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鈴木敏夫プロデューサーに聞く“現在進行形”の宮崎駿監督とスタジオジブリ

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宮崎駿監督が長編アニメーションから引退して3年。その間スタジオジブリでは何が起きているのか。30年余にわたりジブリをけん引してきた鈴木プロデューサーにインタビューした。

鈴木 敏夫 SUZUKI Toshio

1948年、名古屋市生まれ。72年慶応義塾大学文学部卒業後、徳間書店に入社。「週刊アサヒ芸能」を経て、78年アニメーション雑誌「アニメージュ」の創刊に参加。副編集長、編集長を務めるかたわら、『風の谷のナウシカ』(84年)、『火垂るの墓』『となりのトトロ』(88年)などの高畑勲・宮崎駿作品の製作に関わる。85年にはスタジオジブリの設立に参加、89年からスタジオジブリの専従に。以後『風立ちぬ』(13年)までの全劇場作品及び、三鷹の森ジブリ美術館(01年開館)のプロデュースを手がける。現・株式会社スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。スタジオジブリ最新作は『レッドタートル』(9月17日公開予定)。

『風の谷のナウシカ』(1984年)、『もののけ姫』(1997年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)など、数々の名作アニメーションを世界に送り出してきた宮崎駿監督が2013年の『風立ちぬ』を最後に長編アニメーションからの引退を表明して3年近くが経つ。宮崎監督(75歳)、高畑勲監督(80歳)という二大巨匠の作品を柱に数々の長編アニメーション映画を製作してきたスタジオジブリは、2014年『思い出のマーニー』(米林宏昌監督)の公開後に制作部門を解散、大きな転換期を迎えている。

そんな中で、宮崎監督が短編『毛虫のボロ』を製作中、しかも初のCGに取り組んでいるという。また、9月にはジブリ最新作として、初の海外共同製作作品『レッドタートル ある島の物語』(マイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督)が公開される。構想10年というこの作品は、5月のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門で特別賞を受賞した。

今、ジブリでは何が起きているのか、そしてどこへ向かうのか。40年近く、高畑、宮崎両監督と、時にはぶつかり、率直な議論を重ねながら作品を生み出し、両監督とジブリを支えてきた鈴木敏夫・代表取締役プロデューサーを東京・小金井市のスタジオジブリに訪ねた。

宮崎監督に「気分転換」にCG短編製作を提案

現在、鈴木プロデューサーは東京・恵比寿の仕事場とスタジオジブリを行き来する毎日。なぜか「映画を作っているときの方が、自分に余裕があった」と言う。

「国内での映画作りを中断したのには、いろいろな理由があります。そのひとつが宮崎(監督)の長編からの引退。高畑(監督)も80歳を超えた。何も考えずに若い人を育てて作らせていくだけでは展望が持てない。しばらく時間をおいて整理して考えてみたい、僕自身も勉強する時間が欲しかった」

ところが、「暇だと思われて」いろいろな人が会いたいと言ってくる。それで最近は人と会うのは主に恵比寿ということになり、必要に応じてジブリに行って仕事をする。実は、毎日ジブリに通うのは避けたい事情があるそうだ。

「大変なんですよ、宮さんに会うと。毎日会社に来ると、彼と費やす時間が1日2、3時間。ジブリへの往復で2時間、彼と話す時間が2時間としても、1日の僕の大事な時間が4時間取られてしまい、大事な仕事が終わらない。それが(毎日はジブリに来ない)本当の大きな理由です」

小金井市のスタジオジブリの仕事部屋で。

もっとも、今は初めてのCG短編に取り組んでいる宮崎監督は、「少し静か」になって助かっている、と鈴木氏は笑う。宮崎監督を“宮さん”と呼び、冗談まじりに監督の近況を語る遠慮のない口ぶりは、監督とのゆるぎない関係を感じさせる。実際、宮崎監督にCG作品に挑んでみたらと提案したのは鈴木氏だった。

「気分転換にいいのではと僕が勧めたんです。手描き(アニメーション)でもよかったが、作り方を変えたほうが新鮮でやる気になるのではと思った」と鈴木氏。

“宮さん”は『毛虫のボロ』をやりたかった

実は『毛虫のボロ』は、宮崎監督が以前にやりたがっていた企画。ちょうど『もののけ姫』が企画として挙がっていた頃だった。

「宮さんは、『毛虫のボロ』の方をやりたいと提案したが僕は反対した」と鈴木氏。「人間が出てこない物語だったので、80分から100分の長編として実現させるのはかなり難しい。『ボロ』を作るならもっと年を取ってからと思っていました。一方、『もののけ姫』は “アクション映画” ですから、それをやるなら(監督が50代半ばの)今だと思い、『もののけ』をやりませんかと提案した。僕の現実的な判断です」

そして、「引退」しても、本当はアニメーション映画を作りたくて仕方がない宮崎監督のホンネがよくわかっていた鈴木氏は、ある日、「暇なので、雑談ばかり」仕掛けてくる監督に「短編でもやりますか?やるとしたら『毛虫のボロ』ですか?」と聞いてみた。

「そしたら怒っちゃってねぇ。『俺がひそかに考えていたことをなんで先に言うんだ!』って。わかってますよ、そんなこと。長い付き合いなんだから」

こうして、初めてCG中心の短編に取り組むことになった宮崎監督に、鈴木氏が提案した選択肢は2つ―ジブリと長年の親交があるジョン・ラセター率いるピクサーのスタッフと一緒に作るか、それとも日本の若いCGスタッフと一緒に作るか。監督の答えは「日本のCGがいいよ。ピクサーの人は(話すのが)英語だからさ」だったとのこと。

