原島 博「貧しくなった日本人の顔?」

社会 文化

女性誌では“小顔”特集が組まれ、優しい顔の男がもてはやされる現代日本。トレンドとなっている“顔”から浮き彫りになるのは何か。情報工学の教授でありながら、“顔”にこだわる原島博が“顔”から現代日本に迫る。

原島 博 HARASHIMA Hiroshi

東京大学名誉教授。1945年、東京都生まれ。東京大学大学院博士課程修了。工学博士。東京大学助教授、スタンフォード大学客員研究員を経て東京大学教授。1995年に日本顔学会を設立し、設立発起人代表となる。主な著書に『顔学への招待』(1998年/岩波書店)、編著に『仮想現実学への序曲』(共立出版/1996年)など。

——日本人の「顔」という切り口で、いまの日本人像や時代相といったものについてお伺いします。ご著書によれば、最近の人類学の成果として日本人にはふたつのルーツがあるようですね。ひとつは数万年前に南方から直接日本列島に入ってきた人たちで、縄文時代にすでに日本列島にいたという意味で「縄文人」と呼ばれます。彼らは南方系の顔をしていて、彫りが深く、立体的な顔で、ひげも濃く、顔全体が角張っている。もうひとつは、それよりも比較的最近、二千数百万年前に、シベリアを含めたいわば大陸の奥から南へ下りてきて、朝鮮半島を通って日本へ来た人たちで、日本に農耕文化を持ち込んだところから「弥生人」と呼ばれています。顔は厳しい寒冷地に適応して表面積が小さく、でこぼこのないのっぺり顔で、顔の皮膚は比較的厚く、目の上のまぶたも厚くて一重まぶた。凍って取れてしまわないように耳たぶは小さく、ひげは薄くて毛が少ないといった特徴があります。

ソース顔とショーユ顔


コンピュータで作成した縄文人の顔。(画像提供=原島 博)


弥生人の顔。(画像提供=原島 博)

「全体的な印象でいうと、縄文人は濃厚顔、弥生人は淡白顔でして、最近の言い方ですと、ソース顔とショーユ顔にそれぞれが対応しています。つまり、縄文人はソース顔で西洋人に近く、弥生人はショーユ顔で東洋的です。いま大相撲でモンゴル出身の力士が活躍していますが、彼らは明らかに弥生顔のルーツです。そして歴史的には後から日本列島に入ってきた弥生人は、稲作や中国の進んだ文化を日本にもたらしましたので、先住民である縄文人に代わって支配階級となりました。そして、この弥生顔-縄文顔の関係が比較的長期間続く中で、顔に関する日本人の基本認識や美意識が出来上がっていきます。ところが、明治以降、そこへ西洋人の顔が入ってきて、西欧への憧れから縄文顔の復権が起こってきます。さらに第2次大戦後、アメリカ文化の大流入が起こると、エキゾチックな縄文顔はさらに脚光を浴びます。いまではソース顔とショーユ顔のどちらが上で、どちらが下かといった価値観はありませんね。それぞれに魅力があるという意味合いになっていると思います」

顔は時代、社会の鏡

——いまの日本人一般の顔の特徴としては他にどういうことがあるのでしょうか。

「“顔は時代の鏡、社会の鏡”と言われるように、顔を通してその時代を見るとさまざまなことが分かってきます。日本は明治以降、西欧が産業革命以来、数百年をかけてやってきたことを一気に達成しようとしてきました。戦後はさらにそれを加速しました。当然その影響は顔にも現れています。まず生活習慣の中で食生活が大きく変わりました。戦後の日本人は柔らかいものしか食べなくなりました。かつては『よく噛んで食べなさい』と言われて1時間くらいかけて食事をしていたのが、いまでは5分、10分あれば食事ができてしまいます。噛む回数は極端に減っています。ハンバーガーなどは、ほとんど噛む必要がありませんから、次第に咀嚼能力は弱り、顎は発達しないで小さくなります。

100年後の日本人の顔。(画像提供=原島 博)

