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人間国宝「無名異焼 伊藤赤水」:佐渡が生んだ土と炎の芸術

文化

金山で知られる佐渡島の鉱脈付近から産出する赤土「無名異(むみょうい)」。それを陶土とする「無名異焼(やき)」の伝統を引き継ぎ、発展させているのが人間国宝の五代伊藤赤水(せきすい)だ。島の風土を巧みに取り入れ、独自の作品を生み出してきた赤水さんに、作陶の哲学とふるさと佐渡島に寄せる思いを聞いた。

「一言で言えば、非常に重いもの」

生まれ育った佐渡島への思いを聞くと、無名異焼で人間国宝に認定される五代伊藤赤水さんはそう答えた。

2003年に人間国宝に認定された伊藤赤水さん

佐渡島における伊藤家の始祖・伊兵衛が加賀から渡って来たのは、相川金銀山が発見されてゴールドラッシュに沸いていた1640年ごろ。二代目の甚兵衛が窯を築き、金の精錬過程などで使われる鞴(ふいご)の送風管「羽口(はぐち)」や素焼きの日常品を作る仕事を始めた。そのため、羽口屋甚兵衛とも名乗っていた。代を重ねるごとに茶わんや皿などを焼くようになり、19世紀前半に佐渡金山で無名異が発見されると、それを陶土に混ぜた楽焼を作ったという。そして、伊兵衛から九代目に当たる富太郎が、無名異を高温で焼成(しょうせい)する無名異焼を創始。明治初頭から「赤水」と号するようになる。そこから数えて五代目に当たるのが、当代の赤水さんだ。

つまり、赤水さんのルーツは佐渡島にあり、一族はずっと土を扱う仕事をしてきた。

「代々続いてきたものを、十三代目の私でやめるわけにはいかないという気持ち。無名異焼、そして佐渡島は、私にとって非常に重い存在なのです」(赤水さん)

「伊藤赤水 作品館」の内観。奥には初代から四代までの作品も展示されている

「黒」が「赤」を魅せる逆転の発想

無名異とは、鉱脈付近から産出する酸化鉄を豊富に含んだ赤土のこと。中国では、古くから止血に効果のある漢方薬として利用されていた。日本では佐渡金山の周辺のみで採集される、鉱山採掘の副産物だ。無名異焼は鉄分を含むのに加えて、高温焼成を施すために非常に硬く締まり、たたいてみると金属のような澄んだ音がする。

「史跡 佐渡金山」の入場口近くにある「無名異坑」

「漢方の世界では鉄分が重要な成分らしいですが、無名異は含有率が非常に高いのです。砂みたいにサラサラとした手触りで、地質学者に言わせると『鉱土(こうど)』というものらしい。焼き物でも、ラジウム成分を含んだ石を混ぜて焼くことがあります。最初は、そうした薬効のようなものを期待して、無名異焼を作ってみたのかもしれません」(赤水さん)

初代赤水作の無名異焼

赤水さんは大学入学前に、四代目である父親を亡くしている。そのため、高齢の祖父、三代目から無名異焼の技を引き継ぐことになった。多感な年頃に、すぐに家業に没頭せねばならぬ状況だったという。本格的に作陶を開始したのは1966年。当時は高度経済成長期の真っただ中にあり、佐渡島の観光業は盛況で、土産物屋に置いた無名異焼も好調な売れ行きだった。しかし、そうした状況に流されずに、赤水さんは作家としてより高いステージを志向した。

無名異焼の特徴は、なんといっても美しい赤色。当代以前は、中国の朱泥(しゅでい)を目標としており、「いかに美しい赤色を出すか」が価値基準とされていた。しかし、酸化鉄を豊富に含む無名異は、炎の当たった部分が黒く変色する「窯変(ようへん)」が起きてしまう。それは従来、無名異焼にとって失敗と考えられてきた。ところが、当代は「あえて黒く変色させることで、より無名異の赤を魅力的に見せられるのでは?」と逆転の発想をした。そして、釉薬(ゆうやく)を使わずに焼き締める方法で、赤と黒のコントラストが印象的な五代赤水独特の「窯変」シリーズを誕生させたのだ。

赤と黒のコントラストが美しい、代表作「窯変」シリーズ

「陶芸家は窯の中に置く位置によって、どのような窯変に仕上がるかはおおよそ分かります。しかし、細かい微妙な部分は焼き上がるまで分かりません。そうした部分が、陶芸の面白いところなのです。窯変を始めたことで、自分の作品に幅が出たと言えます」(赤水さん)

作品を丁寧に解説してくれる赤水さん

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