「危機は認めつつも何もしない」中国・習近平新体制人事
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2012年11月14日、中国共産党第18回全国代表大会(十八大)が閉幕。その翌日、十八大で選ばれた中央委員によって行われた第18期中央委員会第1回総会で新しい最高指導部が選出され、習近平総書記率いる新体制が発足した。
世界のメディアが競って予測してきた最高指導部メンバー(中央政治局常務委員)は、これまでも常務委員を務めていた習近平(59歳)、李克強(57歳)の2人に、新たに選ばれた張徳江(66歳)、兪正声(67歳)、劉雲山(65歳)、張高麗(66歳)、王岐山(64歳)の5人を加えた7人となった。
常務委員の発表を受けて日本の新聞の多くは、「7人中6人が江沢民元国家主席と近い」として、人事が江沢民派(上海閥)の〝完勝〟だったという分析を載せた。
だが今回の人事が意味しているのは、本当にそんなことだろうか。
厳しい対日外交は人事と関係なし
十八大の人事については、多数決による集団合議で政策が決まる最高指導部内でどの派閥が最大勢力になるかという点に注目が集まり、それが今後10年の中国を占うカギになると考えられてきた。
そして人事の結果を受けて日本のメディアが導き出した答えは、「対日強硬路線が党内で強まる」というものだった。最高指導部内で江沢民派が優勢となったため、個人的に日本を嫌う江沢民の影響で対日関係が強硬になるというのだ。
だが、現在の厳しい対日外交は人事と関係なく始まったものではないだろうか。中国の対日強硬姿勢が鮮明になったのは2012年9月のことだ。このとき、多くの日本のメディアは「江沢民の影響力が党内で強まった」とか「依然として江沢民の影響力が強いことが証明された」などと解説した。これが事実なら、最高指導部のメンバー構成がどうであれ、江沢民は影響力を自在に発揮できることになり、今回の人事で無理やり子飼いを最高指導部に押し込む必要などないのではないか、と疑いたくなる。
共産党人事は「コップの中の嵐」
そもそも、日本のメディアは、少し前まで、習近平を江沢民派ではなく太子党(共産党幹部子弟のグループ)と分類し、薄煕来(元重慶市書記、政治局委員)の同志と位置付けることで、胡錦濤国家主席派(共青団閥)と江沢民派、そして太子党の「3派鼎立(ていりつ)」という構図で共産党の政策決定を描いてきた。しかし、こうした派閥争いの構図と現実の政治展開(例えば、薄煕来の失脚)との整合性がいつの間にか失われていることを考えれば、「江沢民派が優勢」などと報じることは、あまりにも無責任だと言わざるを得ない。その意味でも、ここからは「派閥がすべて」の中国分析から距離を置いて、あらためて共産党という組織が現在置かれている状況と向き合ってみたい。
もちろん人事が動く以上、そこに何らかの利害衝突や摩擦が起きるのはつきものだ。だが、重要なのは、それが中国の未来を語る上でどれほど大きなウエートを占めるか、なのだ。5年前ならいざしらず、この国の主役が共産党から民意へと移ってしまった現状を考えれば、共産党内の人事問題などしょせん「コップの中の嵐」でしかないというのが筆者の考えだ。
「腐敗撲滅」の改革こそが最重要課題
では、十八大で筆者が注目したものは何か。それは政権党としての中国共産党に対する中国国民の信任に大きく影響する、党の改革に対する姿勢だ。
十八大初日の政治報告で、胡錦濤が「腐敗の問題にうまく取り組むことができなければ、党と国家は致命的な傷を受け、ひいては党も国も滅びる」と警告したことは、まさにこの大会の核心だ。胡錦濤から政権を引き継いだ習近平が、総書記就任後の最初の記者会見で、同じように「腐敗の撲滅」を強調したことは、この課題が党の悩みとして共有されていることを意味している。
2012年3月の全国人民代表大会閉会後、温家宝総理は「改革を進めることができなければ共産党はこれまで積み上げてきたすべてを失う」と語った。これもまた同じ文脈で語られるべき危機感だろう。