このままの傾向が続いたら日本人の顔はどうなるのか。そう思った私は、人類学の馬場悠男先生と一緒に、日本人の100年後の未来顔というものをコンピュータでシミュレーションしてみました。すると、男女の違いは若干あるものの、共通するのは顎が小さくなっていることでした。男性は逆三角形顔になり、女性は元々丸顔のところにさらに顎が小さくなりますから、もっと丸顔になります。さらに急激な生活文化の変化はいろいろな意味で無理を伴いますから、当然顔にもひずみが生まれてきます。たとえば歯並び。食生活が変わってもそれぞれの歯の大きさはそれほど変わりませんから、歯を収容する顎と口が小さくなれば、当然そこには歯が収まりきらないで、歯並びがガタガタになってきます。それは見栄えの問題だけではなく、咀嚼能力の低下にも直結しますので、胃や消化器機能にも障害をもたらします。今後はさらに矯正歯科医の出番が増えてくるというわけです」

小顔は幼児化の象徴

——顔の形の変化に加えて、顔の大きさでいうと、いわゆる女性の“小顔ブーム”が時代のトレンドですね。

「最近の女性誌を見ると、顔を小さく見せる化粧術とか“顔やせ”の特集が氾濫しています。いろいろ理由は考えられますが、ひとつにはファッションの問題があります。日本人の着るものが和服から洋服に変わりました。和服は顔の大きい方が似合います。それに対して、洋服は体格に比べて顔の小さい西洋人向きにデザインされている服ですから、“小顔”の方が似合います。一方で、“小顔”には物理的な大小という側面もありますが、“子供の顔に見える”というのも重要な点です。能面に“小面(こおもて)”という有名な面がありますが、あれは小さい顔ではなくて、可愛い顔という意味なんですね。つまり小顔というのは、まだ大人になっていない顔、いわば幼児的な顔なのです。ですから、いまの小顔ブームは可愛い顔ブームでもあって、それは大人よりも子供の可愛らしさをもてはやす社会心理の反映でもあるわけです。私はある意味で、社会全体が幼児化していることと密接に関係していると理解しています」

——小顔志向は、女性だけではなく、男性にも及んでいますね。

「はい。実は自然に反する傾向なんですがね。つまり、動物学的にいえば、オスは相手を威嚇し、自分の存在感を高めるために、顔をむしろ大きく見せる戦略を取ってきました。極端な例はライオンです。オスは鬣(たてがみ)をつけて実際よりも自分を大きく見せているわけです。ところが、最近若い女性に人気のある男性タレントは、例外なく顔が小さい。さらに言えば、10代の女の子は、本当の男性に興味はあるが“怖い”という意識もあって、どちらかといえば中性的、女性的な男性を好みます。したがって男の象徴であるヒゲはダメ。ましてや体毛や濃い胸毛は論外。清潔なすべすべ顔がいいとされています。また、この世代の女の子にとっては、女性的な男性でなければ、男性的な女性が憧れの対象になります。昔でいえば、女子高のボーイッシュな先輩、いまでは宝塚の男役スター、女子プロレスラーなどがそうです」

男らしさの基準は“優しさ”

「どういう顔が今もてはやされているか。その主導権はいまや女性の掌中に握られています。かつては男性中心で、女性はその考え方に合わせてきましたが、昨今は女性が自分たちの要望に沿うように男性を変えているのではないか、と思われます。たとえば“男らしさ”のイメージが、以前とはすっかり様変わりしました。もちろん基本のところで共通しているのは、女性をしっかり守る存在だ、ということです。これは動物学的に見てもそうです。安心して子供を育てられるように女性をしっかり守ることが、男らしさの基本です。ただ、生存競争が厳しくて、周りに外敵がたくさんいるような時代には、そうした脅威を排除する逞しさが男らしさの中核をなしていました。しかし、有事においては逞しい腕力が男らしさの象徴であったかもしれませんが、平時においてそれは災いの元になる可能性があります。その腕力が女性に向けられたとすれば、これはDV(ドメスティック・バイオレンス)になります。そういう意味で、いま男らしさの基準は逞しさから“優しさ”に変わってきました。これは社会が平和になったという証拠ですから、私は決して悪いことだとは思いません。日本の歴史の中でも江戸時代というのはまさにそういう時代だったわけです」

