産経新聞・前ソウル支局長在宅起訴を考える

政治・外交

産経新聞ウェブ版に掲載された加藤達也・前ソウル支局長の記事によって、韓国内では「言論の自由」と「国内事情」とのせめぎ合いが起こった。だが、今こそ改めて問い直すべきは、加藤記者の記事そのものではないだろうか。 

すべての始まりは、「大統領をめぐる風聞」から

2014年7月18日の朝鮮日報に、崔普植(チェ・ボシク)記者が書いた「大統領をめぐる風聞」というコラム が掲載された。それから約2週間後の8月3日、「MSN産経ニュース(ウェブ版)」に「【追跡~ソウル発】朴槿恵(パク・クネ)大統領が旅客船沈没当日、行方不明に…誰と会っていた?」と題した、加藤達也産経新聞ソウル支局長(当時。現在、社会部編集委員)の記事が掲載された。

その内容は、主に崔普植記者の記事を引用しながら、韓国の旅客船セウォル号が沈没した4月16日当日の朴槿恵大統領の動向に関する噂に関するものであった。それは、事故当日朴槿恵大統領がある男性と密会しており、それゆえこの重大事に大統領との連絡が困難になったというものであった。

産経のこの記事に対し、韓国政府のみならず韓国のメディアや世論は強く反発した。韓国大統領府は産経新聞ソウル支局に抗議し、駐日本国大韓民国大使館は産経新聞東京本社に「名誉毀損などにあたる」として記事削除を要請した。その後、ソウル地検は加藤記者に出頭を求めるとともに、出国禁止処分としたほか、10月8日にはとうとう「情報通信網法違反」の罪で在宅起訴という処置をとった。ちなみに、この法律は、「人を誹謗(ひぼう)する目的で情報通信網を通じ、公然と偽りの事実により、他人の名誉を傷つけた者は7年以下の懲役、10年以下の資格停止または5000万ウォン(約500万円)以下の罰金に処する」というものである。

日本の政府やメディア、世論は一斉に反発へ

韓国の検察のこうした一連の処置に対して、日本の政府、メディア、世論のみならず、海外のいくつかのメディアも批判や反発の度合いを強めていった。さらには、韓国内のメディアからも批判の声が上がるようになった。日本国内での主な主張は以下の通りである。

第一には、大統領は最高の「公人」であり、様々な批判や風聞の対象になるのは当然であるから、名誉毀損の罪を適用するのは不適切というものである。それに関連して第二には、民主主義社会におけるメディアのもっとも重要な役割は権力監視機能であり、それ故こうした処置は民主主義の精神に反するというものである。また第三には、上述したように、産経のこの記事は朝鮮日報の記事に大きく依存したものであるから、加藤記者だけを処罰の対象とし、崔普植記者を処罰しないのは合理性に欠くというものである。

産経新聞社、断固たる姿勢で対応

こうした批判は、本事件の当事者である産経新聞紙上での主張(2014年10月9日付)、「韓国の国内法をもとに外国の報道について捜査し、国際社会の懸念の声を無視する形で“強権発動”に踏み切った極めて異例の事態だ。民主国家を自任する韓国ではあるが、言論の自由が脅かされている」に集約されよう。この主張それ自体が妥当性を持つことは疑いない。

産経新聞はこの問題に関する世論調査をFNN(フジニュースネットワーク)と共同で実施し、紙面で公表した(2014年10月21日)。質問として「韓国のソウル中央地検は、朴槿恵大統領の名誉を傷つけたとして、産経新聞の前ソウル支局長を在宅起訴した。報道をめぐって外国メディアの記者を起訴するのは極めて異例だ。韓国の対応に納得できるか」という項目を掲げ、これに対して「納得できる4.9%、納得できない88.5%、その他6.6%」という結果を掲載したのである。調査の実施主体が産経新聞ということを差し引いても、日本の世論がこの起訴に関してきわめて厳しい姿勢を示していることが分かる。

問題の背景には、両国関係の冷え込みも大きな一因に

当問題がこのように深刻化した理由はいくつか考えられるが、日韓国交正常化以降「最悪」と評される、近年の日韓関係がそのトップに来るのは言うまでもない。検察や裁判所が、外交関係や世論の影響を受けるべきではないという主張は正しい。しかし現実には、検察や裁判所も「政治」に影響を及ぼすことのできる、有力な「政治エリート」機関である以上、そうした外的な環境とは無縁ということは通常はありえない。