『毛虫のボロ』が三鷹の森ジブリ美術館で公開されるのは、あと1、2年先になりそうだ。

高畑・宮崎両監督と「最後まで」付き合う

棚にはこれまで製作したアニメ作品の資料とおなじみのキャラクターたちのフィギュアが並ぶ。

仕事机の上のモニターで好きな映画のDVDを見ることもある。

宮崎監督が鈴木氏の助言を受け入れて、大きな方針転換をしたことは何度かあるが、最後の長編『風立ちぬ』の時もそうだった。監督は『崖の上のポニョ』の続編を作りたかったそうだ。しかし、鈴木氏は宮崎監督が戦争をどう描くかを見たいという思いで、当時監督が模型雑誌で連載中の漫画、零戦を設計した堀越二郎を主人公にした物語の映画化を提案した。当初監督は乗り気でなかったが、結局鈴木氏の提案を尊重した。「彼は『ポニョ2』をやりたがっていたけど、僕は見たくなかった。それだけです」

『風立ちぬ』(2013年7月)、高畑監督の『かぐや姫の物語』(2013年11月)を高畑、宮崎両監督への「退職金代わり」と称したこともある鈴木氏だが、「2人に早く死んでほしいというのが本心」と笑いながら言う。

「2人と出会ったのは1978年だから、もう38年も付き合っている。ここまできたら、最後まで付き合うしかない。とにかくどうやって2人にこの世からいなくなってもらうか、もうそれだけですよね」

「『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』の公開後に、3人で話す機会があり、そのときに冗談で、当初は2本を同日に公開することをもくろんだがうまくいかなかった。もし今度そういうことがあるなら、同じ日に死んでもらえませんか、葬式が1回で済むからと言ったんですよね。高畑さんは笑っていたが、宮さんは怪訝な顔をしていましたね」

高畑監督と宮崎監督は、50年にわたる互いへのライバル意識、尊敬、そして友情で結ばれているが、それぞれに強烈な個性の持ち主で、作風も志向も違う。その2人の巨匠に信頼されて、数々の名作を作り上げてきたプロデューサーだからこそ言える冗談だろう。

ジブリの協力を条件に長編アニメーションに初挑戦

9月に公開される『レッドタートル ある島の物語』のマイケル・デュドク・ドゥ・ヴィット監督はオランダ生まれで、イギリスをベースに活動するアニメーション監督。短編『岸辺のふたり』(2000年)が米アカデミー賞短編アニメーション映画賞を受賞している。同作品に魅せられた鈴木氏が、マイケル監督に長編を作ってみないかと直接打診をしたのは10年前だと言う。

「彼は、自分は8分~10分の作品しか作ったことがないので、ジブリの協力が得られるなら長編を作ってみたいと答えた。それを聞いて、高畑さんに協力してくれますかと聞いたらふたつ返事で了承してくれました」

「当初はシナリオ作りの段階で、イギリスと日本でやり取りをしていたが、なかなか作業が進まない。それで、(マイケル監督に)日本に来ないかと提案しました。8年くらい前ですが、彼は1カ月間、アパートを借りてそこからジブリに通い、高畑さんと相談しながら作業をして、(シナリオ、絵コンテなどの)大体の目処をつけた」

製作費をどうやって確保するかも検討課題だったが、フランスの製作兼配給会社・ワイルドバンチと共同製作することが決まり、アニメーション製作の実作業はフランスを中心に進められた。

これからはボーダレスな映画作りが面白くなる

『レッドタートル ある島の物語』はオランダの監督、ヨーロッパ各国出身のスタッフで製作された。これからは「ヨーロッパだけじゃなく、アメリカ、アジアやアフリカから人が集まって1本作ればいい。もうそういう時代になっている」と鈴木氏は言う。

「いろいろな国の人が集まって1本の映画をつくる時代が来た」

すでに、現在の日本のアニメの6、7割が東南アジアで製作されており、米国のアニメ業界も同様な状況になっているそうだ。「日本のプロデューサーや監督が向こう(東南アジア)へ行って一緒に作る時代が来ているのではないか」

「日本、これからのアジアは中国語、タイ語など、いろいろな言葉を覚えていかないと仕事がうまくできなくなる時代になると思う。作品のテイストも変わるだろうが、それが面白い。そこから何が生まれるのか。ボーダレス時代は面白いことになるなと考えています」

アニメーション製作の世界が手描きからデジタルへ、ボーダレスへと大きな変化の時を迎えた今、宣伝も新聞、テレビ、雑誌や企業とのタイアップからネット、SNSを駆使した戦略が主流となりつつある。「もう僕の手に負えない」と鈴木氏は潔く認める。今、何かと頼もしく思っている存在は、ジブリに「弟子入り」したこともあるIT企業ドワンゴの川上量生(のぶお)会長だそうだ。「(アニメを)作る方だけでなく、それをどうやって世の中に送り出すかもデジタル化している。いよいよ僕の時代じゃないな」

一つの時代が終わったのは確かだが、当面、「アナログ世代」のジブリファンとしては、この夏東京で開催される「ジブリ大博覧会」でそれぞれの作品と出会った頃に思いを馳せたい。

(2016年6月13日のインタビューに基づき構成)

取材・文=板倉 君枝(ニッポンドットコム編集部) 撮影=大河内 禎

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