虐殺の悲劇が感染症研究の起点:ルワンダ出身の順天堂大国際教養学部長 ニヨンサバ・フランソワさん

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ルワンダで100万人もの命が失われた1994年の虐殺事件。30年前のこの悲劇で親族50人を亡くし、失意の中で来日したルワンダ出身男性が今、日本で感染症対策の研究者、教育者として活躍している。今年4月に順天堂大学国際教養学部の学部長に就いたニヨンサバ・フランソワさん。アフリカなど発展途上国の感染症死を減らすための研究を進めつつ、日本の若者に感染症対策の重要性を力強く説く。その背景には、絶望を夢に変えた歩みがあった。

ニヨンサバ・フランソワ Francois NIYONSABA

1968年ルワンダ生まれ。中国医科大を経て順天堂大大学院博士課程修了。同大大学院医学研究科アトピー疾患研究センター教授、国際教養学部教授・副学部長を経て2024年4月から国際教養学部学部長、アトピー疾患研究センター副センター長。

感染症に打ち勝つ薬を

「夢」「諦めない」「I can do it」

困難を乗り越えるため、心の中でこの言葉を繰り返してきた。飢えと疫病に苦しむ幼少時代を経て、悲劇的な運命をくぐり抜けてきたからだろう。力を込めて語る言葉はすごみさえ感じさせる。

「アフリカをはじめ発展途上国では、エイズ、結核、マラリアなどの感染症で年間約300万人が亡くなっています。感染症を克服する薬を開発するのが私の夢なのです」

現在の研究領域はグローバル感染症、皮膚免疫学、アレルギー学。中でも皮膚にある抗菌タンパク質の研究を通した、感染症対策への貢献を柱に据えている。

ルワンダ内戦激化で中国から日本へ

医学の道を歩み出したのはルワンダの中高一貫校を卒業し、中国に留学した1988年。北京外国語大学(北京市)で中国語を、中国医科大学(瀋陽市)で医学を学んだ。

中国で整形外科医の資格を得て、母国での医療従事に向け帰国準備をしていた1994年、ルワンダで内戦が激化した。フツとツチの二つの民族対立に加え、それぞれの民族内でも憎悪が連鎖し、各地で隣人が隣人を惨殺。報道などから身の危険を感じ、帰国を断念した。ルワンダ政府の国費による留学支援も途絶え、DJなどのアルバイトをしながら研究に打ち込む毎日になった。

写真左は1994年、中国医科大学前。右は母国の政変後も勉学を続けるため、中国・瀋陽のナイトクラブでDJの仕事をして学費と生活費を稼いだ95年の様子(写真提供:ニヨンサバさん)
写真左は1994年、中国医科大学前。右は母国の政変後も勉学を続けるため、中国・瀋陽のナイトクラブでDJの仕事をして学費と生活費を稼いだ95年の様子(写真提供:ニヨンサバさん)

その2年後、ルワンダの弟から中国に手紙が届いた。「お母さんは亡くなった。親族は50人も死亡した」。新政府軍の虐殺行為で、16人いた兄弟は6人だけになった。「神様はどうして私に意地悪をするのか、と絶望しました。でも、私は運良く生きている。何とか生き延びなければいけないと思ったのです」。

しばらくして母国から新政府軍の担当医に就いてほしいと、帰国を促された。だが「家族を殺した政府軍のためには働けない」と、日本人の知人を頼って98年に来日。すぐにフランスに亡命するつもりだったが、知人の紹介や研究者の勧めで、順天堂大で医療に関する研究を再スタートすることにした。

「難民としてフランスに移れば、医師や研究者の夢を捨てなくてはならなかった。日本と日本人は私を救ってくれ、私の人生を変えてくれた」

「ひとりでも多くの命を救いたい」

日本での生活が始まっても、頭から離れなかったのは内戦で失った母や、兄弟や多くの友人の姿。「医療の力でひとりでも多くの命を助けたい」。深い悲しみの中で使命感に燃える気持ちを抱いた。

