あの日から5年、福島の今は
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韓国での復興イベント中止:いまも深刻な風評被害
原発事故から5年を前にした2月、何ともやりきれない出来事があった。20、21日の2日間、韓国・ソウルで開催予定だった福島など被災地の復興をPRするイベントが、開催当日になって中止となった。韓国内の一部の市民団体の反対で、会場の使用許可が出なかった。「原発事故があった地域の食品を会場で配ったり販売したりすることは適切でない」というのが理由らしい。
他に政治的な事情もあったかどうかは分からないが、原発事故で猛烈な逆風にさらされ風評被害に苦しんでいる福島の生産者を思うと、何ともやりきれない思いだ。風評払拭に生産者、流通、行政が一体となって努力している中での今回の出来事は、福島県民にとっては残念でならないし、風評の払拭(ふっしょく)がいかに難しいかを改めて痛感させられた。
いまだに10万人が避難、除染は進行
福島では今も10万人近い人たちが県内外での避難生活を余儀なくされている。仮設住宅も5年が過ぎ、あちこちで傷みが目立ってきている。避難している人たちそれぞれに事情はあるだろうが、5年たっても住み続けなければならない、それが“仮設”と言えるのだろうか。
一方で、除染が進み、福島県内の空間放射線量は帰還困難区域など避難エリアや一部のホットスポットを除き、大幅に下がった。事故からしばらくの間は各地に設置された線量計の値を気にしながらの生活だったが、今ではそれもさほど気にならない。東京電力によると、3月からは第1原発構内の約9割のエリアで作業員が防護服なしに作業ができるようになるという。構内の除染や放射性物質の飛散対策が進んだことが理由で、今後は作業員の負担が軽減され、労働環境が大幅に改善されることが期待される。
ところで、事故直後に新聞やテレビなど様々なメディアで目にした片仮名表記の“フクシマ”。さすがに今ではほとんど見られなくなったが、当時は県民の多くが違和感を覚えた。「差別を受けているような思いだ」といった声も多く聞かれた。我々の局にも、視聴者から「片仮名表記は許せない」といった苦情の声が多く寄せられたことを今でも覚えている。5年が過ぎて、原発事故に対する人々の関心が薄れたこともあるのだろう。そうした声は今ではほとんど聞かれない。
インフラ整備は着々、第1原発の過酷な状況は変わらず
福島再生に向けた動きも、徐々にではあるが見え始めている。避難区域内を通る常磐自動車道は昨年3月に全線開通し、福島や宮城の復興に大きく役立っている。またJR常磐線も、東京オリンピックが開催される2020年までには全線で運転が再開される見通しだ。津波に襲われた沿岸部では海岸防波堤の建設が進み、防災緑地の整備も進んでいる。社会、交通インフラは多少の遅れはあるにせよ、一歩一歩進んでいる。
再生への動きが感じられる一方、事故を起こした第1原発の過酷な状況はいまも変わらない。炉心溶融を起こした1~3号機は溶け落ちた燃料がどのような状態であるのか、いまだに内部の詳しい様子は分かっていない。増え続ける汚染水の問題も深刻だ。凍土遮水壁、サブドレンなど様々な対策を施してはいるが、汚染水を止めることは難しい。
一基あたり1000トン入る汚染水用のタンクは、第1原発の構内を埋め尽くしている。その数は約1000基にもなる。タンク1基が3日で一杯になってしまうということで、このままのペースで増え続ければ敷地内だけでは収容しきれなくなる可能性すらある。
原発建屋に流れ込む地下水をどう止め汚染水を食い止めるのか、廃炉に向けた大きな課題だ。この他にも、用地取得の交渉が遅々として進まない中間貯蔵施設の建設問題、さらには今後40年続くとされる廃炉作業の熟練作業員確保が大きな課題だ。
伝わらない現実、広がる“温度差”
5年たって思うこと、それは福島とそれ以外の人たちとの“温度差”が広がったことだろう。県外の人たちと話すと、必ずと言ってよいほど「原発事故で大変ですね」と声をかけられる。それはそれでいまだに福島の事を思っていてくれてありがたいことなのだが、いまだに水素爆発で原発建屋が吹き飛んだ映像や、防護服に身を包み廃炉や除染作業にあたる作業員の姿など、事故直後のイメージのままの人も多い。
