欧州で茶の湯の普及に尽力する、野尻命子に聞く
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現在、茶道裏千家の拠点は、37カ国、111カ所にある。しかし、今から55年前、野尻命子が単身ローマに渡ったころ、茶の湯は欧州でほとんど知られていなかった。米国では、岡倉天心が『茶の本』を英語で著し、既に裏千家第15代家元の千宗室(現・千玄室)が、茶道の指導の基礎作りを始めていた。しかし、伝統ある欧州で、果たして日本の「茶の湯」が受け入れられるのか。家元は、野尻の師匠から「東京芸術大学の油絵科を卒業し、イタリア留学試験に合格したばかりの弟子がいること」を聞かされ、彼女に四畳半の畳表(たたみおもて)と茶道具一式を託し、市場調査を任せた。
長い船旅の末、ローマに到着した野尻が、まず購入したのが車だ。日本円にして約3万6千円という破格の値段で、中古車を入手すると、茶の湯のデモンストレーションのため、ルーフ・キャリアに畳を積み、茶道具一式を助手席に載せ、欧州各地を駆け巡った。
「当時のヨーロッパでは、鈴木大拙の禅思想が広まりつつあり、茶の湯を精神文化として理解してくれる素地があると感じました」
チェントロ・ウラセンケの誕生
1969年、野尻は当時の裏千家家元から、ローマ出張所(チェントロ・ウラセンケ)の開設を依頼される。閑静なプラーティ地区に重厚感あふれる建物を見つけると、家主は「自由に改装してよい」という。そこで、食堂だった洋間を茶室に改造し、他の2部屋と廊下の間仕切りは取り払って、茶会を開ける大広間をつくった。
ジャンルを超えてアプローチ
その後の野尻の奮闘ぶりには目を見張るばかりだ。音楽家、画家、彫刻家、詩人らと積極的に交流し、日本の茶の湯への理解者の層を広げた。「もともと茶室が完成する以前から、毎月芸術家の方々をローマの日本文化会館に招いて、お茶のデモンストレーションを行っていました。茶の心や、茶庭・茶室・茶道具などの説明も詳しくしていたので、茶室ができると皆、訪ねてきてくれ、友人たちを紹介してくださいました」
また野尻は、バチカン市国との縁を築き、神父たちとの交流を活発化させる。幸いにも1965年、カトリック教会は、第2バチカン公会議の結果、他宗教、他宗派、他思想に開かれた教会であることを宣言。それまで神父たちは、禅に興味を持っていたとしても、禅寺を訪問することはおろか、禅僧と話すことも禁止されていたが、お茶や座禅を学ぶために、野尻のもとに積極的に通ってくるようになった。
「神父さんたちが、宗教という枠を超え、日常的な動作に表れる茶道の精神性に共鳴したのは、『我』を捨てるという宗教の基本が、茶の修行にも共通するからではないでしょうか。日頃からミサを執り行う神父たちにとって、動きや形を通したお茶のコミュニケーションのとり方も、受け入れやすかったのだと思います」
茶の湯を介したバチカンとの交流はいまも続いており、昨年3月には、日本とバチカンの国交樹立75周年を記念して、現地の日本大使公邸で茶会を開催した。
苦楽をともにしたイタリア人女性
現在に至るまで、野尻の右腕としてサポートしているイタリア人女性エンマ・ディ・バレリオとの出会いも、野尻のヨーロッパにおける茶道の指導方針に大きな影響を与えた。ラテン語教師だったディ・バレリオは、野尻と同じく登山が趣味で、1963年5月に知人宅で引き合わされると、二人はすぐに意気投合。もともと日本文化に興味を持ち、日本語や日本画を習っていたディ・バレリオは、裏千家ローマ出張所ができると、待ってましたとばかり、稽古にやって来たという。そして、野尻が日々の稽古の手引き用に、『茶経』『利休百首』『南方録』といった文献をイタリア語に訳すと、それをディ・バレリオが校正するという、共同作業がスタートした。
