伝統美のモダニズム “Cool Traditions”

浮世絵技術を現代に継承する職人集団「アダチ版画研究所」

文化

小山 ブリジット 【Profile】

北斎や歌麿などの傑作の復刻を約1200点も手掛けてきた「アダチ版画研究所」。フランス人の日本美術研究家が工房を訪ね、江戸時代から変わらない制作の現場をレポートする。

発色の秘訣は摺りにあり

次に、この道40年以上の摺師(すりし)、仲田昇(77歳)さんが、一色ずつ色を付ける作業を始める。最初に伝統的な和紙の上に 「礬水(どうさ)」と呼ばれる液体を塗る。 礬水は明礬(みょうばん)と膠(にかわ)を混ぜて煮たもの。にじみ防止の効果がある。

浮世絵の輪郭線は墨で摺られるのが普通だが、北斎の『神奈川沖浪裏』では藍が用いられる。絵具はすべて鉱物性か植物性のものが使用されていたが、19世紀末頃から色彩鮮やかな化学的なものが出回るようになった。アダチの職人たちは、できる限り江戸時代の頃と同じ絵具を水に溶かして使っている。

摺師の仲田昇さん

摺師はまず、馬毛(尻尾)の刷毛(はけ)を使って版木を水でぬらす。版木が顔料を吸収しやすくするための準備だ。それから摺りにかかる。見本の色に応じて絵具を配合し、一定量の絵具を版木の上にのせ(写真上)、刷毛でしっかりと版木になじませる。それから、「見当」に合わせて紙を版木の上にのせる。摺台と呼ばれる斜めになった木机を前に、摺師はあぐらをかいて「馬連(ばれん)」で紙の上をこする。 摺台は手前が少し高くなっていて、摺る部分が遠くなっても力を十分に伝えられるようになっている。

摺師は、色版について同じ作業を繰り返す。薄い色から始めて、だんだん濃い色に移る。乾燥によって版木が縮んだ場合には、2つの「見当」の位置を調整して、色がずれないように摺る。

摺りは力作業で、これまで摺師はすべて男性だったが、最近では女性の摺師もいる。馬連で摺り込むことで絵具が和紙の繊維の奥深くまで入り込み、味わい深い独特の発色が生まれる。色摺りのほか、紙に凹凸をつけたり、ぼかしを入れるなど、多くのテクニックがある。

摺りの順序 主版を藍で摺り、薄い色版から濃い色版へと摺り重ねていく。

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小山 ブリジットBrigitte Koyama-Richard経歴・執筆一覧を見る

武蔵大学人文学部教授。パリ生まれ。パリ大学大学院で比較文学博士号を取得。早稲田大学大学院で日本の近代文学を学ぶ。専門は比較文学、美術(ジャポニスム)。著書に、『夢みた日本 エドモン・ド・ゴンクールと林忠正』(平凡社)などがある。

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