怪獣特撮映画、空想力と独自の工夫の軌跡
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海外からリスペクトされる「特撮」
日本のポップカルチャーの中でも、「特撮」は独特の手触りを備えた魅力的なジャンルだ。ミニチュアやスーツなどリアルでディテール豊かな被写体を空想の力で別ものに見たて、驚きを解放するカタルシスには、直接皮膚を刺激するようなところがある。
「特撮」という用語は本来「特殊撮影」の略だったが、現在の意味は大きく以下の2つとなっている。
(1) 通常では撮影困難な状況や被写体を映像化する技法
(2) ゴジラやウルトラマンなど特撮技術を駆使したキャラクター映像ジャンル
前者については1990年代中盤以後、デジタル技術の急速な発展と低廉化によってCGが中心となり、ミニチュアワークなど伝統的な特撮技術の出番は減っている。後者で現状「特撮」と認識される作品の大半は仮面ライダー、スーパー戦隊シリーズなど等身大ヒーロー中心で、ミニチュア特撮の出番は限定的である。
ゴジラ映画は日本で全28作品が作られたが、10年前の『ゴジラ FINAL WARS』以後は休眠状態だ。ウルトラマンは有名怪獣や歴代ヒーローが共演する新作が継続しているが、大規模な都市破壊シーンは多くない。
ミニチュアセットの中で巨大に見たてた怪獣やヒーローが大暴れする「これぞ特撮!」という映像は、国内ではあまり作られなくなっている。逆に海外では「特撮リスペクト」が強まっている。巨大ロボットが怪獣と格闘する映画 『パシフィック・リム』 (2013) がアメリカで製作され、ハリウッドの新作映画 『GODZILLA』 はすでに5月、諸外国で大ヒットとなっている(日本公開は7月25日)。いずれも、かつて日本が得意とした「巨大怪獣が大暴れして生活空間を脅かす」という映像を、大予算をかけたCGで再現した作品だ。
こうした内外のギャップを埋めるため、ここでは日本の特撮の文化的な位置づけについて語ってみたい。
「アニメ」とともに「特撮」が成長した時代
日本の高度成長とも重なる昭和中期(1954~70年ごろ)、円谷英二特技監督のつくりあげた特撮映画は世界で評価され、数多く輸出された。そして各国で後に映像クリエイターとなる子どもに感動と刺激を与えていった。
初代『ゴジラ』が封切られた1954年から円谷英二が亡くなる1970年ぐらいまでが、最初の特撮黄金期と言える。そして1970年代後半まで、「特撮」は児童向け映像文化の中で「アニメ」とは同格で、相互に影響を与えあって進化をとげていった。
ところが現在では「文化庁メディア芸術祭」のカテゴリーに「アニメーション」はあっても「特撮」はない。ファンの間にも断絶ができている。しかし海外が両文化の密接な関係性や特徴を的確に捉えているなら、この機会にあらためて再確認する必要がある。
現在「日本のアニメーション」は「Anime」という日本式略語のまま、世界中で親しまれている。「漫画の神様」手塚治虫が1963年、『鉄腕アトム』を自ら興した虫プロダクションでTVシリーズ化したことが、その成長のきっかけだった。欧米のフルアニメーションと違い、「省略と誇張」の発想で止め絵を多用し、1秒間に使う絵の枚数を減らすなど独自の工夫で手塚流リミテッドアニメを開発し、「毎週30分のTV放送」を可能とした。
同様に「特撮」という用語も、本来の技術を指す「Visual Effects」とは若干異なる意味あいをもち、「Tokusatsu」と呼ばれ始めている。島国ゆえリソースの限られた日本では、海外由来の技術や文化を日本流に解釈し、取り回しのいい小型・高効率のものに工夫して世界に発信するのが得意だ。それは「アニメ」「特撮」にも共通しているのである。
海外とは違う方法論で誕生したゴジラ
「特撮」の場合の「工夫」はどこにあるのだろうか。そのルーツ『ゴジラ』は1954年に東宝で製作され、大ヒットした映画だ。企画から公開までは約半年しかなく、特撮を担当した円谷英二は短期間で撮影するために、1930年代から海外では巨大生物を描くときの定番手法だったコマ撮り技法(ストップモーション・アニメーション)をあきらめざるを得なかった。代わりに採択されたのが、「ミニチュアセットの都市風景の中で、ゴジラのスーツを着た俳優が演技する」という手法だ。
「安っぽく見えるのでは」という懸念とは逆に、100キロを超えるゴジラのスーツは重量感にあふれ、ゴツゴツした樹脂の表皮も質感が豊かに見えた。口を開くなど表情が必要なときはギニョールという小型の手踊り式ゴジラが用いられ、ビル街を壊して歩くカットでは下半身のみのゴジラが使われた。適材適所の使い分けでイメージが膨らみ、ゴジラの大暴れには「まるで生きているような」前代未聞の迫真性が出た。
