凋落した日本柔道の再生に向けて
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ロンドン五輪の衝撃
ロンドン五輪で日本は全体としてメダル獲得数38個で、史上最多となった。しかし、こうしたなかで男子柔道が金メダル・ゼロに終わったことは由々しき事態であろう。女子柔道も57キロ級の松本薫選手の1個に終わった。
ロンドン大会の柔道では「効果」のポイントを廃止し、直接相手のズボンを持つ技が禁止され、きちんと組んで技をかけることを促すようにルール改正が行われていた。これは常に「一本」を取って勝つことを理想とする日本にとって、有利なはずのルール改正であった。だからこそ、日本柔道の残念な結果は言い訳ができない深刻なものとも言える。
「柔道ムラ」からの脱却を
何が問題だったのだろうか。選手の一人ひとりの能力が世界レベルであることに変わりはあるまい。各種世界大会では依然として日本選手は好成績をあげている。しかし、成績に安定感が欠けていることも事実である。取りわけ、日本が世界に君臨してきた重量級の代表選考が、絶対的エース不在のなかで難航し、「誰が選ばれても金メダル」が理想でありながらも惨敗に終わってしまった現実からは、やはり育成に問題があったのではないかと考えざるを得ない。男子100キロ超級の金メダルを取ったのは、世界選手権男子100キロ超級でも4連覇中のフランスのテディ・リネールであるが、彼のような絶対的エースを再び輩出するには何が足りないのか。
重要なことは「柔道ムラ」からの脱却ではないだろうか。つまり、柔道は日本の伝統競技であり「お家芸」、だからこそ日本人のもとで指導を受けて力を付けていけば世界でも勝てる、だから指導者はもちろんその伝統の継承者である日本人であるべき、という類の思考であり、それに基づいた日本柔道界の営まれ方である。世界で勝てない以上、世界から学ばなくてはならない。この当たり前の発想が、日本柔道の閉ざされた「ムラ社会」には浸透していないのではないか。
「いつかこういう日が来るとは覚悟していた」(斉藤仁=ロサンゼルス五輪・ソウル五輪95キロ超級金メダル、北京五輪男子柔道監督)(『読売新聞』2012年8月5日)と言うように、全日本柔道連盟の幹部も世界で勝てない現実を認識はしていた。「柔道ムラ」を脱却して世界に勝つために、具体的には外国人指導者の迎え入れ、個人レベルでの柔道留学の促進、この二点を軸とした改革が望まれる。
グローバル化と構造改革
競技者の裾野の拡大も不可欠である。世界王者リネールを排出したフランスを例に取ると、地域に根ざした道場の設置・育成が進んでおり、競技人口も今や日本を大きく上回る。かたや日本では一部の「柔道の強豪校」による育成が大きな部分を占め、特定の学校に特化した構造では裾野の広がりとして不十分ではないだろうか。
そして、選手の選考プロセスの問題と外国人選手とのパワーの差を男子の篠原信一監督は述べている(『毎日新聞』2012年8月7日)が、金メダルの呪縛にとらわれて萎縮した選手の姿もやはり問題であろう。これはメンタルな課題でもあり、もちろん選手はみんな金メダルを目指すとしても、結果として銀・銅であった場合に、謝罪ではなく、もう少し前向きな姿勢が必要なのではないか。
「柔道」は今や世界の「JUDO」へと変化した。一本を取る柔道は大切にしたいが、それに固執し続けて「JUDO」でなくガラパゴス化した「柔道」のままで浮上は難しかろう。日本柔道が世界の範だという意識から、世界中にある柔道の一つと捉えなおし、そこからトップに返り咲くために足りないものを、タブーを設けることなく早急に模索しなければなるまい。(2012年9月10日記)