十八大の開催前には北京の異常なまでに厳しい警備体制が話題になったが、これもまた党の危機感の強さを裏付けていた。大会期間前から北京の街では、市内を走るタクシーの窓が開閉できないように取っ手が外されていた。これは反政府勢力が共産党を批判するビラをまくことを防ぐ目的だった。安全検査や持ち物検査を市民の足である地下鉄の中でも実施し、外から北京に入る列車では4回も検査が行われた。また、街のおもちゃ屋でラジコンのヘリコプターを買おうとした者には身分証の提示が求められたりもした。
つまり、共産党指導部は明確にある種の危機を見据えていることになる。こうした視点に立って十八大の人事を見たとき、気になったのは、最高指導部入りの当落線上にあるとされた汪洋広東省書記の扱いだった。
広東省で改革に挑んだ汪洋を排除
汪洋がこの5年間、広東省の経営を担ってきたのは決して偶然ではない。広東は中国で最も新しいことが始まる実験場である。中央から距離がある一方で、大都市を抱えるため、北京では抵抗の強い改革も広東では試すことができる。汪洋はその広東で政治改革の最前線ともいうべき大胆な改革に挑んできた人物だ。
2007年、広東に赴任した汪洋は、最初に思想解放の重要性を強調した。汪洋は同年末の演説の中で、改革開放をさらに進めるため、広東は「殺出一条血路(命懸けで血路を切り開け)」と号令をかけ、演説中、計22回も「解放思想」という言葉を使ってハッパをかけた。
汪洋が広東で行った改革は幅広い。基層幹部を選出するための直接選挙の導入をはじめ、人民代表大会と政治協商会議の職能変革。また司法機構改革や汚職防止制度の確立。さらに政府の職能改革にまで踏み込んで俎上(そじょう)に載せた。区長選や市長選での差額選挙(信任ではなく、一定の割合で落選者が出る選挙)というアイデアに加え、権力の監視者としてのメディアの役割にもたびたび言及した。
だが、改革のひとつの成果ともされた烏坎(うかん)村事件――土地の強制収用に反対した住民が警察から暴行を受けたことに住民が怒って暴動に発展した事件で、長期間にわたり村が機能不全に陥ったため村民投票を実施。その結果、住民側リーダーが村長に選ばれた――が全世界的なニュースとなると、党中央(特に長老たちの間)では、汪洋に対するアレルギーが一気に噴出したとされる。烏坎村事件は、北京の一部長老の目には「毅然(きぜん)とした態度で臨まないから混乱を加速させた」と映る典型的な失敗事例だったからだ。結果として、十八大での汪洋の最高指導部入りはなくなった。つまり、管理者としての能力を問われたのだ。
人事で見せた“伝統的価値観の維持”というバランス
しかし、公式な統計こそないものの、「群体事件(群体性事件)」(3人以上が集まって起こすデモや暴動などの総称)が年間20万件を超えるとされる現在、「毅然とした対応」といっても限界があることは自明だ。実際、習近平新体制発足から1週間のうちに福建省と浙江省で大規模暴動が発生し、公安のパトカーが破壊され、現地のトップもつるし上げられた。
こうした状況の中で、「もし改革を本気でやらなければ……」という危機感が党内で共有されていることは、胡錦濤が政治報告で「思想解放」を何度も強調したことでも明らかだ。ただ、だからといって、それが共産党の伝統的価値観を否定するほどまでに強いかといえばそうではない。というのも、胡錦濤は十八大において危機感を強調する一方で、党の役割を肯定的に認めていたからだ。それが「3つの自信」(道路自信、理論自信、制度自信)である。要約すれば、党は正しく、「このままで良い」と言っているに等しい。
ここからは危機は認めつつも何もしない党の体質がうかがえるのだが、それこそが今回の人事の神髄ではないだろうか。この二律背反する現象は、日本社会でも見られる「危機感を持つ若者」と「気が付きながら何もしない老人」という世代間ギャップにも通じている。
薄煕来の存在が浮き彫りにした、民衆の経済格差への不満を背景とする「左傾」(毛沢東時代への回帰)という変化を排除し、また返す刀で汪洋という急進改革も退けた中国共産党が習近平新体制人事で最終的に選んだのは、伝統的価値観の維持というバランスだった、という落ちなのだろうか。
(2012年11月22日 記、文中敬称略、タイトル背景写真=新総書記に選出され、演説する習近平氏/2012年11月15日、北京・人民大会堂/撮影:Mark Ralston/AFP/時事)