ゲーム大国のヒミツ Part 1
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ゲームソフトと日本文化の不思議な関係
なぜ日本生まれのゲームが全世界の人々を熱中させることができたのか。
それを読み解く鍵は、日本文化にある。俳句や日本庭園など、限られた情報量で豊かなイメージを喚起する文化があったからこそ、日本はゲーム大国になることができた。
例えば浮世絵は、大量生産の安価な木版画ゆえにシンプルでかつ大胆な構図や色遣いが可能となり、その豊かな表現力は印象派画家をはじめ世界の人々を驚愕させた。それは、ファミコンの3和音しかない音源で20数年経た今もなお名曲として愛されている『ドラゴンクエスト』(すぎやまこういち作曲、1986年)のテーマ音楽に通じるものがある。
日本のアニメが世界で存在感を示しているのは、ディズニー流の滑らかな動きのフルアニメとは対極にあるリミテッドアニメのおかげだ。限られた作画枚数のもとでストーリーや構図、演出に工夫を凝らし、最小のリソースで最大の感動を呼ぶ手法に磨きをかけた賜物だ。
“盆栽”のような見立て
リアルとは程遠いものしか描けなかった初期のゲーム機にも同じことが言える。乏しい表現力を補うためには、小さな木を巨木とみなす盆栽のような「見立て」の想像力が不可欠だった。例えば、1980年に発売された『パックマン』では、ドットを食べ物に、「食べかけのピザ」をパックマンとして見立てることによって新しいゲームの可能性を切り開いていった。
70年代末に社会現象にまでなった『スペースインベーダー』(1978年)が生まれた流れも同様で、直前に大ヒットした『ブレイクアウト』(ブロックくずし)(1976年)のブロックを、宇宙からの侵略者に「見立て」たことが出発点となっている。その生みの親、西角友宏(にしかど・ともひろ)氏は他にも『ウェスタンガン』(1975年)や『バルーンボンバー』(1980年)といったアーケードゲーム(業務用ゲーム)の傑作を送り出している。
初期のビデオゲームは、クリエイター個人の発想や才能によるところが大きかった。『ゼビウス』(1983年)の遠藤雅伸(えんどう・まさのぶ)氏も、その一人。限られた色数でSF兵器をリアルに描き、背景にある壮大な神話やステージ上に秘められた「隠しキャラ」を用意し、壮大な世界観を築き上げることに成功した。
ファミコンが生んだ“箱庭ゲーム”
1983年、任天堂から『ファミリーコンピュータ(ファミコン)』が発売された時、家庭用ゲームソフトは新たな時代を迎えた。
発売当初のソフトはアーケードゲームからの移植に頼りがちだった。しかし、安価な家庭用ゲーム機で高価な業務用ハードと同等の表現を実現することは難しく、「劣化移植」になりがちだった。このため、ファミコンを前提とした、家庭用独自のソフトを開発することになった。
そこで任天堂から登場したのが『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)だった。ゲームデザインの担当は、同社を代表する宮本茂(みやもと・しげる)氏。アーケードでヒットした同氏の『ドンキーコング』(1983年)で作られたジャンプアクションをより広大なステージに移した結果が、『スーパーマリオ』だった。
広さが限定されたゲーム空間に、いかに無限の可能性を詰め込むか。現実の世界よりはるかに狭い空間に様々な仕掛けを用意し、プレーヤーに多彩な「遊び」を提供するスタイルは、やがて「箱庭ゲーム」と呼ばれるようになった。これは、限られた空間に石や池を配置して天地を表現する日本庭園に通じるものだ。この方向性は、宮本氏による『ゼルダの伝説』(1986年)の中でも追求されている。
国民的ソフト「ドラクエ」
『ドラゴンクエスト』(1986年)(以下「ドラクエ」)シリーズの作者である堀井雄二(ほりい・ゆうじ)氏もまた、家庭用ゲーム機独自のジャンルを切り開いた人物だ。「ドラクエ」成功の理由を一つだけ挙げるなら、ユーザーフレンドリーな設計であろう。コマンド選択方式や分かりやすいシナリオなど「誰でもクリアできる」作りは、シリーズ累計約5700万本を記録するメガヒットとなり、「国民的RPG(ロールプレイング・ゲーム)」と呼ばれるまでになった。
もちろん、「ドラクエ」の中にも箱庭的な発想は息づいている。例えば初代ドラクエの場合、スタート地点は城の一室であり、王様や家臣から冒険の目的が説明される。この狭い空間でプレーヤーは「人と話す」、「宝箱を調べる」といった基本的なコマンドが教えられ、覚えるまでは退出することができない。いわば取扱説明書を兼ねた空間なのである。
プレーヤーが城の外に出れば、画面のすぐ下には最強の敵の居城が見えている。しかし、それは手の届きそうな近さにありながら、ある条件を満たしていなければ決してたどり着けない「遠い」場所だ。最終的なゴールを示しつつ、はるかな冒険の旅を予感させるマップの設計は「箱庭ゲーム」の極みと言えるだろう。