『こんな夜更けにバナナかよ』原作者・渡辺一史:北海道から見える日本社会の縮図を追い続けて

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板倉 君枝(ニッポンドットコム) 【Profile】

北海道を拠点として障害者と福祉、地方の問題を追い続ける渡辺一史さんは、過去15年で3作と「寡作」だが、数々の受賞歴を持つ。その第1作『こんな夜更けにバナナかよ』が映画化されたのを機に、筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんとの出会い、北海道にこだわる理由などを聞いた。

渡辺 一史 WATANABE Kazufumi

ノンフィクションライター。1968年、名古屋市生まれ。中学・高校、浪人時代を大阪府豊中市で過ごす。北海道大学文学部を中退後、北海道を拠点に活動するフリーランスライターとなる。2003年、『こんな夜更けにバナナかよ』(北海道新聞社、後に文春文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。11年、『北の無人駅から』(北海道新聞社) でサントリー学芸賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、地方出版文化功労賞などを受賞。18年12月ちくまプリマ―新書『なぜ人と人は支え合うのか』を刊行。札幌在住。

「美談」からかけ離れたノンフィクション

12月全国公開の映画『こんな夜更けにバナナかよ』は、2002年8月に42歳の生涯を閉じた筋ジストロフィー患者の鹿野靖明さんとボランティアたちの交流を描いた実話に基づく物語だ。北海道札幌市でボランティアたちに支えられながら「自立生活」を貫いた鹿野さんを、北海道出身の人気俳優・大泉洋が独特のユーモアを醸し出しながら演じている。笑ったり、ほろりとさせられたりしながら、障害や介助について考えるきっかけを与える “入り口” としてはいい作品だ。

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』から。左から高畑充希、大泉洋、三浦春馬(12月28日(金)より全国ロードショーⒸ2018映画「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会)

だが、映画の「原作」は、もっと複雑で濃密な人間模様を掘り下げることで、障害者の自立とボランティアのかかわり方を模索したノンフィクションだ。印象に残るのは「わがまま」で強烈なキャラクターの鹿野さんと若いボランティアたちの葛藤で、「美談」とは程遠い。渡辺一史さんが取材と執筆に2年半かけた同作は03年北海道新聞社から刊行され(13年に文芸春秋社から文庫化)、講談社ノンフィクション賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

24時間介助が必要な「自立生活」とは

『こんな夜更けにバナナかよ』というタイトルは、深夜に「バナナを食べたい」と言い出した鹿野さんに対して、その晩、泊まり込みの介助に入っていた学生ボランティアが「いいかげんにしろ!」との思いでつぶやいた言葉から取った。そのボランティアは、そうつぶやく一方で、常に「あれしろ、これしろ」を容赦なく要求してくる鹿野さんの “たくましさ” にも圧倒され、いつしか怒りが消え去ったそうだ。

「もともと障害や福祉の問題に興味があったわけではない」と渡辺さんは言う。フリーランスで地元企業や自治体のPR誌、パンフレット制作などで生計を立てていたが、書きたいという大きなテーマを見いだせないまま、このままライターとして生きていけるのかと漠然とした不安を抱えていた。ある日、知り合いの編集者から鹿野さんを取材してみないかと持ち掛けられた。興味をかき立てられたのは、最初に資料として目を通したボランティアたちの何十冊にもおよぶ「介助ノート」だった。それぞれの個性が浮き上がり、月並みな「感動ストーリー」ではとらえきれない感情があふれ出していた。鹿野さんの「エゴ」に付き合い、時には不満を抱えながらもボランティアをなぜ続けるのか。また、24時間他人の介護を必要とする「自立」とはどんなものなのか。2000年初夏、鹿野さんとボランティアたちへの取材が始まった。

