変貌し続ける大都市、TOKYO

森ビルに見る東京再生の試み

経済・ビジネス

東京は常に変貌し続ける街だ。高層ビルが林立する都心部の景観は数十年前の東京と同じとは思えないほど変化している。東京の中心エリアで都市改造プロジェクトを手掛けてきた森ビルの歴史を踏まえ、その変貌ぶりを紹介する。

立体模型で見る東京

虎ノ門ヒルズの森タワーと「新虎通り」。周辺ではひっきりなしに建設車両が動き回る

タクシーでニッポンドットコムのオフィスがある虎ノ門から森ビルの本社がある六本木に向かう。途中、森ビルが開発中の最新プロジェクト「虎ノ門ヒルズ」が目に入る。圧倒するような「虎ノ門ヒルズ森タワー」の地下トンネルを抜ける。このトンネルを含む全長1.4kmの「新虎通り」(俗称マッカーサー通り)は、戦後、建設が開始された環状第2号線の一部として、計画から68年後の2014年3月29日に開通した。

トンネルを抜けた後、首都高3号渋谷線の下、六本木通りを通って取材先である「六本木ヒルズ」に到着。オフィスゾーンの受付で、森ビル広報室課長の山本将克氏が出迎えてくれた。43階の大きな部屋に通されると、そこにはニューヨークの街の模型と、部屋の3分の1を占める東京の巨大模型が置かれていた。

「新規プロジェクトを立ち上げる際には、平面上の地図を見るだけでなく、自分たちのプロジェクトがどのように影響を及ぼすのか、その地域にどう組み込まれていくのかを、この立体模型をもとにして確かめていきます」。果てしなく広がる東京の都市網の中に突出する複数の森ビルプロジェクトを、レーザーポインターで指し示しながら山本氏が説明する。

この模型は、急速な東京の景観変化に追いつくため、同社の社員が頻繁に更新する。社員たちは自転車で東京中を走り回り、新しいビルの写真を撮って模型に修正を加えていく。山本氏によれば、東京では毎年約3%の建物が、壊されたり、建て直されたりしているという。

森ビルの新プロジェクトが東京の景観にどのような影響を与えるか。それを探るための都市模型(新宿方面から東京湾を望む)

東京を再生するという森稔の哲学

森ビルの歴史は、1955年に西新橋で森泰吉郎が不動産業を興したことに始まる。森ビルの最初の建物は、56年完成の西新橋2森ビルだ(※1)。付近には、同社の創業期に建てられた小規模の建物をいまだに見ることができる。当時日本は工業生産型の高度成長時代をひた走っていた。森ビル社内では当時のことを「ナンバービル時代」と呼ぶ。同社のビルのほとんどは、建設順に番号がビル名に振られたからだ。

森稔は93年森ビルの第2代社長に就任し、同社の都市戦略はドラスチックに転換した。森ビルは、78年にラフォーレ原宿、86年にアークヒルズを完成させ、次々に東京の都市開発構想を打ち出していった。森稔は、99年1月に発表した「アーバン・ニューディール政策」の中で、20世紀終盤の東京の都市構造について、彼独自のビジョンを示している。「人々がすでに情報、テクノロジー、知識が支配的な社会に生きているにもかかわらず、東京は相変わらず工業生産型の街のままである」というのが森の見方だった。

森ビルの最初の建物である西新橋2森ビルは、2017年に改修された。今では周辺の建物と溶け込み、目立たない控えめな存在だ

森の提案するアイデアの中核は、住みやすい街・東京の実現だった。「都市構造を抜本的に変革し、都市空間と自由時間を倍増させる政策が極めて重要であることを訴えたい」と、「アーバン・ニューディール政策」にはある。

なぜ彼はそう記したのか。東京は働く場としては快適だが、住みにくい都市だったからだ。高度経済成長期には、土地価格の高騰によって、多くの家庭が都下、神奈川、埼玉、千葉といった近隣県に住むことを余儀なくされた。この状況は現在に至るまで続いており、いまだ多くの人に毎日2時間ほどの通勤・通学時間を強いている。これを40年以上続けると、実に4年間も通勤に費やす計算だ。

森稔の考えは、彼が2012年に没した後、現在に至るまで森ビル社内で共有されている。森ビル現社長の辻慎吾は、森記念財団が実施する世界の主要都市の総合力比較調査、2017年版「Global Power City Index」の結果発表の席上、改めてこの考え方を強調した。「今日、世界的な主要都市は、単にビジネスにとっての最適環境を求めているだけではなく、より良い生活スタイル、つまり高品質な住環境、多様な文化、商業施設、ストレスのない交通システム、豊かな自然環境をも提供するような都市を希求している」と辻は主張する。

模型で見る森ビル主要プロジェクトの位置関係。左:六本木ヒルズ、中央:アークヒルズ、右:虎ノ門ヒルズ。

立体緑園都市構想

森ビルは「立体緑園都市」というコンセプトを掲げ、具体的なプロジェクトに着手した。立体緑園都市とは、都市生活に必要な全てが徒歩圏内に集約された、大規模な多機能複合都市だ。

この考え方は、1898年に英国の社会改良家エベネザー・ハワードが唱えたものだ。互いに結び付いた小さなサテライト都市がそれぞれ、居住・商業・工業などの具体的な役割を持ち、経済的あるいは環境的な目標を目指す、という考え方だった。後にこのアイデアはスイスの建築家ル・コルビュジエに引き継がれ、「立体緑園都市構想」に姿を変える。森稔は、このル・コルビュジエの考えを自社の開発に応用し、都市計画と建築によって、社会変革と経済活性化を同時に目指す必要性を説いた。

(※1) ^ 同時に計画された西新橋1森ビルより先に完成した。

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