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広瀬悠・順子:夫婦で目指す東京大会パラ柔道「一本勝ち」

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吉井 妙子 【Profile】

リオデジャネイロ・パラリンピックの視覚障害者柔道で銅メダルを勝ち取った広瀬順子選手は、夫の悠選手のサポートがあったからこそ3位決定戦で踏ん張れたと言う。東京大会に向けて夫婦で切磋琢磨(せっさたくま)する2人にインタビューした。

広瀬 順子 HIROSE Junko

1990年10月生まれ。山口県山口市出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。小5で柔道を始め、高校でインターハイに出場するが、大学1年で膠原(こうげん)病の一種である成人スティル病を患った影響で両目の視力が低下した。2012年視覚障害者柔道に転向。16年リオデジャネイロパラリンピック柔道女子57キロ級で銅メダルを獲得。日本選手女子のメダル獲得は、正式競技になった04年アテネ大会以来初めて。

広瀬 悠 HIROSE Haruka

1979年7月生まれ。愛媛県松山市出身。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。8歳で柔道を始め、高校でインターハイに出場するが、2年生の時に緑内障を発症して視力が低下。視覚障害者柔道に転向して2008年の北京パラリンピックに出場、100キロ級5位。米国遠征で順子と知り合い、15年に結婚。16年リオ大会には90キロ級で出場。20年の東京大会に向けて選手兼妻のコーチ役も務め、練習パートナーとして支える。

悠=一度は柔道を辞めたつもりだった

愛媛県松山市に生まれた悠は小学2年から柔道を始め、高校時代にインターハイに出場。だが、緑内障を患い視力が極端に低下する。

「高校時代までは厳しい柔道しかしてこなかった。だから、緑内障になった時、目が見えなくなる恐怖より、柔道を辞められる喜びの方が大きかった」

鍼灸(しんきゅう)師になろうと県立松山盲学校に通っていた時、担任教師から「君なら柔道でパラリンピックに出られる」と勧められ、それまで考えたこともなかった視覚障害柔道での大会出場を目指し、再び畳の上に立った。

視覚障害者の柔道は、障害の程度ではなく、体重によって男子7階級、女子6階級に分かれている。選手が互いに組み合った状態から試合を開始し、いかに相手を崩すかが勝負の分かれ目となる。

悠は、かつての理不尽なスパルタ式の練習ではなく、「楽しみながら技を磨く」アプローチを追求した。そして2008年北京パラリンピックでは100キロ級で5位に入賞する。

2017年11月に開催された「第32回全国視覚障害者柔道大会」で戦う広瀬悠選手(右)

妻に「必ず金メダルを取らせる」覚悟

2人が出会ったのは2013年の夏、共に日本代表として臨んだ米国大会だった。順子が悠に「一目ぼれ」したそうだ。「10日間一緒だったんですけど、1日目はみんなの中心的存在だった悠さんを避けていました。でも、仲間たちを和ませる明るさや気遣いに、すぐに魅了されてしまいました」

お互い後天的に視覚障害者になったため、分かり合える部分が多かった。

愛媛と東京の遠距離恋愛が始まった。「1年に数回しか会えないのに、順子はデートをしても押し黙ったまま。ほとんど口を開かなかった」。悠が笑いながら当時を振り返ると、「だって、素を出して嫌われたくなかったから」と順子がはにかんだように言う。

2年後の夏、「遠距離は厳しい」と悠が別れ話を切り出した。順子の頭にも一瞬、リオを目指すには柔道に専念した方がいいかもしれないとの思いがよぎった。だがそれ以上に、悠を失うことは自分の人生を失うも同じと強く感じ、とっさに口走った。「それなら私と結婚してください!」遠距離恋愛が難しいなら、いっそのこと結婚してしまえばいいと思い切ったのだ。

順子のその後の行動は早かった。東京の会社を辞め、すぐに荷物をまとめて松山に向かったのだ。悠が言う。「デートで一言もしゃべらない人からプロポーズされるとは。ただ現実論として、障害者同士が生活を共にできるのかと思案しましたけど、悩んだのは1日だけ。すぐ順子となら何とかなると思い直しました」

2人は結婚後まもなく伊藤忠丸紅鉄鋼に所属し、松山市を本拠地に活動している。家事一般は自分がこなすことが多いと言う悠は、東京大会で「順子に必ず金メダルを取らせる」と断言した。「“夫婦で金” と言いたいところですが、僕はどうかな…。でも、夫婦での出場は必ず果たします。2人だから頑張れる」

強い絆で結ばれた2人が、再び夫婦でパラリンピック出場を目指しベストを尽くす―そして妻のメダル獲得のために夫は妻を全面的に支える。広瀬夫妻の挑戦は、ハンディキャップを持つ世界中のカップルにとって大きな励みになるのではないだろうか。

(本文中敬称略)

インタビュー撮影:川本 聖哉

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ジャーナリスト。宮城県出身。朝日新聞社に13年勤務し、1991年に独立。同年、『帰らざる季節 中嶋悟F1五年目の真実』(文芸春秋) でミズノスポーツライター賞受賞。『日の丸女子バレー ニッポンはなぜ強いのか』(文芸春秋、2013年)、『天才を作る親たちのルール』(文芸春秋、2016年)など著書多数。

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