
ウインドサーファーから家業を継いで:「江戸小紋」4代目・廣瀬雄一さんが語る染師の矜持
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とにかく男前なのである。
創業105年の廣瀬染工場4代目、江戸小紋染職人廣瀬雄一さん。
東京・新宿区にある広々とした工房には7メートルの一枚板が並び、その上で微細な文様が彫られた型紙を何度も平行移動させながら生地に染めていく。いかに継ぎ目が分からないようにつなぐかが、染師の腕の見せどころ。温度や湿度を保ちながら集中力を研ぎ澄ませ、息もできない時間が過ぎていく。
江戸小紋は、江戸時代武士が着用した「裃(かみしも)」を柄染めしたことがルーツと言われている。質素倹約を奨励し派手な身なりを禁じる法令がしばしば出される中、粋でおしゃれを好む江戸っ子たちは、遠目では無地に見えるものの、近づいて見れば極細の美の世界が広がる江戸小紋で着物を染め上げた。
その柄は、代表的な縞(しま)や鮫だけではなく、庶民の中ではやったサイコロ(縁起がいい)や茄子(毛がない=怪我ない)、唐辛子(虫よけ=悪い男に引っかからない)のように、人々が幸せの思いを込めた「言われ小紋」などさまざま。どの柄を、どんな色で染めるのか。それが江戸の粋だった。
現代にいたるまで江戸小紋の型紙として使われているのは、主に三重県・伊勢地方の型師が作る伊勢型紙だ。薄い和紙を渋柿の抽出液である柿渋で3枚張り合わせ、型師が刃物で細かい文様を彫っていく。上質な紙と切れる刃物、そして緻密さという日本の特徴を掛け合わせて完成した型紙は、100年経っても使えるほどに丈夫だという。
反物の上に型紙で糊(のり)を置いていく「型付け」。工房に入る人の数によっても湿度が変わり、作業のスピードも変わるという繊細な作業だ(撮影:花井智子)
廣瀬さんの颯爽(さっそう)としたしなやかな動きは、流れるようだ。それもそのはず、彼はウインドサーフィンでシドニーオリンピックの強化選手にも選ばれていたアスリートであった。アスリートから職人へ。家業を継ぐことには迷いがあったのではないか。
父に「これが最後の試合になる」と告げられて
「子供の頃から工場が遊び場でしたし、刷り込まれていたんですかね(笑)。職人さんたちも威勢が良く、憧れもありました。いずれは継ぐとは思っていましたが、自分の人生設計では、30歳くらいまではウインドをやりたかった。それが大学4年の時、海外遠征に出る前日に親父から突然『これが最後の試合になるだろう』って言われたんです。祖父からも、『やる気があれば何歳からでもできるけど、やっぱり早い方がいい』と期待されていたのもあり、結局その大会ではすっかりやる気がなくなってしまい、途中で帰ってきちゃったんですよ」
アスリート生活を手放す悲しさも、かみ締めたというが、家業を生業へと切り替える決心は彼を強くした。
「今思うと、選択肢がないのがよかった。やめられない強さを持てました。そして何より、江戸小紋を好きになりました」
ウインドサーフィンでシドニーオリンピックを目指していた頃の写真。今は子どもたちのウインドサーフィン姿を見るのも楽しみのひとつ(撮影:花井智子)
そして今年で、この世界に入って23年になった。
「江戸小紋にはさまざまな文様がありますが、粋な象徴は縞なんです。縞はどこまで行っても交わらず、真っすぐ。シンプルで単純なほど、江戸小紋は難しいんですよね、ごまかしは利かない。ある名人の型師は、一寸四方に30本の縞を彫りました。これはもはや染師への挑戦状(笑)。職人同士の意地の張り合いです。染師ならより細かい縞を美しく染めたいと思うし、『最後は縞を染めたい』と多くの染師が言うのも分かる。人間の手技の限界に挑戦していく世界なんです」
江戸小紋を代表する「縞」(右)のほか、多種多様な文様が江戸の粋を表現してきた。どの文様をどの色で染めるか。染師によっても微妙に色が異なるという(撮影:花井智子)
型紙の染めの難しさや楽しさを廣瀬さんが生き生きと語る姿は小紋愛にあふれ、聞いているこちらもうれしくなってしまう。