国境へ向かうルワンダ難民=1996年11月、コンゴ・ゴマ(AFP=時事)
国境へ向かうルワンダ難民=1996年11月、コンゴ・ゴマ(AFP=時事)

ルワンダ内戦では虐殺や戦闘だけでなく、避難した人が十分に医療を受けられず感染症によって命を落とした。

発展途上国では、生活習慣病やがん、外傷よりも結核、エイズ、マラリアの3大感染症による死者が多い。悩んだ末、「アフリカでたくさんの人の命を救えるのは感染症対策だ」と整形外科医としてのキャリアを捨て、研究分野を変える決断をした。

順天堂大の大学院で博士号取得後、同大アトピー疾患研究センターで勤務。抗菌タンパク質に関わる研究に本格的に携わるようになった。

抗菌タンパク質は生き物の皮膚などに日常的に存在し、ウイルスや細菌を感知すると急に量が増えるなどして体を守る抗生物質のような働きをする。この機能が他の感染症対策に生かせないか、というのが研究の主な狙いだ。

2022年にアトピー性皮膚炎の患者の肌で、細胞内の不要タンパク質をリサイクルする「オートファジー」と呼ばれる機能が抑制されていることを発見。このリサイクル機能を回復させ、免疫力を向上させる物質も特定した。

「抗菌タンパク質をどう誘導すれば人間の免疫を強くできるのか。さまざまな病気と闘える薬を臨床でも使えるようにしたい」

貧困から抜け出すため学ぶ

故郷はルワンダ北部、ブングエという小さな街。首都キガリから北に50キロ離れ、ウガンダとの国境に近い。畑作と放牧が主ななりわいの家で育ち、子どもの頃は食べるのにも苦労した。イモや牛乳が手に入る日は幸運。いつも空腹だった。

アフリカ・ルワンダ

勉強すれば貧困から抜け出せると思い、父に小学校入学を懇願した。父は毎朝水をくみ、放課後に家畜の面倒を見ることを条件に通学を許してくれた。1982年、国に選抜され、近隣の都市ビュンバにある全寮制の中高一貫校(ラ・サール)に進んだ。両親は毎年3頭の牛を売って学費を捻出し、勉学を支えてくれた。夢をかなえるために学ぶ人生のスタートだった。中学、高校では得意の数学、物理、生物、化学の勉強に打ち込んだ。

1985年ごろ高校時代の学校近くで友人たちと撮影した記念写真。最後列左から3人目で友人の肩に腕を組んでいるのがニヨンサバさん(写真提供:ニヨンサバさん)
1985年ごろ高校時代の学校近くで友人たちと撮影した記念写真。最後列左から3人目で友人の肩に腕を組んでいるのがニヨンサバさん(写真提供:ニヨンサバさん)

留学中の北京では1989年に民主化を求める学生らと当局が衝突する天安門事件の悲惨な現場を目撃。大学内は混乱し、激しい差別にも直面したが、勉学からは逃げなかった。

「貧困から抜け出したい。そのためには勉強だ。勉強で頑張れば選択肢が広がる。支えてくれた家族に対しても、勉強でベストを尽くすことは義務でした」

無知を乗り越え、偏見と闘う

感染症対策で重視される一つの柱として、正しい知識を広げる「教育」「啓発」がある。発展途上国では十分な教育を受けられず、感染症への適切な向き合い方を知らない人が多い。エイズウイルス(HIV)の場合、汗や唾液、涙には存在せず、抱擁やキスでは感染しないが、ルワンダではそれさえ学ぶことができず、忌むべき病気として偏見と差別が先に立つ。

2011年、ルワンダに帰国した時に再会した高校の同級生は、エイズを発症し、100キロ以上あった体重が30キロになるまで痩せ細っていた。文字が読めない友人の母は「息子に触らないで。エイズに感染する」と訴える。エイズは触っただけでは感染しないことを教えても伝わらない。「私は彼女の訴えを無視し、彼を強く抱きしめ、頬にキスをしたのです。友人は涙を流して喜びました」

