日本初のシリア人医師・メルナ・アイルードさん:「何事もやってみなければ分からないでしょ!」

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シリア人として初めて、日本の医師免許取得を成し遂げたメルナ・アイルードさん。来日するまで全く日本語を話せなかった彼女が、「絶対に無理」と言われながらも、医師国家試験を突破するまでの苦難の道のりを紹介する。

メルナ・アイルード Merna Airoud

1990年シリア・アレッポ生まれ。アレッポ大学医学部を首席卒業、2014年医師免許取得。2015年10月、夫の留学先の日本に移住。日本語をゼロから学び、わずか4年で日本語能力試験1級にパスし、2022年2月には日本の医師国家試験に合格した。医師国家試験に合格したアラブ人としては、史上2人目。現在、神奈川県内の病院で勤務している。

全く予想もしなかった日本での生活

「日本に来るなんて一度も考えたことはなく、来日した時に話せた日本語は『こんにちは』だけでした」

そう語るメルナ・アイルードさんは2022年春、シリア人として初めて日本の医師国家試験に合格した。アラブ人としては、以前nippon.comでも紹介したエジプト人眼科医オサマ・イブラヒムさんに続く2例目で、女性では初の快挙だ。

メルナさんは1990年、シリア北部のアレッポで生まれた。名門・アレッポ大学の医学部を首席で卒業し、2014年に医師免許を取得。周りの医師の多くは米国や欧州で専門分野を学んでいたため、メルナさんも留学を見据え、ドイツ語上級試験にパスしていたという。

人生が思わぬ方向に転がったのは、創薬研究に取り組む夫が日本に留学したことだった。「ドイツ留学を決めていた私にとって、日本に行く決断をするには勇気が必要でした。これまで行くことすら想像しなかった国で、全く異なる生活を始めるのですから」と振り返る。しかし、2015年10月に来日したメルナさんは、あいさつ程度しか日本語が話せなかったにもかかわらず、日本で臨床医になることを目標にした。

神奈川・箱根神社を訪れた際のメルナさん(写真:本人提供)
神奈川・箱根神社を訪れた際のメルナさん(写真:本人提供)

日本で臨床医になるのは「絶対に無理」

2016年1月から、東京都内にある大学医学部の循環器ラボで研究生活をスタート。午前中は日本語学校、午後からは大学へ通った。日本での生活に馴染むにつれ、言葉や文化をもっと学びたいとの思いが日増しに強くなったという。

それでも、心の中は常に、もやがかかったままだった。アラブ人だけでなく、海外から日本に来ていた医学関係者に「どうしたら臨床医になれるのか」と片っ端から質問したが、誰からも「絶対に無理」「必ず諦めることになる」といった答えしか返ってこなかったからだ。大きな壁となったのが、高度な日本語能力を必要とする医師国家試験。通常、外国人医師は、日本の医師免許がなくても従事できる研究職に就くケースがほとんど。しかし、メルナさんは幼い頃から、患者に寄り添う臨床医になることが夢だった。

医師を志したのは、健康オタクだった父親の影響が大きい。アイルード家では毎日体操し、食事のバランスに気を配り、どんな小さな症状でも必ず病院に行くことになっていた。メルナさんは「 “健康が幸せにつながる”が父の信念で、体調管理の必要性を叩き込まれました。私自身も、人の健康や患者さんの回復のために貢献したいと考えるようになりました」と語る。

人懐っこい人柄も臨床医向きだった。「人とコミュニケーションするのが大好き。患者さんの話を聞いて寄り添い、病気で不安な気持ちを和らげられるような医者になりたい」と思った。そんなメルナさんだから、ラボでの研究生活に満足できるはずはなかった。常に心の片隅で「病院の廊下で患者さんたちと触れ合いたい」と願っていた。

東京・浅草寺で着物姿に挑戦(写真:本人提供)
東京・浅草寺で着物姿に挑戦(写真:本人提供)

育児をしながら日本語を猛勉強

第1子の出産で、メルナさんは学術研究や日本語学校を一時中断。しばらくしてから、自宅で語学学習を再開した。昼は娘と遊びながらリスニングを学び、寝かしつけた後は教材に取り掛かり、日本語能力試験のN3に合格した。

日本語能力試験はN1からN5まで5段階あり、最も難しいのがN1。中級のN3は日常会話をある程度理解できるレベルだ。来日するまで日本語に触れたことがなく、育児の合間の学習だったことを思えばN3も偉業といえるが、メルナさんは満足できなかった。「臨床医として働くには、日本人と同等以上のレベルが必要。医師国家試験を受ける手続きを進めるためには、N1に合格しなければならないので、到達レベルまで、はるか遠いと分かっていました」と述懐する。

