冤罪を生む日本の「人質司法」―村木厚子「改革はまだ道半ば」

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日本の刑事司法は容疑を否認すると保釈が認められない「人質司法」だといわれる。10年前に無実の罪で半年近く勾留された経験を持つ元厚生労働事務次官・村木厚子さんが冤罪(えんざい)事件を振り返り、司法制度改革に残された課題を指摘する。

村木 厚子 MURAKI Atsuko

元厚生労働事務次官。1955年高知県生まれ。78年、労働省(現・厚生労働省)入省。女性や障害者政策などを担当。2009年、「郵便不正事件」で逮捕。10年、無罪が確定し、復職。13年、厚生労働事務次官に就任、15年、退官後、困難を抱える若い女性を支える「若草プロジェクト」や累犯障害者を支援する「共生社会を創る愛の基金」など社会活動を行う。伊藤忠商事社外取締役。津田塾大学客員教授。

カルロス・ゴーン日産自動車前会長の逮捕、長期勾留で、海外から日本の刑事司法制度に対する注目、批判が高まっている。密室での取り調べが連日続き、罪を否認すれば保釈がなかなか認めらない「人質司法」だと、以前から国内外で問題視されてきた。起訴後の有罪率「99.9」%は、冤罪(えんざい)をテーマにしたドラマのタイトルになるほど極端に高い数字だ。

2019年6月には、刑事司法改革の一環として「取り調べの可視化」(=録音・録画)が一部で義務付けられる。一連の改革を生むきっかけとなったのは、10年前、厚生労働省の局長だった村木厚子さんが巻き込まれた「郵便不正事件」だった。近著『日本型組織の病を考える』(角川新書)で事件を振り返り、「改革はまだ不十分」と言う村木さんに話を聞いた。

無実の証明を阻む3つの障害

2009年6月、村木さん(当時は厚労省雇用均等・児童家庭局長)は、身に覚えのない容疑で大阪地検特捜部に突然逮捕された。04年当時、障害保険福祉部企画課長だった時に、障害者団体をかたる「凛(りん)の会」に対し郵便料金が格安になる障害者用の郵便割引制度を利用できる偽の証明書発行を部下の係長に命じたとするものだ。「凛の会」は制度を悪用して、家電量販店などの商品広告をダイレクトメールで送り利益を得ていた。

取り調べでは、検察官が突きつけてくる調書の筋書きを一貫して否認したが、起訴されて4回目の保釈申請が認められるまで大阪拘置所に164日間拘束された。裁判では取り調べメモを全て廃棄したという検察のずさんな捜査が露呈した。元部下の係長は証人尋問で、村木さんに命じられたとする自分の供述調書は「でっち上げ」で、自分の独断でやったことだと証言、その他の証人のほとんど全てが供述調書の内容を覆した。村木さんは無罪判決を勝ち取り、間もなく取り調べ主任検事による証拠改ざんも発覚し、国を揺るがす大スキャンダルとなった。

「郵便不正事件」で無罪判決を受け、記者会見に臨む村木厚子さん(2010年9月10日、大阪市北区の大阪司法記者クラブ/時事)
「郵便不正事件」で無罪判決を受け、記者会見に臨む村木厚子さん(2010年9月10日、大阪市北区の大阪司法記者クラブ/時事)

「一般市民にとって刑事司法はそれほど関心のない領域かもしれません。私も関心がなかった。何かの事件で容疑者が逮捕されたというニュースを聞けば、悪い人が捕まって良かった、程度の認識でした」と村木さんは言う。「いざ逮捕されて自分の無実を証明しなければならなくなった時、公平な裁判を阻む大きな問題が三つあると実感しました」

「第一に、取り調べが密室で行われること。そこで私が話したことよりも、その中から検事が取捨選択して紙に記すことが供述調書になり、一番重要な証拠になっていくことです」

「第二に、否認をしていると勾留が長引く問題です。罪証隠滅と逃亡の恐れが勾留理由によく挙げられますが、自由を拘束する根拠を厳密に検討するのではなく、罪を否認するとほぼ自動的に勾留が続き、そのこと自体が検察の武器になってしまう。いわゆる『人質司法』です」

「『泊まっていきますか』と聞かれるわけですよ」と言って村木さんは微苦笑を浮かべた。「結局検事の判断で勾留が決まる。それが一種の武器になる。長く拘束されるのが怖くて、検事が望んでいる方向で話してしまえばいい、という誘惑になるのです」

「第三に証拠開示の問題です。家宅捜査ができるのは警察・検察だけなので、重要な証拠は全て検察側が手にしている。その中からどうやって弁護側に必要な証拠を探し出して検察に開示を求めるか、まさに手探りの作業です」

取り調べで許せなかった検事の一言

検察側は、村木さんが2004年当時準備していた「障害者自立支援法案」を国会ですんなり通したいと思っていたことが背景にあるというストーリーを描いていた。自称障害者団体から口利きを頼まれた国会議員からの依頼(=議員案件)で、その議員に気を遣って証明書発行を命じたというものだ。

検事の取り調べ中、村木さんがどうしても聞き流すことのできない言葉があった―「執行猶予が付けば大した罪じゃない」

「『大した罪』って何ですかと聞くと「殺人や傷害」と言われたので、思わず『偽の障害者団体の金もうけのために証明書を偽造するような情けない罪を認めるぐらいなら、恋に狂って男を刺し、罪に問われた方がまだましです』と抗議しました」

目の前の小柄で穏やかな村木さんから、そんな激しい表現が飛び出すのは意外に感じるが、心底怒っていたのだと言う。「殺人や傷害はもちろん罪です。ただ、人間だから激情に駆られることもある。個人的には、まだそちらの方が同情できる犯罪だと思ったんです。執行猶予がついても黒は黒。大したことはないという検察の感覚は、普通の人からだいぶずれていると感じました」

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