台南で出会った日本との絆

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一青 妙 【Profile】

熱風とともに出会った日本人

大洞敦史さん―初めて出会った台南に移住した日本人は、真冬でも半袖のアロハシャツに三線を携え、スクーターにまたがって移動する実に日本人らしくない青年だった。そんな大洞さんは経歴が面白い。本好きが高じて不登校になり、10代後半はパチンコの世界にのめり込み、いわゆるパチプロとして生活していた。

大洞敦史さん

ある時、再び本の世界に戻った大洞さんは明治大学の大学院に入学し、台湾と出会った。「もわっとした南国の空気に魅せられた。ここで生きなければならないと思ったのです。」移住先を台南に決めたのは、ちょうど良いサイズ感と海を近くに感じられたからだという。「来年、そば屋を開こうと思っています。」

東京都調布市生まれの大洞さんにとって、故郷の味と言えば「深大寺そば」である。台南と調布の地域交流の一つとして、そばを台南で広められたら面白いと考え、早速、包丁や木鉢などのそば打ち道具一式と作務衣を日本で揃えた。

「日本もいいけど、新しい世界に飛び込みたい。」

大洞さんの生き様は実に自由だが、その自由を全て受け入れてくれるのが台南だ。2015年には、きっと台南のどこかで、行列のできる「深大寺風大洞蕎麦麺」がオープンしているに違いない。

日台の歴史に魅せられて決めた留学

黒羽夏彦さん

「台湾の歴史を調べたいから、台湾色が濃い台南にしました。」

黒羽夏彦さんはそんな台南の歴史に興味を持ち、日本から台南への留学を決めた一人だ。黒羽さんが台湾の歴史に興味を持ったのは、生まれもっての運命だったのかもしれない。祖父は日本生まれだが、台湾へ教師として赴任。祖母は台湾の淡水で生まれ、その後日本に渡った。戦前に台湾で生まれ育った日本人、「湾生」だ。祖父母の代から何かと台湾と縁があったのだ。

血が台湾に向かわせたのだろうか。2014年に亡くなったばかりだという祖母からは、台湾のことをいろいろと聞いていた。そのため台湾についてもっと知りたかったのだ。「皮膚感覚や空気は、そこに住まないとわからない。」

勤めていた出版社を辞めてまで留学したのにはそんな理由があったのだ。

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一青 妙HITOTO Tae経歴・執筆一覧を見る

女優・歯科医・作家。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれる。幼少期を台湾で過ごし11歳から日本で生活。家族や台湾をテーマにエッセイを多数執筆し、著書に『ママ、ごはんまだ?』『私の箱子』『私の台南』『環島〜ぐるっと台湾一周の旅』などがある。台南市親善大使、石川県中能登町観光大使。『ママ、ごはんまだ?』を原作にした同名の日台合作映画が上映され、2019年3月、『私の箱子』を原作にした舞台が台湾で上演、本人も出演した。ブログ「妙的日記」やX(旧ツイッター)からも発信中。

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