の政策文書に明確に書かれているように、「望ましくない」のは日本的雇用慣行の中にいる常用労働者(正社員)にとってであって、派遣という働き方をしている労働者にとってではない。それを象徴する言葉が派遣法の最大の法目的とされる「常用代替の防止」である。派遣という「望ましくない」連中が侵入してきて、われわれ常用労働者の雇用が代替されては困る、という発想である。
ではどうしたら常用代替しないように仕組めるか。1985年に初めて労働者派遣法が制定された時のロジックは、新規学卒から定年退職までの終身雇用慣行の中にいないような労働者だけに派遣という働き方を認めるというものであった。それを法律上の理屈としては、専門的業務だから常用代替しない、特別な雇用管理だから常用代替しない、と言ったわけである。
2015年改正前の労働者派遣法に定められていた専門的業務
1985年 法施行時 【13業務】 | 1986年 改正 【16業務】 | 1996年 改正 【26業務】 | 2002年 改正 【26業務】 |
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厚生労働省 今後の労働者派遣制度の在り方に関する研究会 第1回(2012年10月17日)資料「労働者派遣制度の現状」より。ピンク色の項目が各改正時の追加分
しかし、その「専門的業務」の主たる中身は、派遣法制定当時は結婚退職することが多かったOLと呼ばれる事務職の女性たちが担う「事務的書記的労働」(法制定に尽力した労働経済学者、故高梨昌氏の言葉)であった。「ファイリング」という職業分類表にも登場しない「業務」が最大の派遣専門業務となったのは、法律と現実の間の論理的隙間を埋めるものであり、後には事務職なら最低限のスキルとなる「事務用機器操作」が専門業務としてその隙間を埋めた。
このごまかしが世間で通用したのは、OLは新規学卒から結婚退職までの短期雇用という暗黙の了解の下に、派遣労働者でOLを代替することは常用代替ではないと認識されていたからであろう。男性正社員の終身雇用さえ維持できれば、OLがいくら派遣に代替されても構わなかった。その虚構を維持するためなら、高度な専門業務をやっている男性の派遣を「専門的業務でないから」といって禁止しながら、実際には補助的な事務を担う女性の派遣ばかりが「専門的業務」の名の下に増加しても、誰も文句を言わなかったのである。
抜本的な作り替えのチャンスを逃した1999年改正
このごまかしに満ちた特殊な日本型労働者派遣法を抜本的に作り替えるチャンスが実は一度だけあった。国際労働機関(ILO)の181号条約制定を受けて行われた1999年の派遣法改正である。筆者は1997年のILO総会で同条約の採択過程に立ち会い、世界の政労使が交わす議論をつぶさに見てきただけに、この改正が新条約の思想に立脚して行われると考えていたが、残念ながらそうはならなかった。「常用代替の防止」という日本独自の派遣法思想は何の修正もなく維持され、専門的業務だから常用代替しないというフィクションも維持された。
1999年の改正では、それまで専門的業務だけに限って派遣が認められていたのが、期間制限を設けることで、すべての業務(一般業務)に派遣が認められた(建設や警備、医師・薬剤師・看護師など一部を除く)。常用代替防止を目的とする法律に付け加えられたのは、専門的業務より常用代替する危険性のある一般業務について、派遣期間を限定するから常用代替の危険性が少なくなるという新たなロジックである。
この奇妙なロジックの矛盾が露呈したのが、2009年のいよぎんスタッフサービス事件最高裁判決である。普通の雇用であれば有期契約を何回も反復更新すれば雇い止め(契約更新拒否による雇用終了)が制限される可能性が出てくるのに、日本の裁判所は、「同一労働者の同一事業所への派遣を長期間継続することによって派遣労働者の雇用の安定を図ることは、常用代替防止の観点から同法の予定するところではない」、「原告の雇用継続に対する期待は、派遣法の趣旨に照らして、合理性を有さず、保護すべきものとはいえない」といって、それを認めなかった。日本的派遣法は、直接雇用の有期契約労働者に比べて派遣労働者を差別することを要求しているのである。この事件はILOに訴えられ、勧告までなされた。
「専門26業務」という虚構を廃止した今回の改正
今回成立した改正労働者派遣法は、その元になった厚生労働省の研究会報告において史上初めて、特殊日本的「常用代替防止」論からの部分的脱却を打ち出した。そこでは、「登録型派遣の労働者派遣契約終了に伴う雇止めの効果が争われた裁判例においては、常用代替防止という派遣の趣旨に照らし、労働者の雇用継続の期待は合理性を有さず、保護すべきものとはいえないとの判決がなされており、常用代替防止という派遣法の趣旨と派遣労働者の保護が両立しない場合があることが明らかになった」と指摘し、専門26業務という虚構の概念をなくすことを提起したのである。これは筆者が以前から主張していた点であった。
その後、政労使三者構成の審議会の議論などを経て国会に提出された今回の法改正は、派遣会社に無期雇用される派遣労働者については、期間制限を撤廃した。また、有期雇用の派遣労働者については、労働者個人の側では派遣先の同一組織単位(課など)ごとに働ける期間の上限は3年とされ、派遣先側では派遣労働者の受け入れ期間を原則上限3年としつつ、働く人を代えれば、過半数組合などへの意見聴取により期間を延長できるというやや込み入った仕組みとした。
欧州諸国ではパートタイマーや有期契約労働者と同様に義務付けられている派遣労働者と派遣先労働者との均等待遇については、従前通り努力義務にとどめられたが、派遣法と同時に成立した議員立法によるいわゆる同一労働同一賃金法によって、3年以内に必要な措置を講ずることとされた。
派遣労働者保護のための法律への第一歩
均等待遇原則や集団的労使関係システム(労働組合や従業員代表など)の活用が極めて不十分であるなど、細かな点ではいろいろと問題もあるが、世界共通の原則に基づく派遣法に転換しようとしている今回の改正は基本的な方向性としては正しいものである。残念ながら国会審議やマスコミの議論はその意義を理解しないものがほとんどであった。
これまで3年という上限がかかっていた一般業務(その中には医療関係のように世の中では極めて専門的とみなされる業務も含まれる)について、無期雇用であれば3年を超えて派遣できるようになることを「一生派遣」と称して非難する一方で、これまで上限なく無制限に派遣できていた「専門的業務」(その実態は上記の通りOLたちの「事務的書記的労働」であった)については、ずっと派遣で働けると思っていたのに3年できられるのはひどい!と非難するといった状態であった。いずれの議論も論理的に可能であるが、同時に主張するのは論理的に矛盾するという認識もなかったようである。
いずれにせよ、男性正社員の常用代替防止ばかりを金科玉条にしてきた旧来の思想がようやく法律条文から払拭され、派遣労働者保護を第一に考える法律への第一歩が踏み出されたことになる。今後は3年間の猶予を与えられた均等待遇問題に加え、労働組合や従業員代表をどのように関与させるかという集団的労使関係の問題が政策課題として浮かび上がってくることになるであろう。▼あわせて読みたい
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