日本最大の離島、佐渡へ行こう!

「金の島」佐渡を巡る

文化

東京から4時間弱で行くことができる日本最大の離島、佐渡島(さどがしま)。代名詞ともいえる「佐渡金山」の歴史を学べば、さらに滞在が楽しくなるだろう。佐渡独特の文化と金山の関わりと共に、美しい景観から、観光施設、グルメ、伝統芸能まで見所を紹介する。

金銀山を知ることは佐渡を知ること

観光する際は、この「佐渡の3資産」の中でも、まず佐渡金銀山を体感することをお薦めしたい。一般的に「佐渡金山」と呼ばれる相川金銀山は、坑道跡や当時の機械、資料などが保存管理され、「史跡 佐渡金山」として展示公開されている。そこで金銀山の歴史を学べば、佐渡島にある多くの観光資源の魅力がより鮮明になるだろう。

「史跡 佐渡金山」の坑道内の展示

金銀山の発見後に天領となったことで、江戸の多彩な文化が佐渡島に伝わった。「史跡 佐渡金山」を運営するゴールデン佐渡で広報を務める名畑翔(なばた・しょう)さんは、「佐渡金山で働く職人たちは、当時江戸で流行していた髪型に結っていました」と言う。町人たちも将軍さまの土地で働き、幕府財政を支えているという気概を持っていたに違いない。

島内には30以上の能舞台が存在する。これは、日本にある全能舞台の3分の1が、佐渡にあることを示す。今でも一般市民が能を舞い、鼓を打つほど盛んだ。これを、佐渡に流されて来た能の大成者、世阿弥の影響だと考える人が多い。しかし、佐渡に能を広めたのは、金銀山の管理のために家康に派遣された佐渡奉行の大久保長安だった。猿楽師の家系に生まれ、自らも能を嗜(たしな)んだ長安は、1603年の佐渡赴任の際に、シテ方や囃子(はやし)方、狂言方といった能役者を同伴した。

椎崎諏訪神社(しいざきすわじんじゃ)の薪能(たきぎのう)。佐渡では春から秋にかけて、薪能が頻繁に公演されている

江戸時代初頭、金銀山の隆盛期には急激に人口が増加した。奉行所は食糧対策として農地開発を奨励し、その結果生まれたのが、海岸線の丘陵地に所狭しと作られた棚田だ。その美しい田園は、世界農業遺産「トキと共生する佐渡の里山」の代表的な風景となっている。

田園風景と日本海が眺められる「岩首昇龍棚田」

漁業や伝統工芸にも影響を与える

そして、金銀の輸送のために、幕府は1614年に小木港(おぎこう)を開港した。元々廻船(かいせん)業が盛んだった近隣の宿根木(しゅくねぎ)の人々と協力することで、小木は日本海航路の寄港地として発展。周辺に多くの船大工が移住して来たことで、宿根木では自前の千石船を所有する廻船業者が増え、大いに繁栄した。

宿根木のシンボル「三角家」。板壁の民家が100棟以上密集する町並みは、国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されている。

日本海航路は西廻り航路とも呼ばれる。米所の酒田(山形県)から日本海沿岸の港に寄港し、下関を経由して瀬戸内海を通り、大阪を終着点とした。後に、北海道まで延伸。その寄港地となったことで、佐渡には大阪を中心とした関西文化から、東北や北海道の風俗まで伝わった。

佐渡国小木民俗博物館・千石船展示館には、復元された千石船「白山丸」が展示されている

小木の観光名物である「たらい船」も、金銀山と関係がある。元々は、岩礁が多く入り組んだ小木海岸付近で、ワカメやアワビ、サザエをとるために考案された。鉱山で大量の桶(おけ)が使われたために職人の腕が磨かれ、その技術を船作りに活用したのだという。

観光客でも小木の「力屋観光汽船」や「矢島体験交流館」、宿根木などで、たらい船体験ができる 写真:佐渡観光フォト

伝統工芸においては、無名異焼(むみょういやき)がある。無名異とは、中国では漢方薬としても使われた、鉄分を多く含む赤土のこと。日本では佐渡金山の鉱脈近くで採集される。それを陶土とすることで、赤色をおびた美しい器が生まれる。5代目伊藤赤水は、2003年に無名異焼で初の人間国宝に認定された。

伊藤赤水氏の無名異焼は、相川の「伊藤赤水作品展示館」で鑑賞可能で、購入もできる

その他にも、山師たちが競って寄進したことで栄えた寺院、鉱山の土木技術を用いて築かれた石垣や石段などが残っている。佐渡金銀山は大きな経済効果をもたらしただけでなく、多くの人や技術、文化を呼び寄せる役目も担い、日本の縮図のような魅力あふれる佐渡島を作り上げた。

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