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山の食文化 日本流ジビエ

文化 暮らし

上原 良子 【Profile】

日本には古くから「山肉」を食す文化がある。近年はフランス料理の食材として活用する日本人シェフも増えてきた。地域振興から、人と自然の共生まで、幅広いテーマを含む山の食文化に注目してみよう。

「山」の日本

最先端のビルと、路地裏の民家との不思議な共存。東京を訪れる外国人の多くが描く日本のイメージであろう。そこではしばしば自然の不在を嘆く声が多い。しかし、東京を離れ、山間部に向かうと、全く異なる日本の姿に出会うことができる。「ディープ・ジャパン」とでもいうべき「山の日本」である。

実は、日本は国土の70%弱が森林に覆われた森の国でもある。ヨーロッパと比較するとフィンランド、スウェーデンに次ぐレベルである。とはいえなだらかな丘の続くヨーロッパと異なり、日本の山は急峻で、居住と農業が困難な場所も多く、古くから林業が盛んであった。

当然、山里に住む人々は山の恵みを受けて生きてきた。そこには海や都市とは異なる、山の食文化が存在しているのである。

「山肉」「獣肉」の歴史

伝統的な日本の料理といえば、米を中心とする穀物、野菜、豆腐、あるいは魚からなる料理がイメージされよう。

一方、肉食といえば、むしろ近代以降の外国の食文化というイメージが強い。しかし日本においても肉が全く食されてこなかった訳ではない。古来より狩猟・採集が盛んで、農耕が始まった後も、獣肉食の習慣は続いた。確かに仏教伝来により、肉食が禁忌されるようになったものの、途絶えることはなかった。幕府により獣肉食が禁止された江戸時代においても、冬季には農業が困難となる山間部の寒冷地などでは、貴重なタンパク源として「獣肉」「山肉」といった山の幸が消費されてきた。

そしてこれらの獲物を捕獲する狩猟文化が古来より受け継がれてきた。主な獲物としては、近代以前はほぼ全国的に生息していたと見られる鹿や、猪、ウサギ、狸、雉など。北海道から本州にかけては熊も獲物とされてきた。

猪肉は「やまくじら」と呼ばれ、古くから親しまれてきた。東京・両国の老舗「ももんじや」では、ランチ限定の猪丼(いのどん)定食が1200円(丼の奥の小鉢は単品の鹿刺身)。伝統の山の味覚が気軽に楽しめる。

 

「ももんじや」の鹿刺身(ランチの単品で600円)。濃厚な味わいながら獣肉特有の臭みは感じられない。

とはいうものの、こうした狩猟文化や山肉食と、殺生を嫌う仏教とは折り合いが悪い。この点で興味深いのは、狩猟と関わりの深い諏訪大社(長野県)である。諏訪大社では、古くから「鹿食免(かじきめん)」と「鹿食箸(かじきばし)」を授けている。お札を授かり、「諏訪の勘文」を唱え、この箸を使うと、鹿を食べることが許されたという。「鹿食免」には「慈悲と殺生は両立する」という教えが記されており、生きるための狩猟が宗教的に正統化されたのであった。そのため、諏訪大社は各地の猟師や武士らの信仰を集めたという。

(左)諏訪大社は日本各地で猟を行う猟師、マタギ、武士の信仰を集めた。(中)諏訪大社で授けられる鹿食免と鹿食箸。(右)鹿を食する際に唱える諏訪の勘文は「鹿は食を通じて人間と同化することにより、成仏する」という内容。

徳川幕府が倒れ、明治時代に入ると、肉食は文明開化の象徴となった。都会では、牛・豚といった家畜肉に加え、猪鍋など、山の食文化を伝える店が登場し、市民の間で愛されていく。

また山間部の温泉旅館などでは、今日でも地元の猟師が獲った「山の肉」を、猪鍋(しし鍋、ぼたん鍋)、鹿鍋(紅葉鍋)、焼き肉に料理し、名物としている。そして都市民も、旅という非日常空間の中で、山の食文化を体験することができる。

(左)山里の冬の味覚「猪鍋」。色合いが牡丹の花に似ていることから別名・ぼたん鍋という。煮込むとうまみが増す。近隣の猟師が丁寧に処理した猪肉は、臭みがなく、口当たりの良い脂が美味(箱根「たきの家」にて)。(右)馬肉と鹿肉を煮込んだ「馬鹿鍋」。すき焼きのように生卵に浸して食する(横浜・野毛「浜幸」にて)。

しかし、第二次世界大戦後、食に限らず、日本の暮らしは、近代化と同時に欧米化、そして標準化が進んだ。戦前は高級品であった牛・豚・鶏等が大量飼育され、消費量が増大した。また山間部でも、流通技術の進歩により、海の幸を日常的に食すようになった。近代化とともに、食の地域性も失われようとしているのである。

