松永智美:台湾の精進料理を日本流にブラッシュアップ
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精進料理ゆえの淡泊さ
塗りの重箱のふたを開けると、工芸品のような料理が並んでいて、「わおっ」と、思わず声が出た。メニューの中に、イカの刺し身や東坡肉(トンポーロー)があると思いきや、それらには動物性の材料が一切使われていない。
松永 智美 イカのお刺し身はナタデココ、東坡肉は車麩(くるまふ)とシイタケの軸が材料です。そうやって種明かしをすると、みなさん、驚かれます。もちろん、食べていただくと、本物とは微妙に違う味わいがお分かりになると思います。何よりも、動物素材が持つ脂っぽさがまったくない。「素食(スーシー)」は、こうやって「いかに上手にダマすか!」が、面白いところなんですね(笑)。
「素食」はもともとお寺で修業するお坊さんのための精進料理です。そこには、「三厭(さんえん=鶏、肉、魚)」「五葷(ごくん=ネギ、ニラ、ニンニク、ラッキョウ、タマネギ)」を使わない、という基本的なルールがあります。野菜、キノコ、豆類を中心に、体に負担をかけない素材を使うので、健康にいい。飽食ゆえの病気がはやる現代にも、マッチしていると思います。
アートとしての創作料理
京都で生まれ育った松永は、日本の素材を使ったオリジナル・ジュエリーの作家として、長年アーティスト活動を行ってきた。台湾の精進料理をベースに、独自のアイデアが加えられた「創意素食」は、食文化の啓蒙(けいもう)と同時に、アーティストとしての創作活動の一環でもある。
松永 なぜ素食に注目したのか、とよく聞かれますが、台湾と縁があったことがきっかけですね。母の松永ユリは、戦前、日本の統治下にあった台湾で、小学校の先生をしていました。当時のモダンガールで、美的なことに関心が高く、学校では創作舞踊も教えていたそうです。
母は戦後、日本に戻り、祇園で現代美術を扱う「ギャラリー紅(べに)」を開設します。1972年にそのギャラリーを、京都の美術館エリアである岡崎に移し、フランス料理店「ラ・ヴァチュール」も併設しました。ラ・ヴァチュールはその後、カフェに移行しましたが、パリの雰囲気がある店では、まだ日本でなじみの薄かった「タルトタタン(リンゴのパイ)」を、ホームメイドでお出しするなど、時代を先取りしていたと思います。
私は店のお手伝いをする中で、自然とアートに親しみ、ジュエリーデザインの道に進むことになりました。私のジュエリー素材は、竹、麻、金箔(きんぱく)、漆など、日本のもの、そして自然のものが中心です。ジュエリーに限らず、素材を見つけて、自分ならではのアイデアを加えていくことが好きなのです。私にとっては、料理もジュエリーも同レベルでアートの対象になり得るのです。
信仰心が「素食」のベース
松永は70年代にいち早くスペイン料理に注目し、祇園にレストラン「フィゲラス」を開店するなど、現在に通じる食の潮流も先駆けて発信してきた。
松永 わが家は、母、私、娘の3代ともに食いしん坊で、おいしいものを求めて、3人で世界中を旅行しました。そういった機会に「おいしい」「美しい」と感じたものは、3代で共有されていますね。私が覚えている母の家庭料理は、台湾料理がアレンジされたもの。そういうインプットがありましたので、台湾の家庭料理を現地できちんと習っておこう、という気持ちは、ずっと持っていたのです。
2012年に、母の教え子のつてをたどり、「素食」の第一人者である洪銀龍(ホン・インロン)先生につく機会をいただきました。エプロンを片手に、やる気満々で台湾に飛びました(笑)。ある朝、5時に集合をかけられて、山の方に連れていかれることがありました。トラックには調理道具と食材が満載。何が始まるのか…と思っていたら、お寺の法事で500人に精進料理をふるまう会でした。それが「素食」だったのです。下ごしらえとお運びの手伝いをする中で、「こんな面白い料理が、すぐ隣の国にある」と、すっかりハマってしまいました。