18歳で車いす生活となった鹿野さんが障害者施設を飛び出して自立生活を開始したのは1983年、23歳の時だ。当時は障害者のための在宅福祉制度など皆無に等しい時代だったため、自ら募集したボランティアたちに、介助の仕方を教えながら綱渡りのような生活を送る。以後、約20年にわたって、鹿野さんの自立生活を支えたボランティアたちは、大学生を中心に総勢500名以上におよぶ。渡辺さん自身、時に「助っ人」として介助に加わりながら、何十人ものボランティアたちに取材を重ねた。ボランティアを続ける理由はさまざまだが、それまでの生き方に満たされず、「何か」を求めて鹿野さんと関わるようになった人たちが多かった。時には鹿野さんから「もっと前向きに生きましょう」と励まされた人もいて、「一体どちらが『支える側』でどちらが『支えられる側』なのか分からなくなった」と言う。

鹿野さんの生きざまから大きな影響を受けた若者は数え切れない。また、医学部に入り直して医師になった人など、福祉や医療、教育の現場で活躍している人も数多い。

1995年当時、気管切開を行い人工呼吸器を装着した鹿野靖明さん ©高橋雅之

「地方在住ライター」へのこだわり

渡辺さんは1作目の『バナナ』で大きな評価を得たものの、次作の刊行までには長い時間を要した。2011年、取材、執筆に8年を費やした『北の無人駅から』を北海道新聞社から刊行、サントリー学芸賞、地方出版文化功労賞をはじめ数々の賞を受けた。

自ら「第2の処女作」と呼ぶ同作は、小幌(こぼろ)駅(室蘭本線)、茅沼(かやぬま)駅(釧網[せんもう]本線)など七つの無人駅を起点に、北海道の現実に肉薄したノンフィクションだ。人々の生きざま、地域コミュニテイーの盛衰を通じて、農業、漁業、自然保護、観光、過疎、限界集落、市町村合併、地方自治など日本全体が抱える問題がリアルに浮かび上がってくる。

釧路湿原にある茅沼駅は、タンチョウと“共生”する無人駅として知られる。『北の無人駅から』では、タンチョウ保護を巡るさまざまな地元民の思惑を取材しながら、「自然保護」の本質を問う(写真:PIXTA)

名古屋生まれで、中学、高校時代を大阪で過ごした渡辺さんは、倉本聰脚本のドラマ『北の国から』や、高倉健が北海道警察の刑事を演じた映画『駅 STATION』を見て、北海道の景色に憧れを抱いていた。そして1年浪人して北海道大学に入学。以来、30年余り北海道を拠点としている。

「北大を選んだのは“ムツゴロウ”さん(動物との交流を描くエッセーで著名な畑正憲)の影響を受けて、獣医師になりたかったから」と渡辺さんは言う。「でもキャンパス雑誌の編集にはまって大学にはほとんど行かなくなり、結局中退しました」

編集の面白さに夢中になる一方で、北海道の自然を満喫していた。「大学に入るとすぐバイクの免許を取って、北海道中を旅しました。当時の“ミツバチ族”の一人だったんですよ」。1980年代から90年代の北海道は道内外からバイク旅行者が集まり、エンジン音を響かせて走りまわることから「ミツバチ族」と呼ばれていた。“ミツバチ”だった渡辺さんは、バイクで旅する際には、宿泊費を浮かすため道内各地に点在する無人駅の宿舎に寝袋を敷いて寝ることが多かった。

『バナナ』が完成した後、自らに課したテーマが、この「無人駅」と「北海道」だった。さらに、2作目も東京の出版社からではなく地方出版から出したいという「意地」 があった。

「20代でライターになった時、東京に拠点を移すかどうかは頭を抱えるくらい大きな問題でした。1作目で賞をいただいた時も、周りから“本物の仕事”をしたいなら東京に出てこないとダメだよと散々言われた。その時も迷いましたが、ノンフィクションを書くために東京に出る必要はない。身の回りに誰も書いていない日本の“根っこ”の問題が凝縮している。キー局で流れるようなニュースではなくても、東京にいると見えない問題がより凝縮されて見えてきますから」

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出版社、新聞社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部スタッフライター/エディター。

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