ニッポン偉人伝

渋沢栄一:「公益の追求者」の足跡をたどる

歴史 文化

生涯に約500の企業設立・運営に携わったことで知られ、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。その一方で、関わった社会事業は約600にも上る。「公益」を第一に考え、「道徳経済合一説」を実践した人生を、渋沢史料館の展示とともに紹介する。

時代に翻弄されながら貫いた信念

尊王攘夷の志士から、幕臣になって欧州文化を学ぶ。その後は、幕府を倒した明治政府に入る。渋沢の人生は転向の連続である。しかし、史料館の展示を眺めていると、実は渋沢自身の信念は一貫していることがよく分かる。日本の国自体が大きく変わった時代。むしろ、公益を第一に考え、己の立場にはとらわれず、環境への順応力の高さを発揮した人生である。

古希(70歳)の渋沢栄一(渋沢史料館所蔵写真)

一途なエピソードも多い。幕末に仕えた慶喜の復権を願って、明治政府に長年働き掛けた。その甲斐もあって、1902年に慶喜は名誉を回復し、公爵に叙せられている。渋沢が私費で編纂した『徳川慶喜公伝』(1918年刊)は、編纂作業に25年以上も費やしたという。

「栄一は『徳川慶喜公伝』によって、慶喜の伝記を残すだけでなく、幕末から明治に至る激動の歴史をしっかりと記録したかったのです。栄一自身も翻弄された変化の時代について、本人が歯痒(はがゆ)かった状況なども含め、たくさんの資料を集めて検証しました。そして、その中でも変わらなかった自分の思想や信念を再確認したのだと思います」(井上館長)

リフレッシュコーナーからは青淵文庫など旧渋沢庭園を眺めることができる

そして、50年余の長きにわたって取り組んだ事業が、生活困窮者や孤児、障害者などの保護施設「東京養育院」だ。1874年から運営に関与し、76年に事務長に任命される。85年に養育院の事務規程が改正されると、養育院長に就任。以後、亡くなるまでの間、院長を務め続けた。

「養育院での活動を長く続けたことが、栄一に大きな影響を与えます。当初、日本が繁栄すれば弱者が減ると、彼は考えていました。しかし、実際は格差が広がり、時代の波についていけずにドロップアウトして保護される人が増えたのです。そうした資本主義の暗部を間近で見ることで、より社会事業に力を注ぐようになりました。『資本主義の父』と呼ばれながらも、栄一自身は『資本主義』という言葉を使わず、『合本主義』という言葉を用い続けたのには、そうした理由があるのです」(井上館長)

展示「社会・公共事業を推進」。「東京養育院」の事業を中心に、社会福祉・医療、教育支援、社会資本整備事業などを紹介している

人間・渋沢栄一の魅力を広める

渋沢が関与した社会事業は、本当に多岐にわたる。社会福祉・医療分野では、「東京養育院」の他にも、日本赤十字社の前身である博愛社創立時に社員となるなど、さまざまな団体の運営にも関わった。関東大震災が発生すると、民の立場から救護と復興を行う組織「大震災善後会」を立ち上げ、副会長として陣頭指揮を執った。

教育支援においては、商業を専門に教える日本初の学校である商法講習所(後の一橋大学)の運営、発展に尽力し、東京女学館館長や日本女子大学校校長を務めるなど、当時まだ一般的でなかった実業教育や女子教育を推進した。

国際交流に積極的だった渋沢は、曖依村荘に多くの外国要人を招いた。蒋介石も訪れた青淵文庫のテラスと内観

また、民間外交でも重要な役割を担った。特に、日露戦争後に悪化した日米関係の修復には力を尽くした。排日移民問題が過熱する1927年に、日本国際児童親善会を創立して行った「人形交流」は特に知られている。米国の世界国際児童親善会から贈られた1万2千体の「青い目の人形」を日本中に配り、返礼として日本人形58体を米国に贈った。子供たちの心の交流が、未来の日米の親善友好につながることを意図した事業だった。

展示「民間外交を担う」。80歳を過ぎても渡米するなど精力的に活動した

「栄一は人間味のあふれた人。しかし、『日本資本主義の父』と呼ばれ、どこか堅い、とてつもなく大きな存在に思われがちです。2016年の朝ドラ『あさが来た』(NHK)の中で、栄一が『銀行の神様』として描かれると、史料館の入館者数が増えました。銀行という誰もが利用するサービスを作った人ということで、多くの方が親近感を持ってくれたのでしょう。ですから、経済活動だけでなく、子供時代や、社会事業への取り組みについても広く知ってもらいたいです。“公益の追求者”としての“人間・渋沢栄一”が浸透していくように、史料館では今後も努力していきます」(井上館長)

本館エントランスでは栄一の胸像が出迎えてくれる

【施設データ】

渋沢史料館

  • 東京都北区西ヶ原2-16-1 Googleマップ
  • JR王子駅から徒歩5分、東京メトロ南北線西ヶ原駅から徒歩7分、都電荒川線飛鳥山停留場から徒歩4分
  • 開館時間:「渋沢史料館」午前10時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
  • 「晩香廬・青淵文庫」午前10時~午後3時45分
  • 休館日:月曜日(祝日・振替休日は開館、その場合は代休あり)、 年末年始(12月28日~1月4日)、臨時休館日あり
  • 入場料:一般=個人300円、団体240円 小中高生=個人100円、団体80円

 

取材協力・写真提供=公益財団法人渋沢栄一記念財団 渋沢史料館
写真=三輪 憲亮
取材・文=ニッポンドットコム編集部

(バナー写真=青い目の人形を抱く渋沢栄一 渋沢史料館所蔵写真)

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