3秒美人から30年美人まで

「顔というものは客観的に存在するのではなくて、見る人と見られる人との関係の中にあります。同じ顔であっても、どういう気持ちで見るか、どういう関係で見るかによって見え方が異なってきます。私は持論として、美人には3秒美人から30年美人まである、と言っています。まず3秒美人というのは、街を歩いていて『おっ、美人』と思わず振り向くようなケース。これはほとんど外見だけです。スタイルとかファッションなどがポイントで、顔はさほど関係ないかもしれません。次に3分美人。こちらは典型的には受付嬢との関係です。3分くらいのコミュニケーションがあるけれども、相手は職業的な作られた表情で応対する。そして、自分と相手との間にはカウンターという乗り越えてはいけないバリアーが築かれている。では30分美人。30分話していると自然な表情が出てきます。外見だけではなく、自然な表情の魅力がその人の素晴らしさになります。さて3日美人。単なる表情だけでなく、その人がどういう価値観、人生観を持っているかということが魅力を決めます。そして30年美人。こちらは人生山あり谷ありで、過去に多少は浮気もしたが、やっぱりお前が一番だね、というようなケース」

——日本の男は謙遜という意味もありますが、自分の奥さんに関してむしろ卑下した言い方をするのが一般的でした。「愚妻」なんて呼称は最たるもので、これをそのまま“my stupid wife”と直訳して、相手のアメリカ人をびっくりさせたという笑い話があるくらいです。

「私はもっといい顔の人が増えてほしいと願って、“顔訓13カ条”というのを作ったことがあります。その3番目が“顔はほめられることによって美しくなる”なんですね」

美人論は女性誌が中心

——「きれい」「可愛い」は便利な言葉ですが、『美人』をあらわす表現としては意外に「ボキャ貧(語彙不足)」ではないでしょうか。

「『美人』という言葉がいまどういう場所で多く語られているかというと、実は女性誌なんですね。かつては男の目から見た美人論が男性誌を中心に語られていました。それに対して、いまは女性の観点で『○○美人になろう』といった企画が女性誌の特集記事としてさかんに組まれています。つまり、女性自らが自分の理想像に照らして“私はこういう美人になりたい”と未来に向けた目標を持つように変わってきました。これは大きな変化です。かつては美の基準が男や社会の側に委ねられていた。ところがいまや、ある年齢以上になったときに自分はどういう美人になりたいか、という目標を女性自身が設定しようとしています。この国では長い間、『人間、顔じゃないよ、心だよ』とも言われ続けてきました。その裏には“顔は親からの授かりものであって変えてはいけないもの、変えられないもの”という考え方がありました。しかし、それが努力次第で変えられるものだとすれば、“自分の顔は自分で作ろう。50歳になったらこういう顔になりたい”という目標を定めるのは素晴らしいことです。年齢に応じた美しさがあり得るわけだし、西欧社会にはそういう成熟した顔を認める文化がしっかりと根付いています」

——「このシワは努力して手に入れた自分の人生の財産だ」という意味のことを語っている外国人女優がいましたね。年相応の美しさや顔の個性を魅力にした人が、たしかにフランスなどでは活躍しています。

「“顔訓13カ条”の10番目は“美しいシワを人生の誇りとしよう”なんです。ただし、このくだりは女性にはあまり評判がよろしくありません(笑)。私の身近な女性の逆鱗にも触れまして、『あなたは女性にとっていかにシワが大変なものかを理解していない。どうしてもそれを言いたいのなら『美しいハゲを人生の誇りとしよう』を1行付け加えなさい』と叱られました(笑)。だけど、男から見て女性のシワはさほど気になりませんよね。逆に男性で自分の頭髪を極度に気にする人がいますが、聞いてみると女性はそんなにハゲていることを気にかけません。ともかくその年代、その年代の美しさを作っていくことが重要なので、“20代が花の盛りだった”では寂しい話です。是非50代の美しさを見つけて、それをめざしていただきたい。いまは時代のちょうど変わり目なのかもしれません」

日本人の顔は貧しくなった

——先生が発起人代表として日本顔学会を設立されたのが1995年ですから、ちょうど15年が経過したことになります。世界に例を見ない、顔そのものを研究対象にした学会の誕生はマスコミでも注目されました。先生も「いまなぜ顔なのか」という問題提起をされていましたが。