日本流ジビエの再生

現在、日本では山間部のみならず、都市部においても「害獣」の被害に悩まされている。鹿や猪が群れをなして収穫前の農作物を食べ尽くし、森林の生態系そのものにも深刻な影響を与えている。鹿は、高地でしか見ることのできないニッコウキスゲを食べ尽くし、保護のための柵が必要となっている。また熊がハイキングやキノコ狩りを楽しむ人々を襲い、町に出没することも珍しくなくなった。外国文化が香る港町・神戸でさえ、猪が住宅地や大学をうろついているという。

近年、日本では年間40万頭あまりの鹿が捕獲されている。害獣による農林漁業の年間被害額は、200億円を超え、高齢者の間では営農を断念する要因となっている。どうやら1989年から2011年の間に、猪は倍増、鹿は数倍に増加したと推測される。世界的には絶滅危惧種のツキノワグマでさえ、日本では、増加傾向にあるという。

信州の猟師が獲った鹿肉を加工したサラミ。

こうしたなかで、近年、各自治体では、ジビエの振興に力を入れている。それは「害獣」の駆除対策だけでなく、日本独自の食文化の見直しや、新たな販路の確立等を通じた地域振興をも目標としている。北海道産のエゾジカに始まり、近年では本州各地でも他の獣肉のブランド化と高品質化が試みられている。

長野県では「信州ジビエ」として独自の認証評価を設定し、解体から、保存、流通まで、より高いレベルの食材の提供を目指している。「信州ジビエ」の鹿肉認証第一号店、「自然育工房 岳(はぐくみこうぼう がく)」を営む竹内清氏によれば、丁寧な解体こそが臭みをなくし、おいしさにつながるという。同氏は、自ら猟を行い、鹿肉の処理・加工・販売、そして鹿肉料理店「旬野」も手がける。諏訪地方の猟友会会長でもあり、自然との共存を考え、高品質と安全性に配慮したジビエの普及を目指している。

またここ最近、鍋や焼き肉といった日本の伝統的山肉食の人気が復活してきたことに加え、鹿肉バーガー等、新しい商品が登場している。そしてフランス料理店では、ジビエが秋冬の人気メニューとなっており、日本の野山で捕獲された鹿や、その他の鳥獣を使った料理が新しい味覚を提供している。

東京・神楽坂のフレンチ・ビストロ「ラビテュード」のジビエ料理「キジバトのロースト」(写真提供:ラビテュード)

古くて新しい山肉。自然のバランスを配慮し、自然の恵みに感謝しながら、これをいただくことも自然との関わり方の一つであろう。そして日本流ジビエの登場は、日本の古い食文化、山の文化を再発見すると同時に、自然との関係性をも問いかけているのではないだろうか。

取材協力

■ももんじや
江戸時代から9代続く両国の老舗(1718年創業)。猪のほか、鹿、熊も扱う。「ももんじ」とは百獣(ももんじゅう)に由来し、獣肉全般をさす言葉。
東京都墨田区両国1-10-2 TEL:03-3631-5596 営業時間:ランチ(火~土11:30~14:30、LO 14:00)ディナー(月~土17:00~21:00、LO 20:45)

■神長官守矢史料館
諏訪大社の鹿などを神に捧げる祭「御頭祭(おんとうさい)」を再現する展示がある。
http://www.city.chino.lg.jp/www/contents/1000001465000/

■お山の食事 たきの家
かつて日本の山里にあった民家の雰囲気を残す箱根の郷土料理店。素朴な山の料理を求める外国人観光客も増えており、英語メニューを用意。
神奈川県足柄下郡箱根町小涌谷442 TEL:0460-82-4800 営業時間(木曜定休):11:30~20:00

■元祖ばか鍋 浜幸
神奈川県横浜市中区野毛町1-24 TEL:045-231-0070 営業時間(日・祝休):18:00~22:00(LO 21:00)

■信州ジビエ
ジビエのレシピや取扱店を紹介。
http://www.shinshu-gibier.net/shop/nanshin/166.html/

■自然育工房 岳(はぐくみこうぼう がく)
http://gaku-gibier.jp/index.html

■ラビチュード 東京都新宿区南山伏町3-5 ウインコート神楽坂1F  TEL:03-3260-8784 http://www.at-ml.jp/68166/shop-info-access/

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    上原 良子UEHARA Yoshiko経歴・執筆一覧を見る

    フェリス女学院大学国際交流学部教授。1965年福岡生まれ。専門はフランス国際関係史。1989年東京女子大学文学部史学科卒業。1994年パリ第一大学大学院現代国際関係史DEA修了。1996年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。吉田徹編『ヨーロッパ統合とフランス、偉大さを求めた1世紀』(法律文化社、2012年)、田中孝彦・青木人志編『〈戦争〉のあとに/和解と寛容』(勁草書房、2008年)等に、ヨーロッパ統合やグローバリゼーションにおけるフランスの政治・外交に関する論考を発表。

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