欧州での指導方針を模索する野尻に、ディ・バレリオは「ヨーロッパ人は、形式よりも哲学的な基礎に興味があるので、茶の湯の本質に触れたいのです。そうでなければ、たかがお茶一杯くらい、ソファで楽な格好で飲めばいいのですから」と説いた。
「ここローマには、正式な茶室もなく、道具も稽古用のものしかないので、私に教えられるのは『茶の心』しか無いことを、エンマが気づかせてくれました。日本人がお茶を習うというと、お点前の手順や道具の扱い方を覚えることに意識が向かいがちです。しかし、ヨーロッパの方が求めているのは、言葉を超えた心のふれあい、落ち着き、静けさです。お茶を学ぶことによって、それらが身につき、日常生活で実現可能となるからこそ、多くの人が魅力を感じてくれたのだと思います」
1974年には、ローマ留学中の樂家15代当主で陶芸家の樂吉左衞門に、ディ・バレリオが稽古の手ほどきをして、野尻が茶のデモンストレーションや、ドイツの精神学会や東西文化研究の集会などに連れ回った。日本の伝統に懐疑的姿勢を取っていた樂を、茶の世界に開眼させたのは、他ならぬ野尻である。
大切なのは呼吸と姿勢
野尻が茶道初心者にまず教えるのは、点前の手順ではなく、正しい呼吸と姿勢だ。「足を少し開いたまま立たせ、ゆっくり丹田を押して、きちんと呼吸ができるかチェックします。そして、そのままの姿勢で大木を抱くように両腕で肩の高さに円をつくり、筋肉の力ではなく、丹田のエネルギーを感じられるようになるまで、数カ月、訓練していただきます」。外国人にとって慣れない正座も、正しい腰の位置を定め、丹田で呼吸することで、リラックスしていても姿勢が崩れなくなるという。
「お茶は、主・客の心の交流が根本なので、心を落ち着け、緊張を解いて動作することが不可欠になります。姿勢と呼吸と動作の三拍子をそろえることは、とても難しいです。手順に気をとられた途端、息が上がってしまいます。何があっても落ち着いて臨機応変に対処できるようになることがお茶の修行の目的であり、どんなときにも落ち着いた雰囲気をつくるのがお茶の心なのです」
心を調(ととの)えるための茶の湯
取材日、稽古場に来ていた銀行員のアンドレア・ファラも、野尻の指導に感銘を受けた一人だ。「慌ただしい日常の中で、自分を見失いがちになりますが、静かにお茶を点てることで、自分自身を取り戻せます。折角、ここで落ち着きを取り戻せたのですから、茶室を出た後も、その境地を保てるように心がけています」
野尻もこう断言する。「ヨーロッパの方々に、お茶の点前の手順だけをお教えしても、単なる異国趣味で終ってしまいます。それでは長い期間、修行として続けられませんが、私が指導しているイタリア、ベルギー、スペイン、スイス、オーストリア、ドイツ、ルーマニアなどの生徒さんたちは、心を調える手段として、丹田呼吸や座禅を習い、主と客が落ち着いて心を通わせる在り方として、お茶を学んでいることが大変うれしいです」
茶の湯の持つ価値のうち、何が日本的特殊性に根ざしたのもので、何が普遍的に伝承できるかを考え続けてきた野尻が出した結論が「常に落ち着いて、心を開いていること」だ。伝統も宗教も考え方も違う欧州で「日本の茶の湯の精神」を伝える苦労は、計り知れないものがあっただろう。しかし、イタリア語・英語・フランス語を習得し、ヨーロッパ各国の歴史・風俗・習慣を学び、現地にたくさんの信奉者を得た野尻だからこそ、その指導を受けたいという人が、今も後を絶たない。
取材が行われた日も、約2時間、愛馬にまたがり野原を走りまわっていた野尻。翌日には、アイルランドで行われるグループ稽古に旅立った。野尻がドイツで最初に指導した弟子のバースチャン夫妻からの要請に応えたものだ。彼らはドイツ人ながらアイルランドの田舎に移住し、そこに自らの手で自宅と茶室を建て、仲間と稽古を続けている。欧州各地で野尻が教えた茶の精神は、脈々と生きている。
取材・文:川勝 美樹
写真:ミライ・プルヴィレンティ