ソフィー・リチャード:日本の美術館に魅せられて
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日本には5700館以上の博物館・美術館がひしめき、美術品を中心とした美術館だけでも1000館以上ある。しかし、日本語を解さない旅行者が、どこにどのような美術館があるのかを見つけ出し、詳しい情報を得るのは至難の業だ。
日本各地の美術館を丹念に調査したリチャードは、2014年に外国人向けにThe Art Lover’s Guide to Japanese Museumsを発表。2016年に日本語訳版『フランス人がときめいた日本の美術館』が出版されると、国内の美術ファンの間でベストセラーとなる。 2020年には待望の最新版の和訳本も発売される予定だ。今秋、欧米から来日した美術愛好家を引率し、美術館巡りを終えたリチャードに、日本の美術館の魅力について語ってもらった。
魅力の宝庫
——日本の美術館に魅せられたきっかけは何ですか?
子供の頃から、挿絵付きの日本の本が大好きで、特に伝統的な家屋に惹かれていました。ずっと日本に憧れを抱いていたのですが、実際に訪れることができたのは15年前のことです。仕事柄、日本でも数多くの美術館を訪ねていたのですが、2010年のある日のことです。代官山を歩いていると、木立の奥に凛とたたずむ伝統的な和風建築と美しい庭園があるのを見つけて、とても驚きました。旧朝倉家住宅(重要文化財)だったのですが、観光客は私以外に誰もいませんでした。もっとこの場所について詳しく知りたいと思い、それがきっかけで、さまざまな美術館を訪れては、館長さんや学芸員の方々にお話を伺うなど、独自のリサーチを始めるようになりました。
——ガイドブックを書こうと思ったのはなぜですか?
日本に初めて来た頃は、まだインターネットもあまり普及しておらず、美術館の情報を英語で得るのは簡単ではありませんでした。はじめは取材した内容を、英語の媒体に寄稿していたのですが、あまりにも素晴らしいお話が多く、ぜひ1冊の本にまとめたいと思いました。最初にインタビューしたのは、外国人の間で有名な「ベネッセアートサイト直島」を興した福武總一郞さんです。ベネッセが展開する瀬戸内海の直島、豊島(てしま)、犬島の美術館は、本当に素晴らしくお薦めの場所です。
ガイドブックを執筆する際には、外国人訪問客にとって興味のある点は何か? ということを常に念頭に置いていました。ある意味、私自身が欲しかった情報を本にまとめたとも言えます。
——ガイドブックでは、日本人が気づきにくい視点から、美術館やその建築、美術品の魅力が、綿密な取材をベースにつづられています。
各美術館がどのような経緯で設立され、どのような作品を所蔵していて、どのような試みをされているのかを、それぞれの専門家から伺うことは、この上ない喜びでした。例えば、根津美術館の目玉はなんと言っても、国宝、尾形光琳の燕子花図(かきつばたず)ですが、金地着色の屏風(びょうぶ)は劣化しやすいので、展示は1年に1度、燕子花が咲く春に4週間だけと決められています。はるばる遠くから来られても、季節外でご覧になれず、がっかりされないように、ガイドブックにその旨、記載しました。
西欧の美術館では、重要な所蔵品は常設展示するのが普通ですが、日本では年間を通じて展示替えを行っていることも、特筆すべきことです。根津美術館では、一度の展覧会で飾られる作品は、全所蔵品の10%以下だと学芸員の方に伺いました。
北海道から沖縄まで
——2014年に発表されたガイドブック(英語版)に続き、2019年7月には最新版を出版されました。掲載内容は変わっていますか?
コンセプトは変えていませんが、最新版で紹介した美術館数は、150館を超え、解説文をつけたものだけでも110館以上あります。前回が60館くらいでしたので、掲載館数を大幅に増やしたことになります。また最初の本では、東京と京都をメインに、この2大都市から行きやすい場所にある美術館を取り上げましたが、今回は北海道から沖縄まで地域を広げています。
——日本語版も2020年に発売される予定と伺っています。
はい。さらにバージョンアップした『フランス人がときめいた日本の美術館』を、日本の読者の方にも楽しんでいただけると幸いです。もともと1冊目のガイドブックは外国人向けに書いたので、まさかそれが日本語に訳され、それをもとにBS11で美術探索ドキュメンタリー・シリーズとして番組化されたり、NHKの日曜美術館に出演することになるなど思ってもいませんでした。
——ちなみに、リチャードさんの一番好きな美術館はどこですか?
