世界のゴジラを生んだ日本の特撮

ウルトラマンに込めたマイノリティーへの視線

文化

半世紀にわたり世代を超えて愛されるウルトラマン。シリーズ初期を支えた脚本家の1人、上原正三さんが、「光の国」からやって来た宇宙人ヒーローと怪獣たちとの戦いに込めた思いとは。

リアリズムを追求した『帰ってきたウルトラマン』

上原さんは、石森章太郎原作の特撮ヒーローもの、『仮面ライダー』の立ち上げにも関わっていた。その第1話の草稿を書こうとしていた頃、円谷プロから、ウルトラマンを復活させるので戻ってほしいと頼まれ、『帰ってきたウルトラマン』(1971年4月~72年3月)のメインライターを務めることになる。

「何しろ、初代『ゴジラ』の本多猪四郎監督が1話、2話を撮るというから、緊張したよ」。70年に円谷英二監督が亡くなり、その弔い合戦の勢いで、スタッフの結束は固かった。上原さんは、改めて、金城さんが完成させた颯爽(さっそう)としたヒーローとは違うウルトラマンをつくり出そうと決意した。「同じことをやっても金城にはかなわない。金城のファンタジーに対して、リアリティーを追求しようと思った」。

主人公の郷秀樹は怪獣攻撃隊(MAT)のメンバーだが、もともとは自動車修理工の普通の青年だった。その郷が内面で激しく葛藤する様子が描かれるのが、上原さんの衝撃的な問題作『怪獣使いと少年』(第33話)だ。

川崎を舞台に、北海道江差出身の孤児の少年と河原のバラックに居ついた実は宇宙人の老人との交流。そして2人に対する差別と迫害を描いたこのエピソードは、集団心理の怖さを浮かび上がらせる。宇宙人である老人は撃ち殺され、彼が地下に封印していた怪獣が解き放たれる。市民たちは、MATの隊員である郷に、早く怪獣をやっつけろと叫ぶ。だが、郷はウルトラマンに変身するのをためらう。「怪獣をおびき出したのはあんたたちだ!」

少年はアイヌで、老人に化けた宇宙人は在日コリアンを念頭に置いて書いたと言う。マイノリティーの琉球人として、あくまでも少年、宇宙人、怪獣側に寄り添っていた。このエピソードの放映後、上原さんはメインライターから外される。

語り継がれる「おとぎ話」として

その後、上原さんは『がんばれ!!ロボコン』『秘密戦隊ゴレンジャー』など数々の人気子供向け番組の脚本を執筆。一方、沖縄に戻った金城さんは、沖縄芝居の脚本や演出に力を入れていた。1975年、沖縄国際海洋博覧会のメインセレモニーの構成・演出を手掛けたが、海洋博は沖縄の海を破壊したという地元の批判に苦しんだ。翌年、不慮の事故により37歳で急逝。

金城哲夫さん(右)の生家、沖縄南風原町の料亭「松風苑」では、彼の書斎を「金城哲夫資料館」として希望者に公開している。書斎の机の上には、資料館を訪れたファンたちが寄贈したフィギュアが飾られている(写真:金城哲夫資料館)

今夏、放映50年を記念して、NHKが実施したファンによるウルトラマンシリーズの人気投票では、1位は金城さん担当の『ウルトラセブン』最終回『史上最大の侵略(後編)』、2位が上原さんの『怪獣使いと少年』だった。「10代から50代まで、(初期シリーズの)熱烈なファンがいて、何度も見ては、そのたびに違う意味を読み取ってくれる」と上原さん。「かぐや姫」「桃太郎」「浦島太郎」などの日本の昔話に、現代人がさまざまな意味、解釈を見いだすように、自分たちのウルトラマンが世代を超えて読み継がれる「永遠のベストセラー」になってくれればいいと願っている。

取材・文:ニッポンドットコム編集部 板倉 君枝/大谷 清英

バナー写真:株式会社バンダイの本社ビルの前に置かれたウルトラマン。多額の製作費により経営悪化した円谷プロダクションは、2008年、バンダイと資本・業務提携した(時事)

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