冤罪を生む日本の「人質司法」―村木厚子「改革はまだ道半ば」

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板倉 君枝(ニッポンドットコム) 【Profile】

日本の刑事司法は容疑を否認すると保釈が認められない「人質司法」だといわれる。10年前に無実の罪で半年近く勾留された経験を持つ元厚生労働事務次官・村木厚子さんが冤罪(えんざい)事件を振り返り、司法制度改革に残された課題を指摘する。

村木 厚子 MURAKI Atsuko

元厚生労働事務次官。1955年高知県生まれ。78年、労働省(現・厚生労働省)入省。女性や障害者政策などを担当。2009年、「郵便不正事件」で逮捕。10年、無罪が確定し、復職。13年、厚生労働事務次官に就任、15年、退官後、困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」や累犯障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」など社会活動を行う。伊藤忠商事社外取締役。津田塾大学客員教授。

164日の勾留経験を社会活動に生かす

冤罪事件で村木さんを支えたのは、強い家族の絆や無罪を信じる多くの支援者、優秀な弁護団、そして村木さん自身の強い好奇心だ。半年近く大阪拘置所で「未決因13番」として過ごす間、食事のメニューも含めて、ノートに細かく記録した。

逮捕前は仕事で多忙を極めていたが、「あんなに自由時間があったのは初めて。仕事しなくていいし、家事もない、食事は3度出てくるし、洗濯もやってくれる。3畳程度の部屋の掃除はすぐに終わってしまいますし」

裁判に備えながら、推理小説など差し入れられる本を読みまくり、その数は150冊におよんだ。もちろん、拘束され、管理される生活はつらいことも多かった。好きな時間に横になれないし、真夏の堪えがたい暑さの中でも、体を拭くことは決められた時間内でしかできない。

だが、ルールはルールと割り切って従い、周囲を観察し続けた。一番気になったのは、刑務作業として食事や洗濯物を運ぶ女性受刑者が、みんなあどけなさの残る若い女性たちだったことだ。取り調べを受けていた時、検事に「あの子たちはどうしたの?」と聞くと、「薬物が多いですね。売春もいます」という返事だった。

復職後に担当した自殺対策や生活困窮者支援の仕事を通じて、貧困、虐待、性的暴力など、厳しい家庭環境に置かれた少女たちの多くが居場所を失い、性産業に取り込まれてしまう実態を知った。厚生労働事務次官を経て2015年に退官、翌年、作家で尼僧の瀬戸内寂聴さんらと共に「若草プロジェクト」を立ち上げ、「生きづらさ」を抱える少女たちの支援活動を行っている。自分たちが悪いと思い込み、人に助けを求めることもできず、公的支援の手が届かないところにいる少女たちだ。LINE相談やシェルターの運営、研修の実施のほか、支援企業の開拓などを行っている。

164日間の勾留経験を社会活動に見事に昇華しましたねと言うと、軽やかな笑い声を挙げた。

「公務員だった時は、役所として何ができるか、どういう制度を作れるかを検討することが仕事でした。役人を辞めたので、制度作りとは離れたところで、いろいろな活動が自由にできる。もちろん、いつか制度につなげられればいいと思っています。今の私は少しずつ、頭が自由になっていくプロセスにいます」

取材・文=板倉 君枝(ニッポンドットコム編集部)
バナー写真・インタビュー撮影=三輪 憲亮

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出版社、新聞社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。

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