ニッポンの就活事情
社会- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
2015年春に卒業した大学生のうち、就職を希望した学生の就職率は96.7%に達し、リーマンショック前の水準に回復した。景気低迷からの本格的回復を目指す日本であるが、数字を見る限り、ほとんどの学生は仕事を見つけることができる状況にある。
就職活動、いわゆる「就活」のよくある流れは、大学3年生あたりから将来のキャリアを考え、学内外で開催されるセミナーに参加し、4年生になって企業の求人に応募、選考過程を経て、内定を獲得し、卒業と同時に就職する、というパターンである。この採用選考の日程が、官民学一体となって横並びで設定されている点は、日本的な慣行であろう。
日本の大学には、就職課やキャリアセンターが設置されており、企業からの求人情報の紹介や、就職セミナー、個別面談など、手厚い指導が行われている。ある意味で、教育・研究とは別に、社会常識が不足している「コドモ」を、短期間で「オトナ」へと育成する重要な教育手段となっている。大学で就職部長を務めた私も含め、企業経験のない大学教員に就活指導は無理なので、専門のアドバイザーが指導にあたる。少子化の今日、学生確保は至上命題である。大学別の就職状況はメディアにより報じられ、重要なセールスポイントとなるため、いきおい就職支援は手厚いものとなる(もちろん、過剰な支援は学生の自主性を損ねるのであるが)。
就活の中で、それまで受け身でユルかった学生が、突如礼儀正しく敬語を話し、リーダーシップを見せ始める姿に毎年驚かされるものである。「常識」のある社会人へと脱皮する代わりに、何かを失っているのかもしれないが、とりあえずニッポンの「ビジネスパーソン見習い」が誕生するのである。
就活をめぐる混乱
2015年夏に繰り広げられた「2016年就活」は大混乱に陥った。というのも経団連が提示した「採用選考に関する指針」のもと、採用選考日程が「後ろ倒し」されたからである。従来は、3年生の12月1日から説明会やエントリー等の採用広報活動が始まり、新学期の始まる4月に採用選考活動(いわゆる面接)が解禁されていた。そのため授業期間中に4年生の就職活動が重なり、教育が機能不全に陥っていた。そこで大学の苦言を受けて、政府は企業側の広報活動を3月1日、面接を夏休み中の8月1日以降に「後ろ倒し」することを提案し、経団連加盟企業を中心に日程を調整したのであった。
しかし、このシステムは早々に混乱に陥った。企業の側は、当然早くよい学生を確保したいが、指針を遵守せざるを得ない。一方、経団連傘下ではない外資系企業は、指針に縛られず、早々に優秀な学生を採用した。同じく経団連の会員ではない中小企業も早々に採用を開始したが、実力主義で高給も期待できる外資系と異なり、有名企業・大企業を志望する学生の安定志向を反映して、なかなか人が集まらなかった。
そのため学生は就活の長期化に疲弊し、企業は目標人数を達成できず、フラストレーションのみが残った。その結果、「2017年就活」では、採用活動を2カ月「前倒し」して6月1日スタートとした。とはいえ、どの時期に設定しても問題は噴出するだろう。一斉採用という形態の限界ともいえる。
売り手市場:労働力人口の不足とオワハラ
こうした混乱の背景には、日本経済の回復とともに、「売り手市場」という状況がある。確かに日本の労働市場は近年大きく様変わりした。非正規雇用は4割に達し、平均所得も減少傾向にある一方、少子高齢化による労働力不足が深刻化している。保守的なイメージの安倍内閣でさえ、「一億総活躍社会」や移民の受け入れ緩和策などに取り組んでいる状況である。企業にとっては差し迫った問題だ。
売り手市場を背景に、企業からの評価が高い学生はいくつも内定を獲得している。しかし企業の人事部には胃の痛い状況でもある。優秀な学生の獲得を求められる一方、学生は気軽に内定を辞退し、人員の確保がままならない。「企業も学生を選んでいるのだから、学生も企業を選ぶのは当然」との強気の声も聞かれる。
こうした中で2015年の流行語ともなったのが「オワハラ」(就活終われハラスメント)。人事部が内定を出した学生に、以後の就活を終えるよう強要する新手のハラスメントである。学生からするとハラスメントであるが、採用を担当する側にとっては必死だ。80年代末のバブル時代には、内定した学生が他社に逃げないよう「研修」と称してリゾート地にカンヅメにしたという夢のようなエピソードもあったが、近年の日本企業にそこまでの余力はない。また学生が内定辞退を報告しに行ったら、その会社の人事担当者にお茶をかけられた、という昔話もあった。しかし今日、就活生が企業の潜在的顧客でもあるという認識が高まり、あまり荒々しいことはできなくなった。学生は即座にツイッターや掲示板に書き込むので、一瞬にして悪い企業イメージが拡散するリスクがある。
企業が求める人材とは?
