伝統美のモダニズム “Cool Traditions”

浮世絵技術を現代に継承する職人集団「アダチ版画研究所」

文化

小山 ブリジット 【Profile】

北斎や歌麿などの傑作の復刻を約1200点も手掛けてきた「アダチ版画研究所」。フランス人の日本美術研究家が工房を訪ね、江戸時代から変わらない制作の現場をレポートする。

浮世絵が現代性を持ち続けるための挑戦

アダチ版画研究所が東京に工房を開いたのは1928年。それ以降、鈴木春信(1725?-1770)、葛飾北斎、歌川広重(1797-1858)、東洲斎写楽(生没年不詳)らの傑作約1200点の復刻に取り組んできた。特筆すべきは、写楽の全作品142点の完全復刻を手掛けたことだ。

東洲斎写楽 『三世大谷鬼次の奴江戸兵衛』

歌川広重 『名所江戸百景 日本橋雪晴』

喜多川歌麿 『婦女人相十品 ビードロを吹く娘』

江戸時代の作品の忠実な復刻とともに、横山大観(1868-1958)、平山郁夫(1930-2009)など20世紀の画家たちの作品の複製木版画も手掛けてきた。現在では、平松礼二(1941-)や山口晃(1969-)などの現代アーティストに浮世絵の絵師になってもらって、版下を依頼し、そこからオリジナル木版画を作るという試みにも取り組んでいる。

平松礼二『春』  平松礼二の素描による多色刷り木版画 ©平松礼二 アダチ版画研究所 2013年


山口晃 『新東都名所 東海道中 日本橋 改』 山口晃の素描による多色刷り木版画 ©山口晃 ミヅマアートギャラリー アダチ版画研究所 2012年

アダチ版画研究所が存在しなかったら、江戸時代からの浮世絵の伝統は消滅の危機に陥っていたに違いない。今でも個人で仕事を請け負う彫師や摺師はいるが、同研究所のように、協同作業で浮世絵・木版画を制作する集団はない。より完成度の高い木版画を生み出すためには、職人たちのコミュニケーションが不可欠だ。同研究所は高度な浮世絵技術を守る“最後のとりで”と言える。

現代では、リトグラフやシルクスクリーン、デジタルプリントなどさまざまな版画技法があり、アダチ版画研究所のように版木から作る木版画は少数派だ。しかし、木版画で摺られた浮世絵には独特の味わいがある。温かみのある味わいは、和紙に水性絵具を摺り込んで発色させるという日本独自の印刷技法だからこそ生まれるものだ。

同研究所が伝統木版画の技術を保存し、その技術者を育成することを目的として、「アダチ伝統木版画技術保存財団」を設立したのも、木版画の素晴らしさを後世に伝えるためだ。

「浮世絵の伝統を残していくために最も必要なのは、現代人が買いたいと思う作品を作り続けることです」と、同財団理事も兼ねる中山さんは言う。「販路の開拓も必要です。リビングルームのインテリアや海外へのギフトなど、浮世絵が現代人の生活でも楽しめるものであること知ってもらうのも私たちの役目だと思っています。現代作家の作品を木版画で手掛けるのは、21世紀において“現代の浮世絵”を作るというチャレンジでもあるのです」

浮世絵の「浮世」とは現代のこと。日本の伝統芸術の至宝である卓越した技術が次世代へと受け継がれ、これからも浮世絵は現代性を持ち続けるに違いない。

(原文フランス語)

撮影=大橋 弘
イラスト=井塚 剛

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小山 ブリジットBrigitte Koyama-Richard経歴・執筆一覧を見る

武蔵大学人文学部教授。パリ生まれ。パリ大学大学院で比較文学博士号を取得。早稲田大学大学院で日本の近代文学を学ぶ。専門は比較文学、美術(ジャポニスム)。著書に、『夢みた日本 エドモン・ド・ゴンクールと林忠正』(平凡社)などがある。

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