世の中には、継ぐことを定めと受け止めきれない後継者もいるだろう。好きになれたのは本当に運がよかったと廣瀬さんは何度も口にしていたが、それも才能なのである。
フランスとのコラボレーションが生んだ「パリ千鳥」
とはいえ4代目の滑り出しは、着物が売れずに難航した。そこで思い付いたのが、江戸小紋で染め上げたストールの製作。突飛なようであるが、実は廣瀬染工場では先代たちも新たな試みに挑戦してきた歴史がある。2代目である祖父は、戦後すぐに伝統的な文様と西洋の文様を組み合わせたデザインのネクタイを次々と生産。高度成長に伴って爆発的に売れ、戦争の痛手からいち早く立ち直ることができた。先を読む力は4代目にも受け継がれたのだ。
廣瀬さんの視野は、世界に広がっていった。パリで参加した展示会がきっかけとなり、芸術分野ではフランス国内で最も権威がある国立高等装飾美術学校に招かれて行ったワークショップでは、ルールにとらわれない、自由で斬新なフランスの学生たちの感覚や発想に刺激を受けた。
「元々江戸小紋は、自由で洒落(しゃれ)たものだった。残したいのは技術だから、時代に合わせて文様は変わってもいいんじゃないか」と思って生まれたのが、「パリ千鳥」。学生たちのコンペで優勝したデザインを購入し、パリと江戸小紋のコラボレーションが生まれていった。
2023年にパリのデザイナーとコラボレーションして生まれた新しいパリ小紋は、17世紀にフランスで大流行し、ベルサイユ宮殿の床にも使われていた寄木細工の文様”ベルサイユパーケット”を型紙に彫り、染め上げたもの。フランスの雑誌でも紹介された(写真提供:廣瀬雄一さん)
反響もあり、海外のビックメゾンから幾つも声をかけられた。だが、そのためには量産が必須となる。事業拡大策を思案していた頃、同世代の染師の作品を目にした。
「すっごく美しくて、きれいでした。江戸小紋の技に魅せられたと同時に、僕は今まで何をしてきたんだろうと。海外に目を向け、奇をてらったものをやろうとしていたけれど、やっぱり自分の手で染めたいと思いました」
そして改めて、自分は染師として技を磨きたいと自覚した。「手仕事で生まれる揺らぎでさえも、今はAI(人工知能)が再現してしまう。でも、それが欲しいかと言われたら、僕は要らない。根本的に美しいものは、やっぱり人間の手の中にある。伝統工芸の世界は、大きな革新が起こることはないかもしれないけれど、少しずつ積み重ねて進んでいくのがいい。10年前とは、だいぶ考え方が変わりました」
それが45歳となった廣瀬さんの現在地だ。
父親同様、ウインドサーフィンで世界を目指す娘のために染めた振り袖「波のり」。歴史ある「波」の文様の型紙の上にオリジナルの型紙「流氷」を重ね、日焼けした肌の色に合うエメラルドグリーンとブルー、白の3色で染め上げた、裏にもグリーンの波が躍る(写真提供:廣瀬雄一さん)
「キラキラとまぶしく映る海外のメゾンも、うたっているのは“歴史とクラフトマンシップ”。江戸小紋も同じです」
昨年は日本伝統工芸展で4度目の入選を果たし、目標であった日本工芸会の正会員となった。初入選から9年かかったチャレンジ。厳しい審査を経ることによって、己の作品を客観視できるのだろう。何を目指し、どこを目指すかによって作品の作り方が変わることも学んだという。
今後について尋ねてみた。
「お客さまの依頼を形にする職人と、自分が作りたいものにお客さんを後でつけていくアーティスト。今の自分は、両方をやれる気がしています」
今年はフランスのデザイナーとコラボしたストールを製作し、「パリ小紋」と名付けた。一流の技を磨き、唯一無二の作品をその手で生み出していくことが、江戸小紋の魅力を世界に伝え、歴史をつなぐことになる。
4代目染職人の矜持(きょうじ)は、かなり男前なのである。
廣瀬染工場
- 住所:東京都新宿区中落合4-32-5
- アクセス:西武新宿線中井駅から徒歩10分
- 電話:03-3951-2155
- 公式HP
バナー写真:工房の床は、湿度を保つために今でも土間のまま。奥には、染めに使うへらなど丁寧に手入れされた道具が並ぶ(撮影:花井智子)