地球環境戦略研究機関(IGES)・武内和彦理事長が語る自然共生の未来
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サステナビリティ学。この言葉を初めて聞く読者も多いのではないか? 地球環境と人間社会の持続可能性を統合的に追究する新しい学術体系だ。専門分野ごとに細分化して研究を進めてきた既存の学術体系では、複雑に絡み合う地球環境問題の全体像が見えず、それぞれの取り組みには限界がある。それを克服するためには個々の現象を俯瞰(ふかん)的に捉える視点が必要になってくる。サステナビリティ学に基づき、地球環境戦略研究機関(IGES)理事長の武内和彦氏はこれまでさまざまな環境政策を提言してきた。
「学問の壁を越えるのがこれまでの学際研究だとすれば、サステナビリティ学は単に学問の壁を越えるにとどまらず、専門家の研究成果を行政、企業、市民などの共同行動につなげていく超学際研究だと言っていいでしょう。多様なステークホルダーが相互に連携を取り合って問題解決に向けて行動していかないと、もはや地球の持続可能性を維持していくのは難しいのです」
風景の奥に潜む自然と人との営み
武内氏は自然科学と人文社会科学を結びつける学問を学びたいと、大学で地理学を専攻した。しかし当時の地理学は過去の出来事の分析が中心で社会との接点が希薄だった。そこで、研究成果を環境緑化や自然保護の形で社会にフィードバックできる緑地学に転じる。大学院で研究を進め、客員研究員としてドイツ・ボンの研究所に在籍していた1976年、地理学者カール・トロール(1899〜1975)が提唱した「ランドスケープエコロジー(地域生態学)」にめぐり合う。
「日本でランドスケープは景観と訳され、視覚的認知として捉えられますが、トロール博士は、その背後に潜む自然と人の営みからランドスケープを捉えようとしました。地形、地質、水系、植生などを読み解き、その地域の生態系を構成する自然環境から、ランドスケープを統合的に見ていこうとしたのです。また、ランドスケープには、農林業や都市活動といった人の営みの跡が刻み込まれています。こうした観点に立って、地理学や緑地学だけでなく、気候学、水文学、土壌学などを踏まえて自然環境保全を考えるようになり、既存の学問の枠を超えた環境学の在り方を探りながら、それをサステナビリティ学へと発展させる道を探ったのです」
農家によって維持される生物多様性
武内氏が「ランドスケープエコロジー」の発想を具現化した例としては、2002年に始まった、国連食糧農業機関(FAO)が提唱する「世界農業遺産」がある。発案者は、FAOの部長で、イラン出身のパルビス・クーハフカン氏(現・世界農業遺産基金理事長)。遺跡など過去の遺産を登録する国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界遺産」と異なり、次世代に継承すべき伝統的な農法や農業文化によって形成された農村景観を認定し、顕彰しようというものだ。世界で23カ国の72地域、日本では13地域が認定されている(2022年11月現在)。
当時国連大学副学長だった武内氏は、クーハフカン氏と議論を重ね、それまで開発途上国でのみ認定された世界農業遺産を日本の農山漁村にも広げる取り組みを進めていった。現在では、ヨーロッパのイタリア、スペイン、東アジアの韓国などにも認定地域が広がっている。
「農作物を大量生産することで世界の食料問題の解決を目指すFAOとしては珍しい取り組みだと言えます。『農業の工業化』は土地の劣化や砂漠化を引き起こし、農村で暮らす人々に必ずしも豊かさをもたらしませんでした。世界の農作物の7割は小規模な家族経営の農家が生産しています。彼らが守ってきた農地には自然が今なお息づき、生物多様性の維持にも貢献しています」
例えば標高4000メートルの山あいでジャガイモを育てるペルーのアンデス農業や、水田に放った魚を食料にしつつ雑草駆除にも役立てる中国の水田養魚などでは、自然と人との伝統的な関わりが農業において保たれている。こうした営みによって作られたランドスケープは、ただ単に視覚的に美しいだけでなく、生態系の維持にも貢献している。日本では、特別天然記念物のトキと共生できるように農薬や化学肥料を減らした稲作に取り組む佐渡(新潟県)と千枚田と呼ばれる棚田や海女漁などを通じて里山里海を長く継承してきた能登(石川県)が、2011年に先進国として初めて世界農業遺産に認定された。
反対にあったSATOYAMAイニシアティブ
世界農業遺産と並行して武内氏が中心となって推し進めたのが、「SATOYAMAイニシアティブ」だ。2010年に名古屋で開催された生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)で、国連大学は環境省と協力して日本から世界に向けて発信するメッセージとして、「里山」の意義を伝えた。
