歴史、疲れ、統治危機

政治・外交

戦後の国交正常化である日韓基本条約締結から50周年になる現在、両国関係は最悪の状態にある。相変わらず「歴史」という感情を御しきれない政治の不作為を、韓国出身の筆者が非難する。

この「疲れ」は統治危機の表れ

人口を合わせて2億人になる日本と韓国の間には「歴史の月」というものがある。終戦70周年、そして国交正常化50周年という節目を迎える今日、両国関係について「疲れ(fatigue)」という表現が口にされている。日本と米国のエリート層では韓国外交の「原則主義」に疲れを感じているという。

ウェンディー・シャーマン米国務次官はアジアでの歴史葛藤を言及しながら「国民的感情は利用され易い。国家指導者が旧敵国を非難することで国民の安っぽい喝采(cheap applause)を得るのは簡単だ」と言いながら、韓国の大統領を皮肉った。世界覇権国家の国務次官であったとしても、前例のない傲慢と不遜の表れである。

しかし、こういう事態を見守りながら本当に疲れを感じているのは、日韓両国民の市民たちである。その疲れの原因は限りなく繰り広がる「歴史認識」問題と、その問題が処理できない両国の指導層の統治危機にある。

歴史という呪縛

歴史はすでに死んだはずの事柄である。しかし、その死んだものである歴史が今を生きている人間を縛る。その力は「認識」とか「理性」とかの名をもつ呪術である。シャーマン米国務次官は、韓国大統領が歴史にこだわって安っぽい喝采を得ると言ったが、歴史の呪術に縛れた中東の人々は今日も信念という名のもとで人間の殺戮を辞さない。奴隷制度を葬り去ったリンカーン大統領は「歴史という静かな過去のドグマが人類の進歩を妨げる」と唱えたが、その過去のドグマは真実の検証ができないのである。歴史の中に潜んでいる呪術が真実である保証はない。小説家マーク・トウェインは「歴史を綴ったインキそのものは偏見」であると語った。ナポレオンはあえて「歴史は人々が同意した嘘の塊」といった。

日韓関係を脅かす「歴史認識」問題は、相手国民の殺戮までおびき寄せるほど強烈なものではない。しかし、それぞれ世界のG10とG20に入った先進国の両国民が、互いを深い傷をつけるほどの力をもっている。歴史認識は両国民を誑かし、現在を混乱させ、未来を閉ざさせている。

歴史のドグマに縛られた日韓の知識人たちは、そのドグマが強いる言語で互いを報いている。韓国の最高エリートであるはずの外交官たちが、ながい裏交渉で合意に至った事項を、公のステージに上がった途端に争点に戻してしまうことも起きる。2015年7月5日に日本の明治産業遺産のユネスコ世界遺産登録が決まった。その決定には、一部分の施設で太平洋戦争時期に朝鮮からの徴用工に関する記録を残すという日韓の間の政治的決着があって可能となった。

しかし、その後、英文の合意文の中である“forced to work”という表現をめぐって両国の最高のレベル政治家たちが論争を繰り広げる事態が起きた。日本側は、登録される施設で過去の一時期朝鮮からの労働者たちが「自由意志に反して働かせられた」という線で譲りながら、上記の英語の表現を入れることに「合意」したということである。それに反して、韓国側は上記の表現は実際に「強制労働」(forced labor)があったことを日本側認めたこととみなすことができると言った。これに対して日本側は、交渉で合意したことを韓国が後から変える裏切りであると非難している。

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