一つだけ挙げるのは難しいです。例えば、京都の「河井寛次郎記念館」など、アーティストの住まい兼アトリエを美術館にしたようなところが好きです。そこに身を置くと、その作家が暮らした頃の雰囲気を感じることができ、芸術家の生き方や作品に触れられるからです。
北海道の「安田侃彫刻美術館アルテピアッツァ美唄」も大好きな美術館の一つです。廃校になって放置されていた小学校を美術館にしています。彫刻家の安田侃(やすだ・かん)さんご本人にもお目にかかりました。美術館の中だけでなく、外にも展示している彫刻作品は、(隣接する地元の幼稚園の)園児たちが、毎日遊びに来て、作品に触れることができるように計画されたものだと伺いました。このように多くの私立美術館には、独自の物語があるので、それらを伝えたいと思いました。
美術館ガイドツアー
——今回は、欧州や北米在住の美術愛好家の方々を連れて、日本各地の美術館を案内されたそうですが、いかがでしたか?
東京都美術館で開催される「コートールド美術館展 魅惑の印象派」の開催(2019年9月10日~12月15日)に合わせて、ロンドンのコートールド美術館から依頼され、美術館のパトロンの方々24名をご案内しました。全行程8日間で、東京・京都・直島・豊島・犬島を回り、私のお気に入りの美術館にお連れしました。
京都では樂家第15代当主(直入=じきにゅう)が、樂美術館でわれわれを迎え入れて、いろいろな質問に答えてくださいました。とても貴重な経験で、参加者は興味深くお話に聞き入っていました。
直島の地中美術館では、参加者の一人が、「今までクロード・モネの睡蓮をたくさん見てきたけれど、初めて新たな視点で見ることができました」と言われたのが印象的でした。安藤忠雄さんが(モネの睡蓮シリーズの作品を展示する目的のためだけに)設計した地下の白い展示室では、天井から降り注ぐ自然光だけで、作品を鑑賞できるので、その静謐(せいひつ)な空間の中にたたずむ美に感動されたようでした。
——美術館ツアーでは、実際にアーティストと話す機会をつくる以外、どのようなことをされていますか?
一般ではなかなか体験できないようなイベントを企画しています。例えば、2016年の秋には、英国や日本にいる知人らを連れて、島根県の出雲を訪ねました。出雲大社などの重要スポットを回った後、江戸時代のおもてなし料理を再現した夕食をいただきました。このような特別な趣向を凝らすことができたのは、私の友人で、最近ビジネスパートナーとなった手錢(てぜん)和加子さんのおかげでもあります。
出雲大社の近くにある手錢記念館は、出雲地方の美術や伝統工芸を所蔵しています。そこで実際に作品を鑑賞するだけでなく、作品に触れ、その後に、手錢家のお屋敷で、江戸時代の手錢家当主が残した(日記の中の)献立を再現したお料理を、同時代の器でいただきました。
異文化間の懸け橋
——その手錢さんと、新しいプロジェクトに着手されていると伺いました。
はい。二人でアート・ビジネス・コンサルティング会社リチャード&テゼン社を立ち上げ、島根県の出雲地方にある7つの私立美術館を海外に紹介する英文サイトを、文化庁からの支援を受けて開設しました。サイトには、各美術館の説明だけでなく、滞在日数別のモデルコースも掲載しています。年内には日本語に加え、韓国語、中国語、フランス語でもご覧いただけるようになります。
日本で、全国津々浦々、さまざまな美術館を訪ねていますが、地方の小さい私立美術館の多くは、もっと外国人に来てほしいと願っていながら、集客する術(すべ)を知らずに、手をこまねいている状態です。またせっかく、英語のパンフレットを用意しても、美術館のコンセプトを分かりやすく説明できていません。例えば、日本の歴史上の人物でも、外国人にはあまり知られていない場合などは、人名だけ記載するのではなく、説明を補ってあげると親切だと思います。
——今後はどのような活動をされていかれる予定ですか?
これからは、各美術館との連携を密にとって、どのようにしたら外国人の来館者数を伸ばしていけるか、共に知恵を出し合っていきたいと思っています。
私は、(日本人の方々よりも)外国人が日本の文化のどういうところに興味を持っているのかを分かっているつもりですので、これからは日本の美術館と外国人訪問客との間をつなぐ、「懸け橋」のような存在になっていきたいです。
取材・文:川勝 美樹
写真:コデラケイ