日本一のコメをつくろう
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北海道から高級ブランド米を
今秋、北海道から満を持して全国にデビューしたコメがある。ほどよい粘りと豊かな甘みが特徴の「ゆめぴりか」だ。北海道産米の最高峰として2009年に誕生し、翌年には財団法人日本穀物検定協会によるコメの「食味ランキング」で最高位の「特A」を取得。いよいよ今年、道外への本格販売が始まった。
このコメを開発したのは、北海道立総合研究機構農業研究本部上川農業試験場。旭川市の北隣・比布(ぴっぷ)町に位置する日本最北の農業試験場だ。北海道で稲作が始まったのは明治初期。「稲はもともと暖かい地方の植物です。寒冷地には不向きとして国は稲作を禁じましたが、開拓民はあきらめませんでした」そう話すのは、「ゆめぴりか」の開発に携わった水稲グループ研究主幹の佐藤毅さん。
寒さに強い稲へと品種改良が重ねられ、北海道米の収穫量は拡大したが、肝心の味は他府県のブランド米に追いつかなかった。鳥も食べない「鳥マタギ米」などと揶揄され、1970年代には全国的なコメ余りに伴う減反政策で作付面積は半減。そこで北海道は1980年、「コシヒカリ」や「ササニシキ」など本州の高級米に匹敵するおいしいコメづくりを目指すプロジェクトを立ち上げた。「当時の北海道にとっては、とても大きな挑戦でした」
10年におよぶ品種改良
そもそも、コメの品種改良とはどんな作業か。「毎年100種程度の交配を試し、15万~20万の個体をつくります。最初の3~4年で世代交代を繰り返して性質を固定化し、さらに食味や冷害・病気への耐性、収量性を調べ、優秀な系統を絞り込んでいきます。最後は農家での試験栽培もあり、品種登録までには10年ほどかかるんですよ」。事もなげに話す佐藤さんだが、少量生産のため交配・田植え・稲刈り・脱穀・検査といったプロセスの多くが地道な手作業。しかも最終段階に進んでも品種登録に至らない場合もあるというから、実に根気のいる仕事だ。数十万もの個体の中から、米粒の白さや均一性、病気や冷害への耐性、稲の倒れにくさ、もみの割れにくさなどあらゆる特性を見極め、残すべき種を決める。「オール4はだめ。何かひとつに秀でているものが生き残っていきます」
「ゆめぴりか」は、粘りが特徴の母「北海287号」と収量性の高い父「ほしたろう」を交配し、1997年に開発がスタート。目標はずばり「日本一おいしいコメ」だ。育成期間を短縮するため、花粉の入ったおしべを試験管で培養していち早く固定系統を得る方法を採用。開発チームは約2万3千個ものおしべを手作業で試験管に仕込み、うち約600株が緑色の苗に育った。その後、熾烈な競争を勝ち抜いた1系統が2009年、ついに「ゆめぴりか」としてデビューした。実は途中の収量試験で振るわず、一時は開発が足踏み状態に。しかし「味の良さ」が決め手となり、起死回生を果たした系統だった。
究極のおいしさを求めて
コメの味を左右するのは、でんぷんの一種でアミロースという成分とタンパク質だ。アミロースが少ないほど粘りが強く、タンパク含有率が低ければ白く柔らか い炊き上がりになる。北海道では登熟期の気温(稲が実る時期の温度)が低く、とくにアミロース値が下がりにくい。上川農試ではプロジェクト着手後いち早く 測定機器を導入し、開発初期から成分分析を行うことで改良の効率化を進めてきた。
それでも最終的にコメの味を判断するのは人間の舌。「食味官能試験」では、上川農試産の「ななつぼし」を基準に、研究者と職員が開発中の白米を実際に食し、白さ・つや・香り・口あたり・味・粘り・柔らかさ・総合力を5段階で評価する。コメ以外に口にできるのはお茶のみ。1日あたり4〜5種のコメを、4ヵ月間ひたすら食べ比べる。一定の競争を勝ち進んだコメになると品質のばらつきが少なく、比較はより難しくなるという。舌を鍛えるコツはあるのだろうか。「これはもう数をこなすしかありません。個人の嗜好ではなく、日本人好みのつやや透明感、ほどよい粘りなどを踏まえて判断しています」
「ゆめぴりか」のその先へ
厳しい寒さを進化の原動力に変えてきた北海道。いまや新潟県と全国一の収穫量を競う米どころへと発展し、ついには極上米の開発に成功した。だが佐藤さんは決してその成功にあぐらをかいていない。「耐冷性や耐病性においては、まだまだ改善の余地があります」
自身も米農家の長男である佐藤さん。今後は農薬のいらないコメに挑戦したいという。「母は農薬を使った日は目を真っ赤にしていました。消費者はもちろん、農家のためにも開発を進めたい。より良い米づくりへの挑戦に終わりはありません」
「ゆめぴりか」の名は、「夢」とアイヌ語で「美しい」を意味する「ピリカ」を結んだもの。佐藤さんの言葉には、北限の地で美しく豊かな実りを夢見た先人たちの志がいまも息づいている。
撮影=松﨑 信智