「硬頸精神」で勝利をつかむ——囲碁女流棋士・謝依旻六段に聞く

文化

2018年12月5日、「第37期女流本因坊戦」で敗退した謝依旻六段は11年ぶりに無冠となったが、19年3月6日からの「第31期女流名人戦」の挑戦権を獲得。勝利にこだわる姿の裏に、周囲への感謝と責任があった。

謝 依旻 HSIEH Yi Min

1989年11月16日生まれ。台湾苗栗市出身。黄孟正九段門下。2004年入段、05年二段、06年三段、08年四段、10年五段、12年六段。日本棋院東京本院所属。タイトル数27は女流棋士史上最多記録。趣味は映画や舞台鑑賞からジョギングやボルダリングと幅広い。最近は特に宝塚歌劇団の観劇に熱中している。

謝依旻(シェイ・イミン)六段(29)は、客家(はっか)の「硬頸精神」と呼ばれる不撓不屈(ふとうふくつ)の精神と素晴らしい人々に支えられ、一局一局を全力で向き合ってきた。囲碁人生で味わった苦労と成功と、これからの囲碁界について話を聞いた。

子供の頃から負けず嫌い

——謝依旻さんが育った頃の話を聞かせてください。

両親が教育熱心だったこともあり習い事をたくさんやっていたのですが、叔母がそろばん・暗算教室の先生で言葉を上手に話す前から、掛け算の九九をそらんじていたそうです。3歳になると、暗算の3級試験を受験しました。ところが、普段、叔母から私はまだ小さいので10問中5問解けばいいと言われていたので、試験もその調子でいたら大失敗。状況を理解した時には終了のベルがなり、会場で大泣きしてしまいました。しかし、翌年に再度挑戦して無事に3級を取得しました。今では1問解くのに3分以上かかり、自分の事ながら本当にすごいと思います(笑)。

——囲碁とはその頃に出合ったのですか?

習い事の中で囲碁教室にも通っていましたが、兄のおまけのような存在でした。年齢的にまだ難しいと考えられ、もう少し大きくなってから正式に習うことになっていました。ところが6歳の時に会場で五目並べをしていたら、相手をしてくれた囲碁のアマチュア六段の先生に勝ってしまったのです。それをそばで見ていた別の先生が、年齢に関係なく囲碁を教えるので良かったら習いに来ないかと誘われ、私の囲碁人生がスタートしました。

兄の存在も大きかったです。すでに囲碁を習っていた兄は、当然私よりも強かったのですが、対局では情け容赦なく私はいつも負けてばかりいました。しかし、幸いにも私は囲碁を嫌いにならなかったのです。むしろもっと強くなって勝ちたいと思いました。もしあの頃、兄に勝ちたいと思わなければ、囲碁を続けなかったかもしれません。そういう意味で兄も私の囲碁人生では大切な存在です。もっとも兄は中学校で教室をやめてしまい、今では兄と打つことはありません。ただ、私の対局は気に掛けているようで、たまに電話で「いい碁を打ったね」と言われることがあります。

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