さらに「光学合成」と呼ばれる手法でフィルムが加工され、特撮ステージのゴジラと実景の避難民が一体化して観客を作品世界に引き込む。しかもゴジラが口から高熱の火炎を放つカットでは、背びれの発光と火炎がアニメーション線画によって描かれ、「恐竜が巨大化した」という以上の存在感と恐怖が誇張されている。
海外では「恐竜の復活」や「野生動物の巨大化」が主流で、リアリズム的傾向が強いのに対し、日本の怪獣ゴジラは発光や光線を放つなど「科学的な超常能力」を見せる点も大きな違いだ。怪獣のいる空想世界をスーツやミニチュアなど「実物に見たてたもの」で再現し、多様な特撮技術の組み合わせと構図など工夫を積み重ね、入念に演出してイメージを膨らませる。リアルだが本物ではない隙間が触媒となって観客側の空想力を刺激し、逆に実物を越える驚きを生み出す。それが日本の「特撮」の発想であり、魅力である。
TVの世界で発展した特撮文化
『ゴジラ』大ヒットの結果、翌年には続編『ゴジラの逆襲』が製作され、円谷英二には特技監督という役職名が与えられる。「特撮の神様」円谷英二は子どもたちの憧れの的となり、「特撮で見せるスペクタクル」「ゴジラという特撮キャラクター」を映画館へ見に行くという、新しい映画の楽しみ方が加わったのである。
怪獣キャラクターもバリエーション豊かになった。高速で空を飛ぶ翼竜に似たラドン。南海の孤島から来た巨大な芋虫が東京タワーに繭(まゆ)をかけ、蛾に変化するモスラ。三本の長い首に巨大な羽を備えた金色の龍キングギドラ。怪獣以外にも、全面核戦争の恐怖や気体・液体に変形する人間など豊かな題材を得て特撮技術も発展し、他社も巻きこんで「特撮映画」が一大ジャンルに成長していった。
そして特撮は、映画から映像メディアの中心となったテレビに進出する。『鉄腕アトム』から3年後の1966年、「特撮の神様」円谷英二が自ら興した円谷特技プロダクションで、空想特撮シリーズ『ウルトラQ』を製作、これが放送されるや爆発的な大ヒットとなったのだ。「本格的特撮で怪獣を描く番組は予算・時間の面からテレビでは無理」という固定観念は覆り、「怪獣ブーム」が加熱して各社がTV特撮番組を製作し始める。
「神様」がテレビに挑戦して突破口を開き、後の大きな発展に至る。この経緯は、『鉄腕アトム』のケースと相似形を描く部分が多い。そしてゴジラもアトムも「原子力」と大きな関連があり、「科学技術の時代」と密接な関係がある。アニメ文化と特撮文化が高度成長期に両輪となって発展した結果、世界に大きな影響力を及ぼすに至る映像文化が日本に花開いたわけだ。
技術立国・日本の特質は、映像の世界にも反映しているのである。
ウルトラマンが開拓したフォーマット
さて『ウルトラQ』の大ヒットを受け、半年後に続編『ウルトラマン』の放送がスタートする。毎週現れる新怪獣に決着をつけるため、ヒーローが必要とされたのだ。ここに「怪獣に対処する専門チームの一員が巨大な宇宙人ヒーローに変身する」という斬新な番組が誕生したのである。
正義の超人ウルトラマンは、ロケットやロボットを連想させるデザインだ。それは高度成長期を支えた「科学技術」のシンボルでもあった。ボディの金属的な銀色は「科学」、赤いラインは「人間性」と、ハイブリッドな存在をビジュアル化した点は見逃せない。
ウルトラマンが誕生したことで、子ども向けTV番組に「毎週違う怪物が出て、それをヒーローが倒す」というフォーマットが確立し、定番となっていった。1972年末にはロボットアニメ『マジンガーZ』が登場する。主人公が乗り物で巨大ロボットに合体し、操縦して敵の機械獣を倒すという趣向で、これもウルトラマンの進化発展形であった。1970年代は続々と「巨大ロボットアニメ」がつくられ、1979年には最大級のヒット作品『機動戦士ガンダム』が誕生する。
さらに後年の1995年には、TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』が登場し、大ヒットする。これはウルトラマン的な巨人にマジンガーZ的なアーマーを装着して人間が乗り込むという設定とした。つまり「特撮ヒーローと巨大ロボットのハイブリッド化」によって、文化の総決算を試みた存在であった。
こうしてゴジラから始まった特撮文化はアニメ文化にも大きな影響を及ぼし、数多くのキャラクターを連鎖反応的に生み出し、全体を進化させた。一方で、「ミニチュアなど実物を空想力で見たてる」という手法は、CG発達の影響で衰退の一途をたどっている。
しかし、「アニメと特撮」の関係性、発展の歴史的経緯を再点検することで、日本だけが可能とする新たな突破口がきっと見えるに違いない。世界に類をみない映像の驚きを生みだしてきた日本の「特撮」。新時代のクリエイターがその発想力を学ぶことで、かつて世界に響いた工夫の数々からヒントを得て、まだまだ発展できるはずだ。
世界から日本のクリエイションへのリスペクトが向けられている現在こそ、「日本らしい映像」を開拓すべく、「特撮の真価」を見つめ直すべき時ではないだろうか。
(2014年6月16日 記)