今でも多くの人が避難生活をおくり、大変な状況であることに変わりはないが、一方で復興に向け力強く進んでいる動きがあるのも事実である。そうした姿はなかなか伝わらない。県民のほとんどが事故前の日常に戻り、普段通りの生活を営んでいるのである。被災地のテレビ局として、県外の人たちに福島の正確な情報がなかなか伝わらないもどかしさを感じる。
原発の再稼働もそうだ。福島の事故直後は、国民の多くが原発事故を他人ごとではなく、自身の問題としてとらえた。だからこそ国民の間からは「原発ゼロ社会の実現」の声があがった。しかしその空気はこの5年で大きく変わった。川内、高浜と相次ぐ原発の再稼働でも、国民の間には反対の声はなかなか広がらなかった。「安全性に多少の不安はあっても、様々な事情を考えれば原発の再稼働もやむを得ない」との声も次第に大きくなっている。今後も福島と県外の人たちとの温度差はますます広がるだろう。
福島第1原発の廃炉は既に決まっている。原子力に頼らない再生可能エネルギーの重要性を世界に発信する拠点として、福島の果たして行く役割は何か。福島県沖の太平洋上に昨年、巨大な風力発電がお目見えした。郡山市には再生可能エネルギーの研究所が開所した。原発事故の過酷さを一番分かっている福島だからこそ、再生可能エネルギー社会の実現に向けたメッセージを全世界へ向け発信し続けなければならない。
「5年もたって…」:東電への不信
徐々にではあるが復興に向け動き出す中、東京電力からにわかに信じがたい発表があった。炉心溶融の判断基準となる社内マニュアルが存在していたにもかかわらず、この5年の間、見過ごしていたというものだ。事故直後から1~3号機で炉心溶融が起きていたにもかかわらず、東電はその当時、溶融の前段階の炉心損傷としていた。
炉心溶融を認めたのは、1カ月半も後の事。東電は「情報を隠したわけではない」としているが、県民からすれば「5年もたって何を今さら」である。今後、県民が納得できる説明がなければ、復興に水を差しかねない。
避難者への支援が急務
東日本大震災の復興は、これまでの「集中復興期間」から「復興・創生期間」に入る。政府は福島について、再生と回復が遅れている分野への重点支援を掲げている。特に避難生活を強いられている人たちへの支援は急務だ。
政府は帰還困難区域以外について、2017年3月末までに避難指示を解除し、避難者の帰還を促したい考えだ。果たして住民の帰還は進むのだろうか。南相馬など都市部では一定程度の帰還が見込まれるが、他の町村では厳しいだろう。「戻る、戻らない」に限らず、今後も支援が必要だ。
福島で生活していると、岩手や宮城のように復興が実感として感じられない。避難者数はピーク時に比べれば減ったが、いまだに10万近く。岩手、宮城に比べ、地震、津波による直接死よりも震災関連死が多いことは、原発事故以降の暮らしがいかに過酷であるかを示している。
風評払拭へ:「福島の現実を見てほしい」
「福島に来てみたら、普通に生活していてビックリした」と、県外から訪れた人がよく口にする。放射線の影響で福島県民の多くがマスクをして街中を歩き、公園、校庭など外で遊ぶ子どもの姿はほとんど見られないと今でも思っている人が結構いる。福島がいまどうなっているのか、まずは福島に来てほしい。そして福島の現実を見てほしい。
一方で、風評の払拭にはまだまだ時間がかかる。韓国の例はともかく、「福島の農水産物は汚染されていて危険」という声があるのも事実だ。生産者の中には「報道すればするほど風評が広がる。そっとしておいてほしい。」という人も少なからずいる。
風評の払拭には長い時間と丁寧な説明、地道な情報発信を繰り返し行っていくことが大切である。被災地のテレビ局としてこれまで以上に福島の本当の姿を丁寧に伝え続けることが、われわれの責務である。
バナー写真:避難指示解除を前に行われた福島県・楢葉町の復興イベントで、ろうそくに点灯する住民=2015年9月4日(時事)