まだ幼かった娘と京都・平安神宮で(写真:本人提供)
まだ幼かった娘と京都・平安神宮で(写真:本人提供)

娘が2歳になると保育園に週3日預けられるようになったため、日本語学校に再び通い始めた。この頃には、研究生活は自分の目指すものではないと確信し、ラボへの復帰は考えず、日本語学習に専念した。同時に、医師免許取得について本格的に情報収集を開始。そして2018年、N2に合格する。

その後は、勉強の時間を自分や家族の状況に合わせてコントロールするために学校をやめ、テキストを使って独学することに。この時期に大きな支えとなったのが、月に2回指導してくれたボランティアの日本語教師だった。「先生は勉強のサポートだけでなく、常に励ましながら、日本の文化や習慣、伝統についても教えてくれました。先生のおかげで日本について多くを学んだ私は2019年、とうとうN1に合格することができました」と感謝する。

ボランティアの日本語教師のおかげでN1に合格(写真:本人提供)
ボランティアの日本語教師のおかげでN1に合格(写真:本人提供)

N1合格後も険しい医師免許への道のり

日本語能力試験をクリアしてからも困難の連続だった。医師国家試験の受験資格を認定してもらおうと、厚生労働省にアポイントを取ったが、個人面接までには時間を要した。さらに、どんな書類が必要かをよく理解できなかったうえに、シリアから届いた文書を日本語に翻訳せねばならない。個人面接は書類不備などで2度通過できず、3度目でやっと書類審査に進むことができた。

メルナさんが最も心配したのが、書類審査でシリアの大学での勉強が不十分と判断されること。その場合、さらに医学校での3年間の勉強や、いくつもの試験に合格する必要があると言われたのだ。審査の結果は、無事合格。日本の医学生と同等レベルと判断され、胸をなでおろした。

これでようやく、年に1度実施される日本語診療能力調査を受験する資格を得た。海外の医学校を卒業した人や、外国の医師免許を取得している人を対象とする調査で、患者との面接や問診、診察に加え、臨床所見も作成する。これをクリアしたことで、メルナさんは日本の医大卒業生と対等の立場と認められた。そして、2022年2月の医師国家試験に挑み、見事合格を勝ち取った。

「日本語学習から始まった長い旅は試験に合格することで終わりましたが、日本で大好きな医療の仕事をするという新たな旅路が始まりました」。次の目標に向けて努力を続ける決意を固めた。

医師国家試験の合格証書(写真:本人提供)
医師国家試験の合格証書(写真:本人提供)

険しい道を進むため、生涯勉強を続ける

日本に来てから、医師免許を取得するまで丸6年。長い道のりだったが、日本語をゼロから学び始めたことを考えれば驚異的なスピードだ。しかも、幼い娘の育児をしながらである。

メルナさんは娘の存在が、逆にモチベーションにつながったとしつつ、「家族のサポートが大きかった」と振り返る。「勉強と子育て、家事を両立するのは決して簡単ではありませんでしたが、夫がいつも私と娘を励まし、サポートしてくれました。私が自信を失うといつも『あなたが成功する姿が自分には見える。アッラーがあなたに報いてくださいますように』と祈ってくれました」。そして「私のために祈ってくれた母やいつも模範であり、誇りである父にもとても感謝しています」とシリアの両親への思いを明かした。

勉強と育児、家事をサポートしてくれた夫とメルナさん
勉強と育児、家事をサポートしてくれた夫とメルナさん(写真:本人提供)

日本での臨床医としての生活は始まったばかり。これからも数多くの困難が訪れると思われるが、メルナさんは「険しい道だと知りながら、医学を志しました。勉強や研究を生涯続けなければならないし、両親はいつも私を鼓舞してくれました。日本に来てからも、私がやろうとしていることは不可能だと何度言われたことか。アッラーを信頼し、“まずやってみなければ分からないでしょう!”との思いで努力と追求を続けることができました」と笑顔で語る。彼女なら今後も、どんな困難でも乗り越え、患者に寄り添い続けるだろう。

シリアから来日した母親と一緒に(写真:本人提供)
シリアから来日した母親と一緒に(写真:本人提供)

バナー写真:医師のメルナ・アイルードさん(写真:本人提供)

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