余命数週間と言われ、葬式の準備まで整えた友人。紹介した医者からの薬を飲むと、奇跡が起きた。薬が合って体調が戻り、半年後、普通の生活ができるようになった。

2011年のルワンダ・ブングエへの帰郷の際、住民にあいさつ(写真提供:ニヨンサバさん)
2011年のルワンダ・ブングエへの帰郷の際、住民にあいさつ(写真提供:ニヨンサバさん)

「エイズは完治しない。だけど知識があれば戦うことができ、普通の人と同じような生活ができるようになる。教育さえあれば病気の予防方法が分かり、仕事も見つけられ、収入を得られる。病院に行けるし、薬も買える。教育を充実させて貧困を抑えれば克服できることがたくさんある」

外国出身者初の学部長

今年4月、順天堂大国際教養学部の学部長に就いた。同大として初の外国出身の学部長だ。英語、フランス語、中国語、ルワンダ語、日本語の5カ国語が堪能で、医療の専門家でもあるため、「健康」に関わる知識を通した異文化理解を促す力がある点などが学部長選で当選した理由だったとみられる。出身校、国籍、性別による差別無く優秀な人材を求める「三無主義」を伝統に掲げる学風も後押ししたという。

同学部は、文系と理系を融合させたユニークなカリキュラムを掲げている。目標の一つが、医師や看護師と協力し、健康への取り組みを助ける医療通訳や疾病の予防知識の普及などを担う「ヘルスプロモーター」など国際的な人材の育成だ。

学生を前に感染症対策などについて講義(順天堂大提供)
学生を前に感染症対策などについて講義(順天堂大提供)

学部長として特に、国境を越えるグローバル感染症の対策について学生の知識を深める教育に力を入れたいと考えている。

例えばHIV。日本では最近まで先進国で唯一、感染者が増えていた。梅毒の感染者も急増している。「日本は清潔で、豊かで、感染症は遠い異国の話と捉えがち。実は身近にもあるのに、無防備になってしまっている部分がある」と訴える。

HIVや梅毒は性交渉で感染する例が多いが、日本では性教育による情報量が少ない。若者たちはインターネットで誤った情報に触れてしまうことも多く、対策が進みにくくなっている。対象は学生だけでなく、外部の講演会にも積極的に出向き、幅広い層に語りかける。

「学生に性に関わる健康についてしっかりと伝えることで、感染症を身近なものとして感じてもらうことが必要。日本や世界の感染症対策に役立つ人材を育てていきたい」

「今、求められるのは語学力だけではなく、国際社会に通じる教養を併せ持つこと。健康はあらゆる人が抱く共通の問題です」と語る(藤原智幸撮影)
「今、求められるのは語学力だけではなく、国際社会に通じる教養を併せ持つこと。健康はあらゆる人が抱く共通の問題です」と語る(藤原智幸撮影)

さらに、温暖化の影響による水質変化や感染を媒介する生物の数や生息域の拡大によって、感染症にかかりやすい地域や時期が拡大するリスクが高まっている現状にも注視する。「感染症は、広がってから対策を打つのでは手遅れです。一人一人が対策を知ることが将来の予防になる。学ぶのは未来のため、次の世代のためです。遠いアフリカだけの話ではないのです」

マンデラ氏の言葉を胸に

尊敬するのはネルソン・マンデラ氏。南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)撤廃に尽力した政治家だ。いつも彼の言葉を胸に行動している。

「私たちは世界を素晴らしいものに変えることができる。それは一人一人の手に委ねられている」

“We can change the world and make it a better place. It is in your hands to make a difference.”

バナー写真:順天堂大国際教養学部長となり、世界共通の課題としての感染症対策教育に力を入れるニヨンサバさん(藤原智幸撮影)

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