
和菓子を育てた日本独自の砂糖「和三盆」を訪ねて
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和菓子発展に寄与した日本独自の砂糖
「和食」が2013年にユネスコの無形文化遺産に登録されたが、その影響もあって「和菓子」も脚光を浴び始めている。お茶にあう日本的な甘みを抑えた菓子として江戸時代から好まれてきたが、味覚だけでなく、美的な和菓子の作りも人気の秘密だ。
その和菓子の発展に大きく寄与したのが、甘味材料である「和三盆」(わさんぼん)だと言われている。和三盆は、四国の徳島、香川両県など四国東部で伝統的に生産されている砂糖の一種だ。
特に和三盆は、今使われている白砂糖が手に入らない江戸時代、程よい甘さとほのかな香りによって、和菓子づくりに利用され、和菓子が持つ味覚の繊細さを生み出してきた。和三盆は、ほのかに淡い黄色をしており、極めて細かな粒子の甘味料で、口の中でとろと溶けるような甘さが特徴。
三盆の名は、「盆の上で砂糖を三度研ぐ」」という日本で工夫された独自の製糖工程から来たもので、高級砂糖を意味する。余談だが、「和三盆」が利用される以前、日本でもっとも甘い嗜好品は柿であったと言われている。
きめ細やかさを生むのは徳島ならではの伝統製法
和三盆糖の原料である“竹糖”が徳島県にもたらされたのは、200年余前。徳島の住民が、宮崎県から竹糖の根の一部を持ち帰り、栽培を始めた。徳島県の特産物になったが、第2次世界大戦後、安価な南方の精製糖が輸入され始めると、単位面積当たりの収穫量が少なく、製造工程も複雑な和三盆糖の生産は急速に減ってしまった。とはいえ、和菓子作りを支えるのは今でも国内糖である。徳島県では、昔ながらの製糖方法による和三盆糖が今も受け継がれている。
現在、徳島県で生産されている和三盆を「阿波(あわ)和三盆糖」、香川県で生産されている和三盆を「讃岐(さぬき)和三盆糖」と呼んでいる。貴重な特産品であり、全国の和菓子や郷土菓子には欠かせぬ材料で、ほとんどが有名な老舗の和菓子屋に納入されている。高級和菓子といわれる「落雁」(らくがん)には欠かせない物である。
製造現場「服部製糖所」を実地体験
そこで、竹糖栽培から和三盆糖の製造までの全工程を昔ながらの製法で行っている「服部製糖所」(徳島県阿波市吉野町)を訪れた。製糖所の前には、一面の竹糖畑が広がる。無農薬、手作業での竹糖栽培。春から秋にかけて竹糖を栽培し、冬には製糖所の奥にある作業場での製糖を行う。
和三盆糖の風味を最もよく楽しめるのは、和三盆糖を固めただけの干菓子だ。しかし、干菓子の代表格として市販されているものの多くにはつなぎが含まれている。あまりにきめ細かいため、流通時の振動で形崩れしてしまうためだ。和三盆糖の風味を凝縮した無添加の和三盆干菓子は、自分で作らなくては食べられない。「日本の文化を子供たちに体験させたい」と広島から来られたご家族と、服部製糖所での和三盆糖百パーセントの干菓子作りに挑戦した。
和三盆糖の粉をボウルに入れる。手触りは柔らかくさらさらして心地よい。霧吹きで水を数回吹きかける。湿気によって和三盆糖の粉を固める。かき混ぜて全体に水分を行き渡らせた粉をこしきでこす。湿り気を含んだ細かい和三盆粉ができあがった。
溶けゆく和三盆の優しい香りが広がる
次は木型を使っての形作りだ。木型には彫刻がほどこされ、木のくりぬき部分が、干菓子の形になる。細かな彫刻がほどこされた木型のくりぬきは、小さな凹みというよりも一つの世界を思わせる。
凹みに和三盆粉を入れ、指先とてのひらを使って力をかける。粘土遊びの楽しさに似て、子供たちもはしゃぎながら小さな手で木型に粉を押し込む。全体的に力がかかると、いよいよ取り出しだ。木型の周辺を叩いて、木型とお菓子との間に少し隙間をつくる。ゆっくり慎重に木型をひっくり返すと、凹みから干菓子が飛び出した。木型の繊細な模様をそっくり写し取った、素朴でかつ優美なお菓子だ。
水を含んで和三盆の粉はしっとりと固まる(写真左)。木型から飛び出す干菓子(写真右)
撮影=中野 晴生
取材協力=服部製糖所