真珠にまつわる情報を発信:ミキモト真珠島
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世界中の真珠養殖業に携わる人は、初めて養殖技術を結実させた御木本幸吉(1858-1954)の根気強い研究に多くを負っている。
海産物商人から真珠養殖へ転身
鳥羽のうどん屋「阿波幸」の長男として生まれた御木本は、13歳で青物行商を始めた。その後は海産物商人となり、アワビや乾燥ナマコを行商していた。そんな御木本が地元特産の真珠に着目したのは、商売の勉強で東京を訪れた時。明治のこの時代、真珠は今よりもずっと貴重な宝石だった。
欧州では養殖への取り組みが盛んに行われていたが、成功例はなかった。御木本はアコヤガイと真珠の養殖を始め、5年に及ぶ試行錯誤を経て、1893年にまず「半円真珠」を作り出すことに成功した。
その後も御木本は、見瀬辰平と西川藤吉と競って研究に励んだ。そして1908年、世界初の「真円真珠」完成させて特許を取得した。
最先端技術で海中の異変を察知
御木本が開発した真珠養殖技術は、120年たった現在でも広く用いられている。
基礎となる技術に加え、近年はITを駆使した養殖も進んでいる。その一つが 「貝リンガル」システム。1992年の赤潮で大打撃を受けたのがきっかけで、ミキモト真珠研究所の主導で開発された。
海中の環境変化は、貝に大きな被害をもたらすことがある。同システムは、異常があると殻の開閉運動が激しくなる二枚貝の性質に着目。貝にセンサーを装着、赤潮の発生など環境の異変を感知した場合、養殖業者の携帯端末などにその内容を送信する。
養殖真珠発祥の地に博物館
御木本の功績をたたえ、養殖真珠発祥の地となった小さな島(ミキモト真珠島)は博物館になった。真珠の養殖事業が始まった当初、部外者の島への立ち入りは一切禁じられていた。しかし現在では、国内外から多くの観光客が訪れるようになった。
館内では、真珠の養殖技術とその歴史が詳しく紹介されている。世界の貝の中で、真珠の養殖に使われるのはわずか6種類。三重県の養殖業者は通常アコヤガイを使用しているが、黒真珠の生産にはタヒチ産のクロチョウガイ、大粒の南洋真珠には大きめのシロチョウガイが用いられている。
収穫される真珠貝のうち、完璧な真珠を作り出すものはわずか5%。宝石として売り物にならない真珠はサプリメントや、最近では化粧品の原料として使われるという。
伝統的な素潜り漁をする「海女」を含め、世界中の真珠産業に関するさまざまな写真も展示されている。
最高級の宝飾品
御木本はさまざまな博覧会に出品して養殖真珠をアピールするため、真珠をふんだんに使った美術工芸品を制作した。博物館では、それらを含めた高級宝飾品250点あまりが展示されている。
ミキモト装身具制作による代表作の一つが、奈良・正倉院の名宝をモチーフにした『真珠宝飾五弦琵琶』。紫檀(したん)と花梨(カリン)でつくられた琵琶を、金やプラチナ、6284個のアコヤ真珠、4408個のダイヤモンドなどで飾っている。
ミキモト真珠島(真珠博物館)
住所:三重県鳥羽市鳥羽1丁目7-1
TEL: 0599(25)2028 Fax: 0599(25)2655
公式ホームページ:http://www.mikimoto-pearl-museum.co.jp/
原文英語
写真=本野 克佳