冤罪を生む日本の「人質司法」―村木厚子「改革はまだ道半ば」

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板倉 君枝(ニッポンドットコム) 【Profile】

日本の刑事司法は容疑を否認すると保釈が認められない「人質司法」だといわれる。10年前に無実の罪で半年近く勾留された経験を持つ元厚生労働事務次官・村木厚子さんが冤罪(えんざい)事件を振り返り、司法制度改革に残された課題を指摘する。

村木 厚子 MURAKI Atsuko

元厚生労働事務次官。1955年高知県生まれ。78年、労働省(現・厚生労働省)入省。女性や障害者政策などを担当。2009年、「郵便不正事件」で逮捕。10年、無罪が確定し、復職。13年、厚生労働事務次官に就任、15年、退官後、困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」や累犯障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」など社会活動を行う。伊藤忠商事社外取締役。津田塾大学客員教授。

検察による証拠隠ぺいと改ざん

「無罪を勝ち取ったのは幸運だった」と村木さんは言う。「弁護団の女性弁護士から、『村木さん、一番暇なのはあなたよ。役所の証明書を出す仕組みは私たちにはよく分からない。自分で調べて、どんなに小さなことでも不自然なことがあれば、全部リストアップして知らせて。裁判に使えるかは私たちが決めるから』と言われました」

大阪拘置所では「本当に暇だった」ので、検察から弁護側に開示された膨大な証拠資料のコピーを必死で読み続けた。その中にあった一通の捜査報告書に目を留める。そこには、証明書が作成された時のフロッピーディスクのプロパティー(文書の作成・更新日時などの属性情報)が記載されていたが、その作成日時は、検察の筋書きと矛盾するものだった。そもそも、検察はフロッピーディスクがあることを隠しており、裁判に使う予定ではなかったにもかかわらず、うっかり報告書を開示してしまったのだ。この発見は、裁判で検察の見立てを崩すのに役立った。後日、フロッピーディスクのプロパティーが、検察の筋書きに合うように書き換えられていたことも明らかになった。

「偽の証明書を作成したフロッピー自体の証拠開示がないことが不自然でした」と村木さんは言う。「取り調べの検事に、証明書を作った時の電子データがあるはずだと何度も尋ねましたが、ないという返事でした」。裁判で検察の立証を阻む証拠としてフロッピーディスクが持ち出されることを恐れ、改ざんした上で、その存在自体も隠蔽(いんぺい)したのだった。

課題を残す刑事司法改革

検事総長が引責辞任をするに至ったこの事件では、最高検察庁が検証結果を公表するが、なぜ無理な供述調書を作り続け、間違いに気付いても軌道修正しなかったのかについての検証はなかった。真相究明のために、村木さんは国家賠償裁判も起こしたが、国はあっさりと原告の賠償請求を認め、裁判を終わらせる。一方で2011年、法制審議会「新時代の刑事司法制度特別部会」が設けられ、村木さんは委員の一人として議論に加わることになった。委員の大半は刑事司法の専門家たちだった。

「法制審の議論ですごく違和感を覚えた発言の一つは、『取り調べの録音・録画は治安維持に悪影響が出る』でした。間違った人を捕らえて、真犯人を取り逃がしたとすれば、それこそ治安維持の上で最悪ではないですか」

法制審で決まった刑事司法改革では、取り調べの録音・録画や検察側が証拠の目録を弁護側に開示しなければならないなど、いくつか改善された点はある。だが、「いろいろな意味で課題は残ります。録音・録画も裁判員裁判と検察独自捜査の案件に限られ、参考人の事情聴取も対象になっていません」

弁護士が取り調べに立ち会えないことも、被疑者に不利だ。「取り調べは、プロである検事のリングにアマチュアが上げられて、レフェリーもセコンドもいない状態で戦うようなものです。弁護士の同席が無理なら、せめて調書にサインする時に弁護士に相談できる仕組みを作るべきでしょう」

証拠開示では、検察側に不都合な証拠は開示されにくいのではという懸念は払しょくされず、「人質司法」といわれる身柄拘束に関しても、進展はなかった。村木さんのケースでそうだったように、「逃亡の恐れ」「罪証隠滅の恐れ」があると言えば、裁判所はほとんどのケースでそれを受け入れて勾留を認めている。「身柄拘束には透明性のあるルール作りと、適切に運用する仕組みが必要です」

無理な取り調べをして、過ちに気付いても軌道修正できない検察の「病理」は、日本の組織に相通じるものがあると、村木さんは言う。2018年の財務省による公文書の隠ぺい、改ざんをはじめ、官僚の不祥事が相次いでいる。失敗や間違いが起きたときに「なかったことにする」という組織的な隠ぺい行為は、「建前は守らなければならない」「失敗や間違いは許されない」という意識が生む不祥事だと言う。

「取り調べの録音録画と同じで、外から見える仕組みを作ることが大事です。明確なルールやシステムを作り、情報開示をすること。隠せない仕組みを作ってしまえば、政治家への『忖度(そんたく)』もできないので、役人は精神的に楽になるはずです」

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出版社、新聞社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。

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