「哲学者で顔学会会員でもある鷲田清一先生が適切におっしゃっておられましてね。『胃の存在がクローズアップされて自分の胃が気になりだすのは、胃が故障したときである。胃が普通に働いているときは、胃のことなんかは誰も考えないものだ。同じことが顔についても言えるのではないか。いま、顔に関心が持たれているとすれば、それはいま日本人の顔がとても貧しくなったからではないか』と。また次のような指摘もされておられます。『マスコミでこんなに顔が氾濫している時代はない。テレビをひねると顔だらけだ。しかも、その顔はじろじろと眺めることのできるモノとしての顔に過ぎない。本当の顔はそれほどじっと見れるものではない。視線が合うと、本能的に目をそらすものだ。それが顔なのだ。ところがテレビで露出される顔はそうではない。モノとしての顔が氾濫しているいまという時代において、むしろ本当の顔は貧しくなっているのではないか』と」

新しい時代を切り開く“匿顔”

——最近、電車の中で化粧をする女性が増えています。周りの人が見ていることなど一切お構いなしです。

「テレビを見ながらメイクするのとまったく同じように、電車の中で衆人を前にしても平気でメイクをしています。マスメディアにモノとしての顔が氾濫するにつれて、顔が本当の顔ではなく、記号に過ぎなくなっていると思わざるを得ません。

また、電子メディアの発達とともに、顔を見せないコミュニケーションが当り前になっています。元々は人と人がコミュニケーションする際は、顔を見せることが基本でした。電話だと、顔を合わせないまでも声の調子から相手の表情や様子が何となくうかがい知れました。それがメールでは文字だけになりました。インタ-ネットの掲示板になると、自分の名前すら隠してしまいます。こうしたコミュニケーション社会のあり方を、私は“匿顔”の時代と名づけてみました。“匿顔”とは顔を隠すという意味で、これはもちろん“匿名”という言葉をもじったものです。つまり、コミュニケーションにおいて顔の存在が当り前だった時代にはあえて顔について考える必要はありませんでした。しかし、時代が“匿顔”になってきた以上、コミュニケーションにおいて顔はどういう役割を担っているのか、現代人にとって顔はどういう意味を持っているのか、を改めて問い直す必要が生じてきたというわけです。

歴史的に見れば、近代市民社会の到来は匿名時代の幕開けでした。人が農村から都市に集結するということは、閉鎖的なムラ社会のしがらみから解放されて、人が自由に生きる時間と空間を手に入れるということでもありました。いわば匿名性が都市のエネルギーとなりました。一方で、都市は犯罪の温床にもなりました。しかし、そうした暗黒の側面をも抱えながら、都市が近代という時代を作る原動力になったことは間違いありません。ですから、匿顔もまた新しい時代を切り開く可能性を秘めています。インターネットの弊害についてはいろいろ指摘されていますが、決してそうした負の側面だけではない、プラスに向かうエネルギーがそこから生まれることは疑いありません」

——それにしても、鷲田先生のおっしゃった「日本人の顔がとても貧しくなった」という指摘はとても気がかりです。ややもすると「顔が見えない」と言われてきた日本人なのに、それに加えて国際社会で貧しい顔しか見せられないとすれば、これは寂しい限りです。“いい顔”の日本人がひとりでも増えて、それが世界にも広がってほしいと願うばかりです。その意味でも、先生の“顔訓13カ条”を掲げて、結びにしたいと思います。

顔訓13カ条

  1. 自分の顔を好きになろう。
  2. 顔は見られることによって美しくなる。
  3. 顔はほめられることによって美しくなる。
  4. 人と違う顔の特徴は、自分の個性(チャームポイント)と思おう。
  5. コンプレックスは自分が気にしなければ、他人も気づかない。
  6. 眉間にシワを寄せると、胃にも同じシワができる。
  7. 目と目の間を広げよう。そうすれば人生の視界も広がる。
  8. 口と歯をきれいにして、心おきなく笑おう。
  9. 左右対称の表情作りを心がけよう。
  10. 美しいシワと美しいハゲを人生の誇りとしよう。
  11. 人生の三分の一は眠り。寝る前にいい顔をしよう。
  12. 楽しい顔をしていると、心も楽しくなる。人生も楽しくなる。
  13. いい顔、悪い顔は人から人へ伝わる。

 

インタビュー・構成=河野 通和(元『中央公論』編集長)

[2009年10月に実施したインタビューをもとに再構成]