「里山とは、人が適度に手を加えてきた山あいの地域で、森林や水田、ため池、果樹園、草地などが入り交じっています。オタマジャクシやメダカは水鳥の餌になり、家畜のための牧草地は昆虫のすみかにもなっています。さまざまな生き物が連鎖しつつ共生する、まさに生物多様性です。日本の国土は7割近くが森林ですが、そのほとんどに人が手を加え、自然との共生を図ってきました。ところが高度成長期以降、農家が減ったり、燃料が薪炭から石油に切り替(か)わったりした影響で、多くの里山が放置されるようになりました。こうした危機的状況を迎えつつある時こそ、里山の重要性に目を向けるべきだと提案しました」
SATOYAMAイニシアティブは多くの国に支持されると武内氏は思った。しかしふたを開けてみると、西欧諸国から猛反対にあってしまう。自然観の違いがあったからだと武内氏は言う。人の手を入れずに保護区として守っていくアプローチが自然保護の王道だといった考えが西欧社会には根強かったのだ。
「かつて日本の農家は自然からの収奪よりも、恵みをいただくという考え方を持っていました。だから自然に決定的なダメージを与えない。自然が自分で回復する力を最大限に生かしてきました。自然を支配するのではなく、共生していこうとする生活の知恵です。こうした考え方にアジア・アフリカ諸国の参加者が賛同してくれて、紆余(うよ)曲折ありましたが、SATOYAMAイニシアティブ国際パートナーシップ(IPSI)が発足しました。また、生物多様性条約の2050年までの長期目標としても『自然と共生する世界の実現』が採択されました。
自然と人の関係をどう捉えるかはとても重要です。自然観の違いによって、自然環境政策も異なったアプローチを取ることになります。COP10の翌年に東日本大震災が起き、私自身の自然観も大きく変わりました。自然とは保護すべきであると同時に、畏怖(いふ)すべき存在だと強く思うようになりました」
コロナ禍で見えたグローバリゼーションの負の側面
現在、武内氏はこれまでの取り組みをさらに発展させた環境戦略である「地域循環共生圏」の構想を推進している。過去に武内氏が提唱してきた「地域循環圏」と「自然共生圏」を合わせたもので、環境、社会、経済の統合的向上によりを持続可能な地域づくりを進めていく構想だ。農山漁村で再生可能エネルギーの地産地消を進め、温暖化対策や雇用拡大につなげる。里山の自然を守りつつエコツーリズムなどを活用し、近隣の都市部の住民にもメリットをもたらそうというものだ。
その具体例として武内氏は、北海道の下川町を挙げる。東京23区と同じ広さに3200人が暮らす同町は、面積の9割を占める森林を活用した森林総合産業の構築、木質バイオマスによるエネルギーの自給、超高齢化社会に対応した集落の再生など自立した地域づくりを目指している。
「下川町は林業の振興と木質バイオマス活用を組み合わせることで『コベネフィット(相乗便益)』をもたらし、地域の活性化につなげています。また、高齢者が暮らしやすい町づくりの一環として、彼らに集まって住んでもらうための地区を設けていますが、そこでは木質バイオマスによるエネルギー供給が行われ、超高齢化への対応と脱炭素化という地域の困難な課題の同時解決にチェンジしているのです」
国連が2015年に「持続可能な開発目標」(SDGs)を採択してから、国内外でSDGsの達成に向けたさまざまな取り組みが進められているが、地域循環共生圏は「ローカルSDGs」とも言うべきものだ。
「現在、SDGsの課題がいろいろと浮き彫りになってきています。例えばSDGs が掲げる、『貧困をなくそう』『質の高い教育をみんなに』『海の豊かさを守ろう』などの17の目標。このうちのどれか1つを達成すれば事足りたとして満足してしまう人も多いのではないでしょうか。SDGsが免罪符になって、統合的な視点が欠けてしまう懸念があります。ポストSDGsを考える上では、自然環境を保護しながら地域を活性化していく複眼的な視点が極めて重要です」
現在世界を襲いつつある新型コロナのパンデミック(世界的大流行)を禍(わざわい)として捉えるのではなく、脱炭素社会づくりに向けて自然と人との関わり方を見直す大きな契機と考える必要があると武内氏は言う。
「人間社会があまりにも自然の領域に近づき過ぎたために、動物由来感染症(人獣共通感染症)の危険性を高めました。今回のパンデミックは、自然破壊の結果だと言ってもいい。また、これだけ感染が急速に世界に拡大したのはグローバリゼーションの影響が大きい。自然環境を保全・活用しながら、自立した社会経済圏の形成を目指す一方で、情報ネットワークや人の交流では世界とつながっている分散型社会を目指すべきではないかと思うのです」
編集:近藤久嗣(nippon.com編集部)
撮影:川本聖哉
バナー写真:東京・日比谷公園にて撮影
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