日韓首脳会談がこれほど長期にわたって行われず、韓国国民の日本に対する印象も依然として悪いままである。最近の日韓共同世論調査(2014年7月、特定非営利活動法人「言論NPO」が実施。同ホームページより引用)では、韓国国民の日本に対する印象は「良い印象」17.5%、「悪い印象」70.9%、となっている(図1参照)。

この調査では、「歴史問題に関する日韓両国民の認識」に関して「日韓の歴史問題で解決すべき問題」は何かという質問も行われているが、韓国側の回答結果は、「日本の歴史教科書問題」81.9%、「日本人の従軍慰安婦に対する認識」71.6%、「侵略戦争に対する日本の認識」70.6%が上位を占めている(図2参照)。

こうした韓国内の世論を見る場合、安倍首相が2013年12月に「靖国参拝」を強行し、また「河野談話」の検証を通じた「慰安婦問題」の見直しに熱心な姿勢を示していること、それをもっとも強く後押ししてきたマスメディアが産経新聞であるという事情を勘案する必要もあるかもしれない。韓国検察当局の厳しい処置の背景には、こうした要因が存在すると言える。

崔記者のコラムの真意は「秘密の暴露」ではない

繰り返すが、今回の処置は批判するに十分値するものである。しかし、それでもなお気になるのは、やはり加藤前ソウル支局長のコラムの内容のみならず、その質である。崔普植記者のコラムを読むと、この狙いが必ずしも大統領の秘密の暴露にあるわけではないのが分かる。

語るのも恥ずかしい噂が、なぜ公に語られるようになったのかという問いが提示されてはいるが、現政権に対する支持率の低さ、そして厳しい批判がこのコラムの中心に位置しているのである。以下は崔普植記者のコラムの大意からの抜粋である。

「国政運営で高い支持率が維持されているならば、噂(風聞)は立つ暇がなかっただろう。大統領個人への信頼が崩れ去ってさまざまな噂が広まってきているのだ。まるで、身体の免疫力が落ちると、それまで隠れていた病原菌が侵入して来るように(以下、中略)。国の革新を果たすには、まず大統領自身と周辺の人物を刷新することが先決である。」

このコラムは、朴槿恵大統領の危機管理能力、行政手腕に疑問を強く投げかけ、最後には人材登用の面での問題に言及している。崔普植記者のコラムでは、大統領の噂に関する部分はこうした批判を導くための手段なのであり、その真偽を問うものではない。ましてや、この噂をきっかけに大統領スキャンダルを韓国内外に拡散しようとする意図が存在するとは読み取れない。

加藤前ソウル支局長の記事の「内容」と「質」の検証を

加藤記者の記事は、終わりの部分で崔普植記者によるこの「下品な」噂が取り沙汰された背景の分析を引用し、「朴政権のレームダック(死に体)化は、着実に進んでいるようだ」という一文で締めくくられている。しかし記事の焦点は、圧倒的に大統領の秘密に当てられている。この記事は朝鮮日報の記事に大きく依存したものであるから、加藤記者だけを処罰の対象とし、崔普植記者を処罰しないのは合理性に欠くという検察批判を先に掲げたが、実はこの点がこの記事の質に対する疑問へと通じることになる。加藤記者は独自取材をすることなく、大統領の秘密の部分に関しては崔普植記者の記事をほとんどそのまま引用し、若干の補足説明をしただけで記事に仕立て上げている、いわば「伝聞記事」なのである。

産経新聞の「記者指針」には「正確と公正」が掲げられており、そこには「事実に基づかない記事や裏付けを欠く記事は、いかに客観性を装っても露見するものであり、それは産経新聞社にとって読者の信頼を損ねる自殺的行為となる。見出しについても同様である」という一文がある。加藤記者のこの記事は、まさにこの「裏付けを欠く記事」に相当すると言えよう。大統領のスキャンダルを扱うならば、やはり自ら取材し、事実を収集し、裏付けが取れた段階で記事にすべきだったのである。

日本新聞協会編集委員会は、10月9日に「(ソウル)地検の起訴強行は極めて遺憾であり、強く抗議するとともに、自由な取材・報道活動が脅かされることを深く憂慮する」という声明を出した。こうした声明を出す意義と必要性を認めつつも、同時に加藤記者のこの記事の内容と質それ自体に関しても、あらためて検証する必要があると思われるのである。

(2014年11月4日 記)

タイトル写真:2014年5月19日、韓国セウォル号事件を受けて謝罪し、海洋警察の解体を発表する朴槿恵大統領(写真提供:Yonhap/アフロ)

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