台湾では町中の至るところで「素食」に出会う。日常使いのカフェや学生用のセルフ食堂から高級なレストランまで、あらゆるスタイルで、人々の暮らしに根付いているのだ。
松永 台湾に限らず、「素食」は北京や上海でも日常的なものです。その背景には仏教への信仰心があります。私が生まれ育った京都も、仏教が身近にあるところですが、それでも信仰心はだんだんと薄まってきています。日本と比べると、台湾は仏教の教えが日常の中に生きていて、それが「素食」のベースになっているのだと思います。
町の食料品店には、鶏肉の形をした大豆ミートが普通に置いてあります。「がんもどき」というように、精進料理は「見立ての妙」が伝統ですが、お国が違うと、その見立てもいろいろ違いがあります。
日本ではなじみのない素材や、調味料にも興味を引かれましたね。例えばシイタケで作ったオイスターソースなどは、スーパーで瓶詰めが売られているほどです。私がオリジナルで作り出した「フォルモサソース」は、ポルトガル料理にある、パプリカを塩漬けにし、発酵させた「マッサソース」に、フレッシュな蒸しパプリカを加えた調味料です。「フォルモサ」は台湾の美称として使われているポルトガル語源の言葉。大航海時代に台湾を見たポルトガル人が「美しい島だ!」と感嘆した由来が伝わっています。このように、食からひもとかれる異文化体験が面白くて、台湾の料理文化に関する研究にのめり込んでいきました。
素材を慈しむ心がおいしさを生む
松永は台湾行きを繰り返しながら、「素食」を独自に発展させていった。そんな彼女が作る「素食」は精緻で、見たことも、味わったこともない料理のオンパレードだ。
松永 日本で精進料理というと、「もの足りない」というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。まずはその思い込みをひっくり返したかったですね。自分の中に積み上げた食の体験をもとに、「おいしい素食を、自分で作る」をスローガンにして、取り組みました。
「素食」の極意は、素材の一つひとつを慈しむことにありますが、代表的なレシピの一つが、「羅漢齋佛跳牆(ロォハァンツァイフォーチュウチャン)」、別名「ぶっ飛びスープ」です。「佛跳牆」は、その香りをかぐと、修行僧さえ我慢できずに、寺の壁を飛び越えてくるというエピソードから、命名されています。聞くだけでおいしそうでしょう(笑)。
その中華料理の最高峰を、「創意素食」では、十八羅漢にちなんだ十八種類の材料で作ります。衣笠茸(キヌガサタケ)、白きくらげ、エリンギ、ひじり茸、シイタケ、干し百合根(ゆりね)…など、材料の調達に手間はかかりますが、料理に特別な技術は要りません。乾物類を一晩、二晩かけて、ゆっくりと水戻しし、火の通りにくいものから順に昆布だしに入れ、時間をかけて蒸し煮します。私はこれを、「キノコのお世話をする料理」と名付けています(笑)。
日本流のオリジナル「素食」を
松永は2012年に京都市内にアトリエ「貌 KATACHI」を開設してからは、「art&eat」をキーワードに、「素食」のイベントやワークショップを次々と催している。
松永 幸い日本には「素食」を生かせる舞台がたくさんあります。奈良の唐招提寺(とうしょうだいじ)や、京都国立博物館のお茶室、あるいは祇園のカフェなど、それぞれの場所に合ったしつらえで「素食」の会を開き、ご参加の方々とともに、楽しませていただいています。今年の10月には、奈良県五條市にある重厚な商家を再生した料理屋「五條 源兵衛」でも、「素食」の会を催します。
日本ならではの空間に「素食」を合わせる時、私たちの祖先が紡いできたさまざまな文化の交流が、今という時代に連なっていることを実感します。台湾料理は日本の統治時代に、日本の食文化も取り入れて発展しました。私は、その台湾料理に触発されて、そこに日本ならではの創意工夫を加えています。そのような食文化のキャッチボールを、今後も続けていきたいですね。
インタビュー・文=清野 由美撮影=楠本 涼