内定を獲得する決め手は何であろうか。学歴は、少なくともウェブエントリーの段階で選別されてしまう点で、やはり重要である。しかしニッポン企業の人物評価は、学歴や大学の成績がすべてではない。
選考の過程では、試験に加え、面接が数度繰り返される。グループ面接では、集団における協調性とリーダーシップが、また数度の個人面談で、人柄や、コミュニケーション能力、潜在的能力が見極められる。中でも重視されるのは、失敗の経験である。どのような学生生活を送ってきたのか、失敗をどのように克服してきたのかなど、将来の仕事の中で必要とされる問題解決能力が評価されるという。またあえて高圧的な態度に出て、対応力を見る「圧迫面接」も存在する。
人を見るスペシャリストである人事担当者を前に、「サークルで副代表を務めたので、リーダーシップがあります」と明るく話すだけでは説得力がない。とはいえ、短時間の面接でどこまで個人の資質を評価できるのか、能力はあるが口べたな学生はどうしたらよいのか、問題は残る。
学生が求める企業とは?
学生に人気の企業ランキングが毎年発表されるが、企業の客観的評価というより、学生が「知っている」企業のランキングにすぎない可能性もある。就活の時期になると、商品よりも企業イメージをアピールする広告が多く登場するのはそのためであろう。こうした人気企業には採用人数の数百倍、数千倍の学生が殺到する。インターネットの登場とともに、学生がエントリーする企業数も増加傾向にある。50社どころか、100社エントリーした、という話も聞く。当然、ほとんどの学生が敗退する。多くの若者が何社も相手に、この敗北を繰り返し経験するのである。人生初の挫折感を味わい、立ち直れなくなる学生も少なくない。就活は精神力の戦いでもある。
学生が敬遠するのは、「ブラック企業」である。残業が月100時間を超えるような労働基準法違反の苛酷な超長時間労働。従業員を罵倒し、マインドコントロールに近いことをするような職場。行き過ぎたノルマと成果主義…。働く場があること自体はありがたいが、苛酷な労働環境は少なくない。とりわけIT業界など、仕事が殺到し、稼いでいる企業や、創業期のベンチャー企業は多かれ少なかれ「ブラック」な要素があっても不思議はない。仕事が楽な「ホワイト企業」に就職しても、倒産しては元も子もない。
時代の変化を映す就活
就職先をめぐる親子間の断絶や、親が子供の就活に干渉してくる「親活」は、時として大学と企業の悩みの種である。なぜなら日本経済の繁栄期に育った親世代は、自分の価値観を押しつけがちであるが、これがしばしば、時代とズレているからである。親世代は、大企業、有名企業、安定志向が強く、中小企業、無名のベンチャー企業を敬遠する。「知らない会社だけど大丈夫?」、「安定した大企業の方がいいんじゃない?」という一言で、子供が内定を辞退してしまうこともある。
確かに、大企業の給与や福利厚生、またブランド力は魅力的だ。しかし、誰もが知る企業といえども、経営不振に陥る例は後を絶たない。野心のある学生は、無名だがグローバルに展開する中小企業や、ITやゲーム業界などのベンチャー企業をあえて目指す場合も多い。また経済的利益よりもエコロジーなど、多様な価値観を尊重する企業を選ぶ学生も少なくない。
近年企業を悩ませているのは、就職後すぐに辞める新人が急増していることである。せっかく採用しても新人の3割は3年以内に辞める、ともいう。しかし企業は即戦力ではなく、将来性ある新卒を採用するため採用後の教育にコストをかけている。それ故、入社2~3年で辞めることは大きな損失となる。仕事のミスを注意したら、翌日から来なくなった、という例は珍しくない。昔と異なり「ほめて伸ばす」やり方で育てられた学生は、失敗や叱責に弱く、挫折に弱い。甘やかされて育ったから忍耐力が足らない、というのは中高年の弁。ハラスメントを受けた、仕事ばかりではなく生活を充実させたい、会社が倒産しても食べていけるように専門性を身につけたい、など若者にも言い分はある。
日本人の特徴とされた昭和の頃の愛社精神や滅私奉公といった姿勢は、もはや過去の遺物となり、転職も珍しくはなくなった。しばしば指摘されるように、今日、成長分野を牽引する企業は、学生たちが生まれた頃には存在していなかった。時代は大きく変化している。無名であっても、小規模であっても「明日のソニー」を見いだした学生か、会社が倒産しようとも、転職を重ねようとも、対応できる人材が、未来の勝ち組かもしれない。働くことの価値と選択肢は多様化しているのである。
就活には、日本社会の変化が凝集されている。人気企業の栄枯盛衰。日本人の働き方の変化や、世代間のコミュニケーションギャップ。もはや親レベルの豊かな生活を送ることはできない、と認識している若者が多いという。確かに非正規雇用の増加や、引きこもりの増加・高齢化に加え、一度ルートを踏み外すと元に戻りにくいことなど、日本社会が抱える問題は深刻である。人手不足社会でありながら柔軟性を欠いた労働のあり方を学生が不安に思うのも無理はない。就活生は、日本経済の変化と働き方をめぐる価値観の多様化に向き合っているのである。(2016年4月20日 記)バナー写真:合同企業説明会に集まる就活生=2016年3月、東京都江東区の東京ビッグサイト(時事)
▼あわせて読みたい
人手不足という「迷宮」―なぜ人と企業は出会えないのか? | 日本の雇用はこれからどうなるのか | 増加する「孤立無業」を直視せよ |